2020年11月21日
探究的に遊ぶ
「違和感をキャッチし、ふりかえりにより言語化する。」
もはや趣味のような日常になってしまった。
オンラインイベントからの振り返り。
木曜日はにいがたイナカレッジのスピンオフ企画
「まちづくりとアイデンティティ」で大学生と対話。
金曜日は探究学習コミュニティの第5回浦崎先生。
イナカレッジの前半トーク「意味について」
が思いのほか盛り上がった。
~~~ここからメモ
不便に意味を持たせることができるか?
意味=価値?
価値観の共鳴
背景を知ること。
大衆食堂の歴史観
ひとり叙々苑で自分を客観視する女子高生
もうひとりの自分との対話?
自分に対するギャップ萌え
まちづくり⇔継承者になること
違和感(アウェー感)を楽しむ
演じてみる=アカウント切り替えてみる
人から見た時に「意味」が発生する
対話によって意味が生まれる
感情の言語化
魅力的な地域:魅力ある人がたくさんいる地域。
観光をやりたいじゃなくて観光対象になりたい。
存在の承認が得られる地域。
~~~ここまで木曜日のメモ
ヒントたくさんあったなあと。
演じる探究こと、複数アカウント切り替え型探究。
目標達成しても自信はつかない。
女子高生ひとり叙々苑で
それを客観的に見て楽しむっていうのも面白かった。
みんな普通に複数の自分を生きているんだ。
そのそれぞれを自分からも他者からも承認できたらいい。
ということで、金曜日の探究学習コミュニティは
お悩み相談会でした。
僕は
1 探究サイクルを小さくどうやって回すか?と
2 言語化の壁をどう超えるか?
で聞いてみました。
「ふりかえり」というエンターテイメント(16.6.15)
http://hero.niiblo.jp/e480121.html
大学にいるときに「サービスラーニング協議会」で
いろいろ学んだなあと。
その最大のメッセージが「ふりかえりの文化」をつくるだった。
あらてめて読み直して。
ふりかえりの3つの視点
「自分視点」:自分が感じたこと、考えたことをふりかえる。
「構造視点」:関係性から構造的にふりかえる。
「未来視点」:時間軸で過去と未来の視点からふりかえる。
なるほど。
自分軸と、関係軸と、時間軸ね。
面白い。
前に書いたブログにもあるけど。
究極のエンターテイメントは「学び」であると思う。
新しいことを知る。何かができるようになる。過去の点と点がつながる。
その学びをもっとも得られる機会、それが「ふりかえり」ということになるのかもしれない。
「機会」を感知し、「行動」が起こり、「ふりかえり」で学ぶ。
おそらくはこの繰り返しによって、人は学び、感性と価値観を磨いていくのだろう。
これ、今の「探究」どうする?って話にもぜんぜん同じこと言えるなあと。
「ふりかえりのエンターテイメント化」こそが探究学習の課題だろうと思う。
ということで、昨日のメモ(後半、バテて聞けてませんでした)
~~~ここからメモ
「言語化」
・日々を振り返って言語化する⇒フィードバックする
・習慣化する。楽しくできるといい。
「遊び」の延長上に探究する。
インタビューしあう⇒録音する⇒文字化
しゃべらせるとすごいこと言っている⇒文字化する
言語化能力が低い
⇒ふりかえりに時間がかかる
活動時間<ふりかえりの時間にするくらいで。
インタビューシート(フレームワーク)でやってみる。
答えがわからないまま終わってもいい。
「自分で考えた企画が実現した」⇒すごい自信につながる
学校と地域の責任の所在について
「やらされているかどうか?」がポイント
「学校が主」で、「地域は協力している」では、
責任の所在が「学校」になってしまう⇒土日は活動できない
「探究」:やらずにおれないことに取り組む。
(自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題)
学校の責任(役割)/地域の責任(役割)
事前指導・ふりかえり/実践
地域側が高校生を必要としているから一緒にやるんだ、というスタンス
「地域が学校に協力している」ではダメ。
現場にひたること。
部活動/探究
指導/フラット
探究のスタートは高校1年でいいのか?
いつから始めるのか?
「好奇心」⇒「没頭」⇒「ふりかえり」みたいなサイクルはどこで回す?
小中学校でやるのがいい。
⇒市町村教委が「高校魅力化プロジェクト」をやる理由
「探究の先(エッジ)にふるさとができていく」
~~~ここまでメモ
僕が今回、もっとも違和感を感じたのは、
「本気の探究」というワード。
「本気」ってなんだろうね。
さらに、総合型選抜には「本気で探究」みたいな流れ。
いや、それはそうなんだけどさ。
高大接続改革ってそういうことなのだろうけどさ。
なんだろうな。「意志」っていうか。
そういうのが違和感なのか。
「本気」っていう言葉から来る「一体感」みたいなのがいやなのか。
「場」の居心地の良さは「ベクトル多様性」から来る、っていうことからなのか。
「遊び」とか「没頭」には「意志」はないんじゃないか、とか。
一方で、「一体感」は嫌だけど、「全体性」の希求みたいなやつはあって、
それは両立するのか、とか。
「○○のために」っていう目的志向は、教育の宿命なのか、とか。
「個人」じゃなくて「場」としてやれないのか、とか。
学校っていうのはそもそも「場」であるし、その「場」のチカラを高めることをしなければ、
ネットの高校には勝負にならないし。
地域こそが「場」であるし。
「評価」⇐「達成」⇐「指導(教授)」(授業、部活動のパラダイム)
「創造」⇐「発見」⇐「実験」(探究のパラダイム)
とかとか。
いろいろ思ったのだけど。
一番ピンと来たのは、探究は遊びの延長上にあるってことかな。
大人も子どもも、探究的に遊べばいいんだと。
そういうマイプロ、アワプロしていけばいいんだよねって。
それには「環境」と「場」が必要で。
それをうまく作っているのがこの前見学に行った
益田市の事例なのではないかなあと。
さて。
本日は「おとな未来フォーラム」で、地域の中学生の保護者のみなさんと探究してきます。
もはや趣味のような日常になってしまった。
オンラインイベントからの振り返り。
木曜日はにいがたイナカレッジのスピンオフ企画
「まちづくりとアイデンティティ」で大学生と対話。
金曜日は探究学習コミュニティの第5回浦崎先生。
イナカレッジの前半トーク「意味について」
が思いのほか盛り上がった。
~~~ここからメモ
不便に意味を持たせることができるか?
意味=価値?
価値観の共鳴
背景を知ること。
大衆食堂の歴史観
ひとり叙々苑で自分を客観視する女子高生
もうひとりの自分との対話?
自分に対するギャップ萌え
まちづくり⇔継承者になること
違和感(アウェー感)を楽しむ
演じてみる=アカウント切り替えてみる
人から見た時に「意味」が発生する
対話によって意味が生まれる
感情の言語化
魅力的な地域:魅力ある人がたくさんいる地域。
観光をやりたいじゃなくて観光対象になりたい。
存在の承認が得られる地域。
~~~ここまで木曜日のメモ
ヒントたくさんあったなあと。
演じる探究こと、複数アカウント切り替え型探究。
目標達成しても自信はつかない。
女子高生ひとり叙々苑で
それを客観的に見て楽しむっていうのも面白かった。
みんな普通に複数の自分を生きているんだ。
そのそれぞれを自分からも他者からも承認できたらいい。
ということで、金曜日の探究学習コミュニティは
お悩み相談会でした。
僕は
1 探究サイクルを小さくどうやって回すか?と
2 言語化の壁をどう超えるか?
で聞いてみました。
「ふりかえり」というエンターテイメント(16.6.15)
http://hero.niiblo.jp/e480121.html
大学にいるときに「サービスラーニング協議会」で
いろいろ学んだなあと。
その最大のメッセージが「ふりかえりの文化」をつくるだった。
あらてめて読み直して。
ふりかえりの3つの視点
「自分視点」:自分が感じたこと、考えたことをふりかえる。
「構造視点」:関係性から構造的にふりかえる。
「未来視点」:時間軸で過去と未来の視点からふりかえる。
なるほど。
自分軸と、関係軸と、時間軸ね。
面白い。
前に書いたブログにもあるけど。
究極のエンターテイメントは「学び」であると思う。
新しいことを知る。何かができるようになる。過去の点と点がつながる。
その学びをもっとも得られる機会、それが「ふりかえり」ということになるのかもしれない。
「機会」を感知し、「行動」が起こり、「ふりかえり」で学ぶ。
おそらくはこの繰り返しによって、人は学び、感性と価値観を磨いていくのだろう。
これ、今の「探究」どうする?って話にもぜんぜん同じこと言えるなあと。
「ふりかえりのエンターテイメント化」こそが探究学習の課題だろうと思う。
ということで、昨日のメモ(後半、バテて聞けてませんでした)
~~~ここからメモ
「言語化」
・日々を振り返って言語化する⇒フィードバックする
・習慣化する。楽しくできるといい。
「遊び」の延長上に探究する。
インタビューしあう⇒録音する⇒文字化
しゃべらせるとすごいこと言っている⇒文字化する
言語化能力が低い
⇒ふりかえりに時間がかかる
活動時間<ふりかえりの時間にするくらいで。
インタビューシート(フレームワーク)でやってみる。
答えがわからないまま終わってもいい。
「自分で考えた企画が実現した」⇒すごい自信につながる
学校と地域の責任の所在について
「やらされているかどうか?」がポイント
「学校が主」で、「地域は協力している」では、
責任の所在が「学校」になってしまう⇒土日は活動できない
「探究」:やらずにおれないことに取り組む。
(自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題)
学校の責任(役割)/地域の責任(役割)
事前指導・ふりかえり/実践
地域側が高校生を必要としているから一緒にやるんだ、というスタンス
「地域が学校に協力している」ではダメ。
現場にひたること。
部活動/探究
指導/フラット
探究のスタートは高校1年でいいのか?
いつから始めるのか?
「好奇心」⇒「没頭」⇒「ふりかえり」みたいなサイクルはどこで回す?
小中学校でやるのがいい。
⇒市町村教委が「高校魅力化プロジェクト」をやる理由
「探究の先(エッジ)にふるさとができていく」
~~~ここまでメモ
僕が今回、もっとも違和感を感じたのは、
「本気の探究」というワード。
「本気」ってなんだろうね。
さらに、総合型選抜には「本気で探究」みたいな流れ。
いや、それはそうなんだけどさ。
高大接続改革ってそういうことなのだろうけどさ。
なんだろうな。「意志」っていうか。
そういうのが違和感なのか。
「本気」っていう言葉から来る「一体感」みたいなのがいやなのか。
「場」の居心地の良さは「ベクトル多様性」から来る、っていうことからなのか。
「遊び」とか「没頭」には「意志」はないんじゃないか、とか。
一方で、「一体感」は嫌だけど、「全体性」の希求みたいなやつはあって、
それは両立するのか、とか。
「○○のために」っていう目的志向は、教育の宿命なのか、とか。
「個人」じゃなくて「場」としてやれないのか、とか。
学校っていうのはそもそも「場」であるし、その「場」のチカラを高めることをしなければ、
ネットの高校には勝負にならないし。
地域こそが「場」であるし。
「評価」⇐「達成」⇐「指導(教授)」(授業、部活動のパラダイム)
「創造」⇐「発見」⇐「実験」(探究のパラダイム)
とかとか。
いろいろ思ったのだけど。
一番ピンと来たのは、探究は遊びの延長上にあるってことかな。
大人も子どもも、探究的に遊べばいいんだと。
そういうマイプロ、アワプロしていけばいいんだよねって。
それには「環境」と「場」が必要で。
それをうまく作っているのがこの前見学に行った
益田市の事例なのではないかなあと。
さて。
本日は「おとな未来フォーラム」で、地域の中学生の保護者のみなさんと探究してきます。