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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年11月16日

「学び続ける」から「まなびはつづく」へ

人生100年時代において、「学び続ける」ことが必要である。
いや、ホントそう。そう思います。

「学び続ける」、言い換えるとアップデートされ続ける人に
ならないといけない。

そんな「学び続ける」人をどうやってつくるのか?という問い。
多くの人が考えている。

一方で僕としては、
学びの主体を「個人」から「場」へとシフトさせたい。
そこには、「学び合い」ならぬ「見つけ合い」が起こる。

「気づき・学び」ではなく「印象に残ったこと」をシェアし、
「なぜその人はそれが印象に残ったのか?」を「場」で考える。
「場」が学びを創造する。

そんなことができないか?
っていう問い。

そして、そこにこそ「存在」がある。
つまり、自らの「存在」を承認できる。
大げさに言えば「生きてていいんだ」と感じられる。

そんな仮説。
それは「場」と未来(創造)にフォーカスして、
「存在」を承認するための手法だ。

一方で、朝から畑作業をして朝ごはんを食べる活動「まきどき村」の
魅力はどこにあるのだろうか。

自己肯定は「営み」の中に内蔵されている(18.12.8)
http://hero.niiblo.jp/e488524.html

営みと「天の恵み」という贈与と返礼(18.12.14)
http://hero.niiblo.jp/e488552.html

それは「営み」の中にあること、ではないか、
というのが、2年前の学びだった。

「営み」の中にあること。
それを言い換えれば、「継承者」である、ということ、「つなぎ手」であるということだ。

それは、内田樹さん風に言えば、「贈与を受けた者」であり、
僕の言い方をすれば、「手紙を預かった者」だ。

「継承者」であるという自覚が、自らの「存在」を承認してくれる。
そういうことってあるんじゃないか、と。

このブログのタイトルは、「20代の宿題」と言うのだけど、
最初名付けた時の想いは、
29歳までに見つけないといけないことがあるんじゃないか?
ということ。

僕自身は29歳の時に
「小説 吉田松陰」(童門冬二 小学館文庫)に出会い、
野山獄を学び場にしてしまったエピソードに心を撃ち抜かれ、

「これじゃん、オレのやりたいことって」
みたいなインスピレーションで、すぐに山口・萩へと旅立ち、
松陰先生の墓前に、「学び合いで希望が生まれる」を実現します、と誓った。

ミッションに出会う、
コンセプトに出会う。

「やりたいことを見つける」っていうのは、実はそういうことか、と。

それが、スピノザに出会ってから揺らいでいる

ありえたかもしれない、もうひとつの近代(19.4.18)
http://hero.niiblo.jp/e489179.html

意志なんて神話に過ぎない、とスピノザは語る。

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」への違和感(18.8.20)
http://hero.niiblo.jp/e487965.html

ギリシア世界には、「意志」は存在しないし、
それに伴って「未来」も存在しない。
過去からつづく流れの中で、状態(状況)としての今がある。

現在、多くの人が抱えている「存在」への不安の秘密はそこにあるのではないか。
新型コロナウイルスによって「予測可能な未来」は破壊された。
だとしたら、自分の「存在」はどこにあるのだろうか?

ひとつの方法は、「継承者になる」ということではないかと。

僕は29歳のあの日(完全に思い込みなのだが)、
吉田松陰先生の思想「学び合えば希望は生まれる」の
継承者となった。(現在、旧会津藩に住んでいるので、声を潜めて言いますが)

そこに、自らの「存在」の意味が発生したのではないか。

受け取ったこの「手紙」を誰かに渡さなければならない。
受け取ったこの贈与を、誰かに返礼しなければならない。
「継承者」となる、というのは、そういうことだ。

近代社会成立以降、僕たちは「自由」と引き換えにたくさんのものを失ってきた。

身分制度と役割の固定化
イエ制度と継承者である自覚
地域コミュニティと祭りなどでの一体感
日本型雇用と社内コミュニティ

ひとつひとつが今のアイデンティティ不安に影響しているのではないか。

好きなことを仕事にしたほうがいい、やりたいことは何か?
みたいな「自由」こそが、人の「存在」を揺るがせているのではないか。
ひとりひとりを「交換可能」にしているんじゃないか。

「つながりが大切」「コミュニティを再構築せよ」と人は言うけれど。
ヨコのつながりだけではなく、「営み」のようなタテのつながりを感じられるようにすること。

継承者、つなぎ手であると同時に、創造者であること。

その創造を生むのは、
自分とまわりの人たちと、環境とタイミング(時)
(誰といつどこで)をチューニングした「場」であること。

そんな場に身を委ねることで、
「存在」を感じられるような仕組みをつくりたい。

つなぎ手として生きる。
かつて、会津若松城にモノを運ぶ中継地点として栄えた河港がある、この町で。

まなびはつづく・・・

  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)学び日記