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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年10月25日

「達成」と「発見」を動的平衡できる複数の「場」


「カフェから時代は創られる」(飯田美樹 クルミド出版)

の著者飯田美樹さんを招いてのオンライン劇場ツルハシブックス。
エコリーグに参加している時、僕はあれが「場」っていう認識がなかったし、
そもそも僕は実行委員会側ではなくて、プレイヤーとして参加していたし。

彼女は大学1年のときから「場」について認識していて、
合宿やイベントなどの期間限定で場をつくる限界を感じて、
パリでのカフェ研究に勤しむこととなる。

パリではなぜ、芸術家がたくさん生まれ、また集まってきたのか。
彼らはなぜ、カフェに集まったのか?
当時のパリのカフェとはなんだったのか?
そんな問いから始まる冒険に連れていってくれる1冊です。

昨日は、その本を通しての対話の時間となりました。

~~~イベントメモ

3万円のホテルに泊まることと、1000円のコーヒーを飲むこと。
空間、飲食物、対話、出演者、、、総合芸術としてのカフェ体験。

目的多様性とベクトル多様性。
「打ち合わせ」か「ひとり時間」か「友人とのおしゃべり」か、とか。なんのためにカフェに行くか。
と、その人が持つ「こうありたい」「こうなりたい」と思う気持ち(スピノザ的に言えばコナトゥス)。
それらがクロスする場としてのカフェ。

場と溶け合う。
それは意識してもしなくても、個人と場は相互に影響される。
スマホとPCのようにつながなくても、wifiで同期しちゃう。

場と一体化していると、そこにふさわしい人にいつのまにかなっている。

テーブル席があり、テラス席があり、カウンター席がある。
席を選ぶことからコミュニケーションは始まっている。
そう考えるとカウンターのデザインってすごく大事だ。

オンラインではベクトルを合わせないと場がつくれない。
リアルな場では、ベクトルの多様性が空間の価値を増す。

~~~ここまでメモ

フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン。
これが僕の場づくりのテーマだったのだけど。

あらためて「場」について考える機会となった。

いちばん印象に残ったのは、
カフェにいると、いつのまにか変わっている自分になるとか、
カフェ空間と同期しちゃう、とか
カフェ空間をつくっている一員になる、とか

そういう話。
ああ、それって、僕的に言えば、
「個人」と「場」を行き来するっていうことだなあと。

ラストに、飯田美樹さんが現在執筆中の本の話で、
「インフォーマル・パブリック・ライフ」という言葉が。

https://www.la-terrasse-de-cafe.com/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AB-%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%81%A8%E3%81%AF/

インフォーマル・パブリック・ライフを一言で表すと、気軽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない場所で、リラックスした雰囲気が特徴的です。 (中略) インフォーマル・パブリック・ライフには、ここではこうすべき、こう振る舞うべき、という社会的コードがなく、身分に縛られた自分ではなく、自分らしく振舞うことが許されます。日本でも人が集まるイベントや場づくりなどに、カフェや広場といった名称が使用されているように、カフェと広場には共通点が存在するのです。その共通点とは場に1つの明確な目的が設定されていないことです。八百屋は野菜を買うため、ワインショップはワインを買うために行く場所ですが、カフェは飲み物代さえ払えば友人と話をする、本を読む、手紙を書く、ゲームで遊ぶなど、何をしても許されます。広場も同様であり、広場という大きな空間自体にはその場の明確な目的が設定されていないからこそ、人々は他の場で要求されるコードから自由になれるのです。

たぶん、これ。
「ツルハシブックス」で目指していたものだし、
これから阿賀町でつくっていきたいもの。

学びの動機を「達成」から「発見」へ
学びの主体を「個人」から「場」へ
学びの成果を「評価」から「承認」へとシフトさせたい。

でも、それは一気には起こらない。
徐々にシフトしていくんだ。

「目的・目標」をもって、「個人」が能力向上を目指して学び、「評価」される。
それが現在のシステムである。「達成」のパラダイムだ。

しかし、
飯田さんが「インフォーマル・パブリック・ライフ」の説明の中で言うように、

カフェと広場の共通点とは場に1つの明確な目的が設定されていないことです。八百屋は野菜を買うため、ワインショップはワインを買うために行く場所ですが、カフェは飲み物代さえ払えば友人と話をする、本を読む、手紙を書く、ゲームで遊ぶなど、何をしても許されます。広場も同様であり、広場という大きな空間自体にはその場の明確な目的が設定されていないからこそ、人々は他の場で要求されるコードから自由になれるのです。

それはきっと、人生において必須なものなのだ。
家庭、職場(学校)、そしてここで言う「カフェや広場」のような第3の場があること。
僕がつくりたい「場」とは、そういう場だ。

「場」にフォーカスして「場」が主体となって、プロジェクトをつくり、実行する。
「発見」に価値を置き、見つけ合う「場」をつくる。
自分はその「場」に溶けだして、いつのまにか一員となっている。
その場の一員であることがその子のアイデンティティ、つまり「承認」を形成してくれる。

それらを、学校社会と動的平衡を保ちながら実現していくというのが、
阿賀黎明高校魅力化プロジェクトなのではないか、と僕は現時点で解釈している。

学校(教科)は、「達成」「個人」「評価」のパラダイムで動き、
地域(探究)は、「発見」「場」「承認」のパラダイムで動く。

当然、「達成」のプロセスの中でも「発見」はあり(それを振り返っていないだけ)、
「発見」のパラダイムの中でも「達成」(いわゆる「成長」)は結果的に見て取れる。
必要なのは主体を「場」としてとらえる、ということと、その一員となること。
それを繰り返すことによって「承認」(自分で自分を承認すること、存在承認)を感じられること。

それこそが、「探究」の意義や、地域の力を必要とする理由なのではないだろうか。

一気には変わらない。
徐々にシフトさせてゆく。
というより、動的平衡のほうが、「発見」は大きくなるのではないか?

素晴らしい教育システムを一気に導入するのもいいのだけど、
既存のシステムを活かしつつ、地域の資源を活かした探究的学びとの
共存・ともに進みながら変わっていっているような「場」(町)ができること。

それってすごくワクワクするよなあと思っています。

10月31日(土)は
まなびのトビラを「ともにひらく」です。
これからのまなびについて対話しましょう。

https://reimei-gakusya.localinfo.jp/posts/10858791?categoryIds=477469  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)アイデア日記