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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年06月21日

「心」に代わる何か


「あわいの力」(安田登 ミシマ社)

こんな本があったんですね。(2014年刊)
完全に見落としていました。

福島のbooks&cafeコトウさんありがとう。

サンクチュアリ出版営業時代、営業先の金沢の本屋さんが言っていた
「目の前に来た時が新刊」を思い出しました。
今こそ、って感じだし、余白デザイナー必読の一冊。笑

能楽師のワキ方という視点から、
すごい問いをガンガンと投げ込んでくれます。
芸術家ってすごいなあ。

詳しくは本書を読んで頂くとして、本日は、
いちばんすごかった「第六章:甲骨文字から「心」の誕生に迫る」から。

甲骨文字ですよ、甲骨文字。亀の甲羅とか牛の肩甲骨とかに書かれていたあれです。
紀元前1300年(いまから3300年ほど前)の甲骨文字で書かれた文章を解読していきます。

甲骨文字を解読しながら、まずは「占い」について。
かつて骨や甲羅に錐で穴をあけて骨を焼き、骨にヒビを入れ、そのヒビの入り方から問いの結果を読み解くという占いが行われていました。そのヒビの形の象形が「ト」という字です。なるほど、だから「占い」っていう字に「ト」が入っているんですね。

占いは三つの作業から成り立っています。
ひとつは、問いを発すること。二番目が「ト」。最後に「ト」の結果を読み解いて答えを出す。
自分の力でやれるだけやって、考えるだけ考えて、それでも答えが出ない問題、それを問うのが「占い」です。

そして、「心」の誕生の話です。
甲骨文字を読み解くと、どうも「生け贄」の話らしい。
その頃に文字を使っていた方には「心」と「時間」があり、
生け贄にされるほうには牛と同じく「時間」という概念が無かった。
「時間」は「心」から生み出される。つまり、「心」がなかった。

「心」がなければ、未来に自分が死ぬかもしれないという恐怖心を抱かずに
人は死ぬものとして、当たり前のこととして受け入れる。

~~~ここから一部引用

人間は「心」を得たことで、時間というものの存在を知り、未来を変える力を手にしました。

「心」によって、過去・現在・未来という時間の流れを感知することができるようになりましたが、人間は時間そのものを見ることも、それをコントロールすることもできません。その結果、人間は、過去に対する後悔や悲しみ、未来への不安や恐怖を感じるようになり、ヘタをするとそういう感情に押しつぶされそうになっていきます。それが「心」のもたらした副作用です。

それをなんとかしようとしたのが、孔子であり釈迦であり、イエス・キリストです。
三人の思想には多くの共通点がありますが、もっとも重要なことは「信じる」ことが彼らの思想の基盤になっていることです。

「文字」があるから、人間は過去を知ることができ、過去から現在への時間の流れを想像することで、未来という存在しない時間についても思いを巡らせることができるようになった。つまり、孔子と釈迦とイエスの考え方は、時間と信仰がベースになっているのです。

~~~ここまで引用

な、なるほど。。。
「心」と「時間」か。
考えたこともなかった。
すごい問いだなあ。

ということで、この2000年ものあいだ、
孔子や釈迦、イエス以上の人が現れておらず、
現代は「心」の副作用がピークに達していると言います。
(この本は2014年刊行ですから、いま、2021年はさらに、な感じがします)

このようなことを踏まえて、著者は以下のように続けます。

~~~

そろそろ「心」に代わる何かが生まれないと、人類がいま直面する苦しみから逃れられることはできません。「心」の最大の欠陥は、時間の流れに対しては無力であることです。それを補うような新しい何かを得たときに、人類は次のステージに進むことができると思うのです。

そのために、「心」が生まれたときのことを、私たちは一度、きちんと見据えたほうがいいと思っています。

「心」が生まれてくる流れを振り返ってみると、そこには必ず「文字」の存在があります。「文字」を獲得した人類が、思考や言語を二次元で表現・記録することができるようになった。それによって過去という時間を目で見ることができるようになり、時間の流れを間接的に感じることができるようになったのです。

つまり、「文字」が「心」を生み、「時間」をつくり出し、「時間」を知った人類が感じるようになった不安と向き合うために、孔子や釈迦やイエスの思想が生まれたのです。ということは、「心」に代わる何かが生まれるためには「文字」に代わる何かが、その前に生まれる必要があるということです。

~~~

壮大な問い。
しかし、問わなければならない問いだし、実践していく必要がある問い。

「心」に代わる何かとは?

僕は「場」であり、「創造性」であり、「弱さ」だと思っています。  

Posted by ニシダタクジ at 08:02Comments(0)