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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年07月14日

「まなび」の「よはく」



パンフレット用写真撮影の日。
7月に入ってからずっと雨&くもりだったのが、奇跡的な晴れに。

「神は細部に宿る」ってこういうことか!と感じた1日でした。
15歳になりきって、その世界の中を躍動していきながらの写真撮影。
写真のディレクションってそういうことか、と。

その前の日の夜に少し聞かせてもらった
Ciftの説明会の話が面白くて。

「拡張家族における親と子。自己変容型リーダーシップ」~Cift2周年祭で僕が語ったこと
https://cift.co/life/1659

補完としてこちら。
「なぜ“家族”になるために「人事」があるのか」
https://cift.co/work/802

~~~ここから上記ページよりメモ

仲間:ともに働く
家族:ともに暮らす

世界⇒私たち(Cift)⇒私
世界平和への拡張家族への自己変容

「拡張j家族」:「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡されながら、深化と成長を生む生命体

ひとつ(関係性):あなたもわたし、弱さでつながる、共に暮らす、助け合う組織、共依存関係、今が大事、居場所、愛
ひとり(主体性):あなたとわたし、強さでつながる、共に働く、育みあう組織、共自立関係、未来が大事、出番、力

「自己変容」:自分に全体性を取り戻し、次元をシフトする。

「自己変容」⇒「自己変容型リーダーシップ」へ。

「自己変容」:内に解き(対個人)、Be(内的姿勢)、さらけ出す、自責する、アンラーンする、人の成長を信じる、習慣化する
+(型)「リーダーシップ」:外に結ぶ(対全体)、Do(外的行動)、方針を示す、率先する、つなげる、やる気を上げる、役割分担する

「依存的全体」から「主体的個別」、そして「主体的全体」へ。

依存的全体:属する共同体に依存している状態。大いなる母親に包まれている状態。

このフェーズで必要なのは居心地の良い共同体から自らの離脱を通して自立することである。全体から分離することで、自分自身の存在に向き合い、力を身につけ、自信を持つということが重要だ。その自立が新たな共同体に入ることだと今度はそれに依存してしまうのでCiftに入るタイミングではないと考える。まずは自らの足で立てる力をつけようと伝えることにしている。

主体的個別:共同体から離脱し、自らの足で歩きはじめ、自己実現を目指そうとしている状態。

この状態は力を得るためにとても必要な時期であると同時に、Ciftではこの力はあくまで手段であって、目的である愛の主体的全体へと意識を向けるかどうかがポイントになる。主体的個別を目指して邁進している人については、それを応援しながら、Ciftという場所はその自己実現を一部解いて全体実現に加担する行為なので今は適切ではないと伝えるようにしている。

主体的全体:自己実現において限界感や喪失感を感じた上で、自我を超えたものにコミットしようとする状態。

力を得る主体的個別フェーズを通った人たちがそれを手段として、愛という目的に意識が向き始めたらCiftに入る立ち位置になったと言える。ここでポイントなのは主体的全体がすでに体現できている態度の状態ではなく、そう在りたいと思う意識の状態を確認していることだ。なぜなら僕も含めてここができている人は少ないし、むしろそこを共進化するための場所がCiftだからだ。その時に大事なのは自らの意志で入った環境が自ずと人を変容させていくことだ。このとき、主体的全体への意志がなければ、どんな環境があっても発酵しないし、むしろその人の人生にとって腐敗してしまうので、ここの音合わせはとても大事と言える。

~~~ここまでメモ

刺さる言葉がたくさんあって、タイムリーだなあと。

7月10日のブログ「はみ出しものの系譜」
http://hero.niiblo.jp/e490859.html

にもつながっていく話で面白いなと。
僕としてのキーワードは「自分たち」「わたしたち」なのだけど。
それを「ひとり」と「ひとつ」という言葉で表していたのがすごい。

そして、未来を占うのはこちら。
「オフグリッド化するコミュニティ 渋谷Ciftが提唱する“拡張家族“とは?」
https://nextwisdom.org/article/2291/

~~~ここから上記ページより引用

全体の一部である構成員でありながら、自立した人間であるという状態の矛盾した関係を解決するのが新しいコミュニティのキーになると思っています。

人類の歴史を考えると、17世紀前後の科学革命の前は人間ではなく自然が中心の社会で、人は生まれてから死ぬまで全体に依存しなければ生きていけなかった。その中で全体としての秩序があった。そこから、個人というものが台頭してきて、現代はかなりの個人化の時代にも思えますが、この先もっと個人化、個別化が進んでいくのだと思います。人間の心と体が分離するとかも十分起こりえると思います。

でも、もともと人類というのはコミュニティから始まっているんですよね。生まれた瞬間は誰もひとりでは生きられない。家族というコミュニティに守られていて、生活を安定させるために家族が集まって村を作り農耕社会になっていった。現代の社会では、高校を卒業する頃には、家族から離れて村から飛び出して、ひとりで生きていくこともできます。だけど、そっちにも限界がある。

全体の一部として生きていくということは、個性は無いけど協調性はあるという状態。言い換えると、愛はあるけど力は無いということになります。

近代以降の私たちは外側に力を求めがちです。内省することや、空を見上げることもあまりせずに。それは、外にしか目が向いていないからです。力はすごくあるんだけど、その力がすべて外に向かっているから、自分の傍にある愛を大切に生きていない。

本質的に平和って何か考えたとき、個が自立して多様で皆が好き勝手にやる世界なのか、それとも、皆が協調し合って一つとして愛し合う世界なのかっていうと、そのどちらでもない。要は、それを止揚させた世界でなくてはいけない。

~~~ここまで引用

「はみ出し者の系譜」のところでも紹介したけど、
海⇒大気⇒社会⇒情報という世界の変化の中で、
前の世界を内包する(子宮の中が海と同じ成分であるように)ことが必然であると。

それってまさにここでCiftが言うところの
個が自立して多様で好き勝手にやるっていう近代と
皆が協調し合って一つとして愛し合う近代以前(近代はそれを内包しているのだけど)

どちらか、ではなくてそれを止揚させた世界。
つまり内包した世界が必要で、それがCiftの言葉を借りれば、
「主体的全体」なのだろうと。
僕的に言えば、「自分たち」「私たち」なのだろうけど。

「ひとり」と「ひとつ」
「個人」と「共同体」
そのあいだをCiftは「拡張家族」として実験を始めた。

それって、「まなび」の世界も同じなのではないかと。

内田樹さんがよく言っている。
教育の目的は「共同体が生き延びること」だと。

近代になって、時代の要請でそれが「国民国家として生き残ること」になり、
個人はそのための手段としての教育を受けるようになった。

時代は流れて「個人の自立」が一人暮らしの需要を増やして
家電王国としての国を支えたりした。
いつのまにか教育は「お買い物」と化し、
最小の努力で最大の成果を手に入れることに価値があると思い込んだ。

ひとりひとりはますます孤独になり、この先ひとりで生きていけるのか?と不安に駆られている。
だからこそ共同体(コミュニティ)への回帰が起きているのだろう。
「働くこと」だけでなく「暮らすこと」を考えたいと思っているのだろう。

「探究的な学習」の価値は、
Cift的に言えば、「ひとり」と「ひとつ」を行き来することなのではないか。
その先に「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡を保つような共同体が可能になるのではないか。

僕はそこに「まなびの創造」を見る。
「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡を保つような「場」

えぽっくの取材型インターン「ひきだし」や
にいがたイナカレッジのプログラム、
そして今、阿賀黎明高校魅力化プロジェクトでも目指しているような「場」

それは「まなび」の「よはく(余白)」があるような場なのだろう。

その「よはく(余白)」は、
「ひとり」と「ひとつ」のあいだに、
いや、「ひとり」の一部分に、「ひとつ」の一部分にできる。
そして、その「よはく」に「場」ができていく。
それが橘川さんの言うところの「情報の世界」の感覚なのかもしれない。

高校生の学びを支援するのではなく、
高校生の探究的学習に伴走するのでもなく、
まなびの「場」にひとりの「伴奏者」として、
ともに「ひとり」と「ひとつ」と行き来する存在でありたい。

そこに「まなびの創造」があるのではないかという仮説。  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)学び日記