プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 28人
オーナーへメッセージ

2020年11月24日

「一回性」と「シェア」と「神話」

オンライン劇場ツルハシブックス

5月からやっている
ツルハシブックスの劇場部分だけを
取り出したオンラインイベント。
毎回のゲストに問いをたくさんもらう。

昨日は第1部~3部まで、問いに溢れた時間。
自分が東京在住の20代会社員だったら刺さりまくっているなと。

~~~ここからメモ

タイトルつけるなら「軽やかな移住」

第1部はゲスト島根県益田市の大庭周さんと僕のトーク

移住1年目。24歳。
静岡県出身で東京での会社員を経て益田へ。
仕事ではユタラボ(豊かな暮らしラボラトリー)で
高校の探究の授業や下記の「益田のひと」のインタビューなどを行う。
https://masudanohito.jp/

主に社会教育ジャンルで活躍する大庭さんには、もうひとつの顔が。
「オトナ楽団」:」大人がもっと益田の暮らしを楽しんでもいいんじゃないか。

ということで開いたのが「昼カレー会」。

近所の人たちに呼び掛けて、道路でカレーを食べる。
写真を見ると、ホントに道路にはみ出してゴザ敷いているので大丈夫か、と思うのだけど
道路はこの先行き止まりになっているので知っている車しか来ないのだそう。

その他にも島根県立大の学生と
「フォトウォーク」なるものを開催。
町の至る所にある名所をそれぞれの切り口で切り取る。
写真を撮るだけじゃない。

「このまちでしかできないこと(もの)がきっとある」みたいな感覚。

「ずっといるわけじゃない」
「住んでみた、移住してみた、やってみた」
「関係人口と移住のあいだ」
「ライトな移住」
「24歳じゃないとできない」

大庭さんの一言一言が突き刺さる。
クランボルツ博士の「計画された偶発性理論」を
彷彿とさせるような「場」を生み出すひと。

そっか。
計画された偶発性理論はキャリアだけではなく、
「場」の理論でもあるんだ。

このまちで、いま、自分がいないとできない
こと、もの、イベント、企画。
それが二度とない「一回性」の高い「場」を生み出す。
「舞台」としてこのまちを認識できるか。

後半、さらに突き刺さる一言が。
「20代の1年1年は重い。若さを武器にしたい。24歳じゃないとできないことを」

なんか。
東京在住でもやもやしている20代会社員の方に伝えたいメッセージに詰まった第1部でした。

その勢いをそのままに、
第2部は「イケト×井上有紀」のシェアハウストーク。
これも問いがありましたね。

タイトルつけるなら「人間らしい暮らし」

1人で完結する暮らし/誰かと会う理由が必要
ご飯を作っていたら誰かが帰ってきて一緒にご飯を食べる。

暮らしをシェアする、ということ/所有感がない
人生も自分のものじゃなくなる。/楽になる
★そもそも人生は自分のものではない。
「人生」をシェアしよう/その時に自分と同じ「場」にいる誰かとつくる「人生」

「相手がいると、選択肢が狭まる」
⇒人生が無限だったら、自分の答えを探し続けてもいい。
⇒人生は有限だから周りに影響され、翻弄されてもいい。

自分らしい暮らし⇔人間らしい暮らし。
「人間らしい」とは何か?⇒共同体、人と人のあいだ。

ともにある存在。
自然=偶然。
偶然から生まれる創造性。

「人生は自分のものじゃない。」
名言でしたね。

第3部 対話の部屋
大学生はなぜ農、まちづくりを目指すのか。

アイデンティティ問題の対処法として
「継承者であること」がひとつ、方法になるのではないかと。

せいたろうくんが解説する一言一言に、
なるほど、とうなった。
「バックグラウンドにストーリー性があると信頼できる。」

たしかに。
「なぜやるか?」「どのようなストーリーでここに至るのか?」
っていうのがないと、なかなか応援できないもんね。

それって、自分に置き換えてみたら
まさに「存在」の話なのではないか。

いや、そもそも。
「国家」でさえも「神話」を必要としているんだ。
国家のアイデンティティは「神話」を語ることだし、
地域のアイデンティティは「祭り」と「言い伝え」をつないでいくことだ。

ひとりひとりの「存在」にも、神話が必要なのではないか。
もちろん、それはフィクションだ。

僕が吉田松陰先生から直接教えを受けたわけでもないし、
萩にゆかりのある生まれでもない。
宮澤賢治先生も岡倉天心先生も同じだ。

でもその継承者であるというフィクションをつくり、
そのストーリーに人生を委ねていく。
「存在」というのは実はそういうところで感じられるのかもしれない。

大切なのは「自分で決める」ことなんだと、ひやまりょうが言った。
社会的にどう評価されるか?でプロジェクトをスタートしてはいけないと。
最初から「人の役に立つ」みたいな要素を考えていいのか?と。

答えのない問いに挑むには「発見」のパラダイムが必要で、
答えのある問いに対しては「達成」のパラダイムが有効だ。

そして、答えのない問いに挑むには、
もしかしたら「神話」が必要なのかもしれない。
なぜ、そこに挑むのか、だ。

~~~ここまでふりかえりメモ

ぜんぶつながってるな、と。
「場」の話だなと。
まあ、それは僕の編集なのだけど。

大庭さんの「軽やかな移住」は、
そこに「一回性」の高い「場」を生み出した。

このまちで、いま、自分(たち)にしかやれないこと。
これは、「場」の構成要素である「誰と、いつ、どこで」に対応している。
カレー会も、フォトウォークも一期一会の瞬間を生み出している。

イケト×井上有紀のシェアハウスの話がつづく。
「人生は自分のものではない」という感覚。

シェアハウスは、「家」をシェアしているのではなく。
日常でありながらも「偶然性」の高い「場」をシェアしているんだなと。
暮らし、人生そのものを「シェア」している、
というか「シェアしている感覚」をシェアしているのかもしれない。

ラストの対話の部屋の「神話」の話も、
少し抽象化(メタ化)した「場」の話だったように思う。

「場」には神話(物語)が必要なんだ、と。
特にゴールが明確(確実)じゃない「場」には。
ひとりひとりの人も「場」であるとすれば、

その場に立つための神話(物語)が必要で、
それはフィクションなのだけど、そのフィクションを自分で選んでいる、
っていうことが大切なのではないかと。

今回のオンライン劇場は、非常にタイムリーでした。
出演&参加していただいた皆様、ありがとうございます。


  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)イベント日記