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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年06月27日

「主体的である」の反対は、「やらされる」なのか?

昨日、とある会議のあと、とある取材を受けていて感じたことのまとめ。

いちばんの気づきは、
「自律的主体的に学ぶ子」にとって、この町の環境は最高だと思ってた。
資源も課題もたくさんあって、学び放題だと。

でも。
「やりたいことがわからなくて立ち止まっている子」にとっても、
学校内外で、多様で多数の「機会」を提供できるっていうことだ。
「機会」を振り返って、感情から自分を知る。

環境の豊かさっていうのは
・資源の豊かさ:くるみやの農作物などの自然資源
・課題の豊かさ:高齢化・猿による農作物被害などの課題
そしてもうひとつ
・関係性の豊かさ:地域の人たちが重層的に学びにかかわる。

それはそのまま
「機会の豊かさ」であり、「学びの豊かさ」につながっていく。

三菱UFJリサーチ&コンサルティングの阿部さんの論文の「学びの土壌」
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2019/11/seiken_191122_3.pdf

挑戦の連鎖を生む「安心・安全の土壌」←大人の主体性
協働を生む「多様性の土壌」←大人の協働性
問う・問われる「対話の土壌」←大人の探究性
地域や社会に「開かれた土壌」←大人の社会性

これは地域から、というかマクロな目線で書かれたものだけど、
これを高校生目線に落とし込むと。

やりたいことがある、あるいはやりたいことを自ら見つけ、自ら学んでいける高校生にとっては、自らつかんでいく「学びの機会」にあふれていて、反対に「やりたいことがわからない。自分に自信がない。何をしたらいいかわからない」高校生にとっては、周りから与えられる「学びの機会」があるのだと。

これまで僕は思っていたのは
「主体的である」と「やらされる(主体的でない)」の二項対立。

じゃあ、「機会提供」は「やらされる」なのかと言えば、そうでもないと思うし。
「最初は先生に言われたので始めました」っていうのは、高校生のマイプロ発表聞いててもよく出てくる言葉だし。

高校生側の感じ方だったり、
ひとりひとりに話を聞いているか、ひとりひとりに話しかけているか、だし。
もっと大切なのは「ふりかえりをしているか」だったりかもしれないし。

こちらが「機会提供」しているつもりでも、高校生は「やらされている」と思っているかもしれないし。
その前提となる信頼関係があるかないか、にもよると思うし。

つまり。
「主体的である」は「やらされる」と二項対立で考えるものではなく、
高校生目線で言えば、「主体的である」と「機会提供」のあいだにグラデーションが広がっているのだと。

やりたいことがないと悩んでいる子の隣に座って、機会を提供する。
その提供の仕方もあるよね。
ただネタを提供してこちらは見ているだけっていうのは、やらされ感が出る。
一緒にやってみる。考えてみる。悩んでみる。

それが大切なのだろうなと。

地域の自然も資源も課題も地域の大人も、自らも独自の楽器をもって学びという音楽づくりに参加する
高校生にとっての「学びの伴奏者」であること。学びという営みのプレイヤーとして参加すること。

まあ、言うは易し、行うは難しってやつですけどね。
まさにいま、その課題に直面しています。  

Posted by ニシダタクジ at 06:11Comments(0)学び