2019年11月09日
あなたは何芸人なのか?
ギャップ萌え人材。
みんなが〇〇芸人になったほうがいい時代。
生きづらさの本質は、
世の中がひとつの価値観で支配されてしまったからだと思う。
上野千鶴子さんの言う「学校化社会」である。
「近代」という「旧パラダイム」(17.4.30)
http://hero.niiblo.jp/e484636.html
上野さんは言う。
近代とは、「いま」を大事にしてこなかった時代です。逆にそれを、現在志向とか刹那主義といっておとしめさえしてきた。そして、将来のためにいまを営々と刻苦勉強し、「がんばる」ことを子どもたちにも要求してきました。「そんなことで将来どうするの」「大人になったらどうするの」と、つねに子どもは「将来」から脅迫され、いまを楽しむことを許されませんでした。現在を奪われた存在、それが近代の子どもたちだったのです。
偏差値の呪縛から自分を解放し、自分が気持ちいいと思えることを自分で探りあてながら、将来のためではなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。私からのメッセージはこれに尽きるでしょう。
それだよな、と。
そして、坂口恭平さんは「独立国家のつくり方」の中で、
「放課後社会」を定義する。
自由とはタテの世界を行き来すること(13.1.19)
http://hero.niiblo.jp/e229119.html
この本の中で例えられているのは、「学校社会」と「放課後社会」というふたつの世界(レイヤー)
学校社会の中での評価基準は「勉強ができる」が最高で、「スポーツができる」だったり「音楽ができる」という評価ポイントがある。それは学校の先生によって測られる。
放課後社会は、もっと自由だ。人が2人以上集まったら、そこに放課後社会が形成され、そこには独自の価値観がある。
この本の中には放課後の土井くんという工作のものすごい得意な子が出てきて、それは放課後社会で著者の圧倒的リスペクトを受けていた。しかし彼の学校社会での評価はあまり高くはなかった。
坂口さんは言う。
放課後社会は無数にあり、しかもそれは匿名化されていないリアルな世界だ。
~~~ここまでブログから引用
そう。
「放課後社会」を自らつくっていくこと。それが必要なのだと思う。
「勉強」でも「部活」でもない、第3の道。いや、第3の道は無数にあるのだけど。
それは、たぶん、ひとりひとりが生きるために必要なのだ。
その第3の道を探究していく方法のひとつが大学進学なのだと僕は思う。
それに気づくこと。
今日は、橘玲さんの「人生は攻略できる」から、なぜそれが必要なのか考えたいと思う。
~~~以下メモ
働き方には大きく3つある。クリエイター、スペシャリスト、バックオフィスだ。
クリエイター:「クリエイティブ(創造的)」な仕事をする人
スペシャリスト:「スペシャル(専門)」を持っている人
バックオフィス:事務系の仕事
クリエイター、スペシャリスト、バックオフィスの1番の違いは、会社に属しているか、属していないか。
クリエイターは会社員ではない。バックオフィスは、全員がどこかの組織に属している。
スペシャリストはこの中間で、組織に属さずに仕事をするひともいれば、どこかの組織に属している人もいる。
組織に属していないクリエイターとスペシャリストは、「フリーエージェント」とか「インディペンデント・ワーカー」と呼ばれる。
「外資系」の企業では組織の中でスペシャリストとバックオフィスがはっきりと分かれている。
それに対して日本の企業ではバックオフィスの仕事は主に非正規という「身分」の労働者が行っているが、
正規の「身分」正社員のなかにもバックオフィスの仕事をしている人がいて渾然一体となっている。
「同一労働同一賃金」とは、正社員と非正規社員の身分差別をなくし、雇用形態にかかわらず同じ仕事なら同じ待遇にすることだ。
【「拡張可能な仕事」と「拡張できない仕事」】
映画はクリエイター、演劇はスペシャリストの世界だ。これは、その仕事が「拡張」できるかどうかで決まる。
映画は複製可能だから、さまざまなメディアによって世界中に広がっていく。
しかし、バックオフィスは時給計算の仕事だから、収入は時給と労働時間で決まり拡張性はまったくない。
時給1000円の仕事を8時間やれば8000円で、それ以上にもそれ以下にもならない。
演劇はたしかにクリエイティブな仕事だけど、その収入は
劇場の規模、料金、公演回数によって決まる。
大評判になれば連日満員だろうが、それ以上は利益が増えないから
富を拡張するには広い劇場に移るか、公演回数を増やすしかない。
このように考えると医師や弁護士、会計士などの仕事も拡張性がない。
クリエイティブな仕事をしていても、クリエイターは拡張可能で、スペシャリストは拡張不可能だ。
クリエイターとスペシャリストを合わせて「クリエイティブクラス」として、
バックオフィスは仕事の手順がマニュアル化されているからクリエイティブなものはほとんどない。
いちばんの特徴は「責任がない」ことだ。スペシャリストは時給も高いが責任も大きい。
もうひとつの特徴はマニュアル通りに仕事ができさえすれば、高齢者や障がい者でも、外国人でも、
働き手は誰でもかまわないことだ。バックオフィスの会社は、社会から差別され排除されているひとに
仕事を提供するというとても大事な役割を果たしている。
機械は、マニュアル化された仕事がとても得意だ。
18世紀までは糸を編んで布をつくる作業は人間にしかできなかったが、1779年にイギリスの発明家が紡績機をつくって機械化に成功した。それ以来、科学技術はさまざまな作業をマニュアル化してきて、もちろんAIもその延長上にある。
だからこそ、バックオフィスの仕事は雲行きはだいぶあやしい。
ただし、時給で給与が払われる仕事の中にもAIでは代替できないものがある。代表的なのは看護や介護などの仕事で、そこでは患者や顧客への共感力が重要になる。共感力については男性より女性のほうが高いことがさまざまな研究で明らかになっている。アメリカでは男性と徐英の平均収入が逆転してしまった。
【「サラリーマン」は日本にしかいない絶滅危惧種】
仕事と会社が一致しているのはバックオフィスだけ。
海外ではすべてのスペシャリストが「自分はなにを専門ンししているのか」を真っ先に伝える。
「サラリーマン」は会社と一体化したスペシャリストだが、このような働き方は海外ではかなり前になくなっている。
【伽藍とバザール】
伽藍というのは、お寺のお堂とか協会の聖堂のように、壁に囲まれた閉鎖的な場所
それに対してバザールは誰でも自由に商品を売り買いできる開放的な空間をいう。
そして伽藍かバザールかによって、同じひとでも行動の仕方が変わる。
バザールの特徴は、参入も退出も自由なことだ。商売に失敗して、「なんだあいつ口ばっかでぜんぜんダメじゃないか」といわれたら、さっさと店を畳んで別の場所で出直せばいい。その代わりバザールには誰でも商売を始められるわけだから、ライバルはものすごく多い。ふつうに商品を売っているだけではどんどんジリ貧になるばかりだ。これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略がいちばん有効だろうか?
それは「失敗を恐れず、ライバルに差をつけようとするような大胆なことに挑戦して、一発当てる」だ。もちろん運よく成功するよりも挑戦に失敗することのほうがずっと多いだろう。でもそんなことを気にする必要はない。バザールでは、悪評はいつでもリセットできるのだから。
これを言い換えると、バザールの必勝戦略は「よい評判をたくさん集めること」になる。だからこれを「ポジティブゲーム」と呼ぼう。
これに対して伽藍の特徴は、参入が制限されていて、よほどのことがないと退出できないことだ。このような閉鎖空間だとちょっとした悪口が消えないままずっとつづくことになる。
その代わり、新しいライバルが現れることはないのだから、競争率はものすごく低い。どこにでもある商品をふつうに売っているだけで、とりあえずお客さんが来て商売が成り立つ。
これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略が最適だろうか。それは、「失敗するようなリスクを取らず、目立つことは一切しない」だ。なぜなら、いちどついた悪い評判は二度と消えないのだから。
このように伽藍の必勝戦略は「悪い評判(失敗)」をできるだけなくすことになる。こちらは「ネガティブゲーム」だ。
ここで強調しておきたいのは、ポジティブになるかネガティブになるかは、そのひとの個性とはまったく関係ないということだ。ふだんはポジティブなひとでも、伽藍に放り込まれればネガティブゲームをするようになる。同様にいつもはネガティブな人も、バザールではポジティブになる。なぜならそれが、生き延びるための唯一の方法だから。
伽藍の世界の典型は学校だ。1年生のときについた悪い評判は、よほどのことがないかぎり学年が変わってもついてまわる。
いじめへの対処が難しいのは、生徒たちが伽藍のなかでネガティブゲームをしているからだ。
日本社会ではいたるところで伽藍ができていく。そして日本人は伽藍でのふるまい方(ネガティブゲーム)がとても上手だ。
~~~ここまで引用
なるほど。
めちゃめちゃ鋭い。
いろいろ考えることがあるのだけど
今日は大学入試というバザールについて。
大学入試そのものがバザールになった。
推薦・AO入試という巨大な市場において、自分という商品の魅力をアピールしなければいけなくなった。
就職活動も同じだ。
学生、企業が双方とも自らの魅力を語り、ビジョンを共有し、入社できれば幸せだ。
ところが、高校も大学も、伽藍の世界だ。
そこではネガティブゲームがいまだに展開されている。
世界は必然的な流れとしてバザールに向かっている。
それはグローバル競争社会と呼ばれているのかもしれない。
自らがスペシャリスト、クリエイティブクラスになるために、
バザールに対応した戦略、つまり「ポジティブゲーム」、つまり
「失敗を恐れず、ライバルに差をつけようとするような大胆なことに挑戦して、一発当てる」
だから、人が目をつけていないところを見つけ、ひたすらに掘っていくこと。
それが〇〇芸人への道だ。
それが、大学の研究分野にマッチしていたり、
研究分野でがんばれそうだとなったら、
大学はあなたという人に入学してほしいと思うだろう。
それがバザールとしての大学入試対策になるだろう。
さて、高校生のみんな、「ギャップ萌え」を探しにいこうか。
ギャップの種は、地域にめちゃめちゃ転がっているぜ。
たぶんだけど。
みんなが〇〇芸人になったほうがいい時代。
生きづらさの本質は、
世の中がひとつの価値観で支配されてしまったからだと思う。
上野千鶴子さんの言う「学校化社会」である。
「近代」という「旧パラダイム」(17.4.30)
http://hero.niiblo.jp/e484636.html
上野さんは言う。
近代とは、「いま」を大事にしてこなかった時代です。逆にそれを、現在志向とか刹那主義といっておとしめさえしてきた。そして、将来のためにいまを営々と刻苦勉強し、「がんばる」ことを子どもたちにも要求してきました。「そんなことで将来どうするの」「大人になったらどうするの」と、つねに子どもは「将来」から脅迫され、いまを楽しむことを許されませんでした。現在を奪われた存在、それが近代の子どもたちだったのです。
偏差値の呪縛から自分を解放し、自分が気持ちいいと思えることを自分で探りあてながら、将来のためではなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。私からのメッセージはこれに尽きるでしょう。
それだよな、と。
そして、坂口恭平さんは「独立国家のつくり方」の中で、
「放課後社会」を定義する。
自由とはタテの世界を行き来すること(13.1.19)
http://hero.niiblo.jp/e229119.html
この本の中で例えられているのは、「学校社会」と「放課後社会」というふたつの世界(レイヤー)
学校社会の中での評価基準は「勉強ができる」が最高で、「スポーツができる」だったり「音楽ができる」という評価ポイントがある。それは学校の先生によって測られる。
放課後社会は、もっと自由だ。人が2人以上集まったら、そこに放課後社会が形成され、そこには独自の価値観がある。
この本の中には放課後の土井くんという工作のものすごい得意な子が出てきて、それは放課後社会で著者の圧倒的リスペクトを受けていた。しかし彼の学校社会での評価はあまり高くはなかった。
坂口さんは言う。
放課後社会は無数にあり、しかもそれは匿名化されていないリアルな世界だ。
~~~ここまでブログから引用
そう。
「放課後社会」を自らつくっていくこと。それが必要なのだと思う。
「勉強」でも「部活」でもない、第3の道。いや、第3の道は無数にあるのだけど。
それは、たぶん、ひとりひとりが生きるために必要なのだ。
その第3の道を探究していく方法のひとつが大学進学なのだと僕は思う。
それに気づくこと。
今日は、橘玲さんの「人生は攻略できる」から、なぜそれが必要なのか考えたいと思う。
~~~以下メモ
働き方には大きく3つある。クリエイター、スペシャリスト、バックオフィスだ。
クリエイター:「クリエイティブ(創造的)」な仕事をする人
スペシャリスト:「スペシャル(専門)」を持っている人
バックオフィス:事務系の仕事
クリエイター、スペシャリスト、バックオフィスの1番の違いは、会社に属しているか、属していないか。
クリエイターは会社員ではない。バックオフィスは、全員がどこかの組織に属している。
スペシャリストはこの中間で、組織に属さずに仕事をするひともいれば、どこかの組織に属している人もいる。
組織に属していないクリエイターとスペシャリストは、「フリーエージェント」とか「インディペンデント・ワーカー」と呼ばれる。
「外資系」の企業では組織の中でスペシャリストとバックオフィスがはっきりと分かれている。
それに対して日本の企業ではバックオフィスの仕事は主に非正規という「身分」の労働者が行っているが、
正規の「身分」正社員のなかにもバックオフィスの仕事をしている人がいて渾然一体となっている。
「同一労働同一賃金」とは、正社員と非正規社員の身分差別をなくし、雇用形態にかかわらず同じ仕事なら同じ待遇にすることだ。
【「拡張可能な仕事」と「拡張できない仕事」】
映画はクリエイター、演劇はスペシャリストの世界だ。これは、その仕事が「拡張」できるかどうかで決まる。
映画は複製可能だから、さまざまなメディアによって世界中に広がっていく。
しかし、バックオフィスは時給計算の仕事だから、収入は時給と労働時間で決まり拡張性はまったくない。
時給1000円の仕事を8時間やれば8000円で、それ以上にもそれ以下にもならない。
演劇はたしかにクリエイティブな仕事だけど、その収入は
劇場の規模、料金、公演回数によって決まる。
大評判になれば連日満員だろうが、それ以上は利益が増えないから
富を拡張するには広い劇場に移るか、公演回数を増やすしかない。
このように考えると医師や弁護士、会計士などの仕事も拡張性がない。
クリエイティブな仕事をしていても、クリエイターは拡張可能で、スペシャリストは拡張不可能だ。
クリエイターとスペシャリストを合わせて「クリエイティブクラス」として、
バックオフィスは仕事の手順がマニュアル化されているからクリエイティブなものはほとんどない。
いちばんの特徴は「責任がない」ことだ。スペシャリストは時給も高いが責任も大きい。
もうひとつの特徴はマニュアル通りに仕事ができさえすれば、高齢者や障がい者でも、外国人でも、
働き手は誰でもかまわないことだ。バックオフィスの会社は、社会から差別され排除されているひとに
仕事を提供するというとても大事な役割を果たしている。
機械は、マニュアル化された仕事がとても得意だ。
18世紀までは糸を編んで布をつくる作業は人間にしかできなかったが、1779年にイギリスの発明家が紡績機をつくって機械化に成功した。それ以来、科学技術はさまざまな作業をマニュアル化してきて、もちろんAIもその延長上にある。
だからこそ、バックオフィスの仕事は雲行きはだいぶあやしい。
ただし、時給で給与が払われる仕事の中にもAIでは代替できないものがある。代表的なのは看護や介護などの仕事で、そこでは患者や顧客への共感力が重要になる。共感力については男性より女性のほうが高いことがさまざまな研究で明らかになっている。アメリカでは男性と徐英の平均収入が逆転してしまった。
【「サラリーマン」は日本にしかいない絶滅危惧種】
仕事と会社が一致しているのはバックオフィスだけ。
海外ではすべてのスペシャリストが「自分はなにを専門ンししているのか」を真っ先に伝える。
「サラリーマン」は会社と一体化したスペシャリストだが、このような働き方は海外ではかなり前になくなっている。
【伽藍とバザール】
伽藍というのは、お寺のお堂とか協会の聖堂のように、壁に囲まれた閉鎖的な場所
それに対してバザールは誰でも自由に商品を売り買いできる開放的な空間をいう。
そして伽藍かバザールかによって、同じひとでも行動の仕方が変わる。
バザールの特徴は、参入も退出も自由なことだ。商売に失敗して、「なんだあいつ口ばっかでぜんぜんダメじゃないか」といわれたら、さっさと店を畳んで別の場所で出直せばいい。その代わりバザールには誰でも商売を始められるわけだから、ライバルはものすごく多い。ふつうに商品を売っているだけではどんどんジリ貧になるばかりだ。これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略がいちばん有効だろうか?
それは「失敗を恐れず、ライバルに差をつけようとするような大胆なことに挑戦して、一発当てる」だ。もちろん運よく成功するよりも挑戦に失敗することのほうがずっと多いだろう。でもそんなことを気にする必要はない。バザールでは、悪評はいつでもリセットできるのだから。
これを言い換えると、バザールの必勝戦略は「よい評判をたくさん集めること」になる。だからこれを「ポジティブゲーム」と呼ぼう。
これに対して伽藍の特徴は、参入が制限されていて、よほどのことがないと退出できないことだ。このような閉鎖空間だとちょっとした悪口が消えないままずっとつづくことになる。
その代わり、新しいライバルが現れることはないのだから、競争率はものすごく低い。どこにでもある商品をふつうに売っているだけで、とりあえずお客さんが来て商売が成り立つ。
これがゲームの基本ルールだとすると、どういう戦略が最適だろうか。それは、「失敗するようなリスクを取らず、目立つことは一切しない」だ。なぜなら、いちどついた悪い評判は二度と消えないのだから。
このように伽藍の必勝戦略は「悪い評判(失敗)」をできるだけなくすことになる。こちらは「ネガティブゲーム」だ。
ここで強調しておきたいのは、ポジティブになるかネガティブになるかは、そのひとの個性とはまったく関係ないということだ。ふだんはポジティブなひとでも、伽藍に放り込まれればネガティブゲームをするようになる。同様にいつもはネガティブな人も、バザールではポジティブになる。なぜならそれが、生き延びるための唯一の方法だから。
伽藍の世界の典型は学校だ。1年生のときについた悪い評判は、よほどのことがないかぎり学年が変わってもついてまわる。
いじめへの対処が難しいのは、生徒たちが伽藍のなかでネガティブゲームをしているからだ。
日本社会ではいたるところで伽藍ができていく。そして日本人は伽藍でのふるまい方(ネガティブゲーム)がとても上手だ。
~~~ここまで引用
なるほど。
めちゃめちゃ鋭い。
いろいろ考えることがあるのだけど
今日は大学入試というバザールについて。
大学入試そのものがバザールになった。
推薦・AO入試という巨大な市場において、自分という商品の魅力をアピールしなければいけなくなった。
就職活動も同じだ。
学生、企業が双方とも自らの魅力を語り、ビジョンを共有し、入社できれば幸せだ。
ところが、高校も大学も、伽藍の世界だ。
そこではネガティブゲームがいまだに展開されている。
世界は必然的な流れとしてバザールに向かっている。
それはグローバル競争社会と呼ばれているのかもしれない。
自らがスペシャリスト、クリエイティブクラスになるために、
バザールに対応した戦略、つまり「ポジティブゲーム」、つまり
「失敗を恐れず、ライバルに差をつけようとするような大胆なことに挑戦して、一発当てる」
だから、人が目をつけていないところを見つけ、ひたすらに掘っていくこと。
それが〇〇芸人への道だ。
それが、大学の研究分野にマッチしていたり、
研究分野でがんばれそうだとなったら、
大学はあなたという人に入学してほしいと思うだろう。
それがバザールとしての大学入試対策になるだろう。
さて、高校生のみんな、「ギャップ萌え」を探しにいこうか。
ギャップの種は、地域にめちゃめちゃ転がっているぜ。
たぶんだけど。