2021年07月06日
越えて、ともに、やってみる
地元中学3年生に対しての高校説明会でした。
他の高校のプレゼンを見ていたら、
「これだけの進学実績があるし、先輩もいるから、大学に進学したい人は来てね」
「勉強して進学したい子も、部活を頑張りたい子も、地域で活動したい子も、うちの高校に来たら何でもできるから、みんな来てね。」
みたいな感じ。プレゼンも上手だし。
いや、スペックでは全然勝てないな、と。
だから、昨日の寮の話じゃないけど、前提を疑うこと。
高校って、どんな場所だっけ?
・やりたいことを見つけて、進路選択をし、力をつけて、将来につなげる場。
本当ですか?と。
そこで、今朝読んでいたこの本。
「マルチ・ポテンシャライト」(エミリー・ワプニック PHP研究所)
副題は「好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法」です。(及川さんが好きそうなタイトルです・・・)
TEDトークの書籍化ですが、やっぱりわかりやすいですよね、主張の順序がいい。
今回は最初の方しか読んでいないのですが、昨日の話と少しつながってくるので少しアプトプットしてみます。
まずはここから。
~~~
大人になったら何になりたいの?」という質問が、夢を膨らませる楽しいゲームから、何やら深刻で、不安な気持ちをあおるような問いに変わってしまう。「現実的な答えを出さなくちゃ」というプレッシャーが生まれる。
はっきり「一つ」とは言っていないが、「大人になったら何になりたいの?」は、「この人生で許されるアイデンティティは一つだけ。だから、どれにするの?」という意味だ。
~~~
ツルハシブックス時代に、主に新潟大学の大学生が悩んでいたことは、「やりたいことが分からない」と「自分に自信がない」だった。
キャリア(仕事選び、就職活動)の問題が深刻なのは、それがアイデンティティの問題に直結しているからである。
「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」は違うことを言っているようで、その根にはアイデンティティの危機がある。それを言えてはじめて自分は個人(大学生)として承認されるからだ。
そしてその根には学校(化)社会しか目の前に存在しないことが挙げられる。学校(化)社会は、目標を設定しそれに向かって歩みを進めることを前提としている。PDCAを回すために、計測可能であることが重要になる。
なりたいものが具体的職業の場合(しかもそこそこ生活していける専業の)は歓迎されるが、いわゆる在り方や抽象的なコンセプトの場合は、ほとんど認められないし、本人も納得できていないだろう。
昨日のプレゼンは、この話から入ったほうがよかったか。(時間ないけど)
「やりたいことは何か?」という問いと、問いの前提である、目標達成型でスペシャリストとして専業で仕事をするスタイルは、現在のような予測不可能な時代には、リスクが高いのだと。
だから、昨日も少し話したけど、
「越境・遭遇」⇒「対話・協働」⇒「試行・省察」のサイクルを回していくことが大切で。
しかもその主語は、個人単位ではなく、「個人」と「場」の動的平衡的な主体であると。
個人では「問い⇒機会⇒振り返り」が起こり、「場」では、機会⇒対話・協働⇒試行が起こる。
それを具体的にやっていくのがプロジェクト型学習であり、プロジェクト学習の前提として越境による他者(または環境)との遭遇と、他者理解のための対話がある。だから、地域の多様な人たちが関わる必要があり、学校を飛び出して地域を舞台に試行してみる必要があるし、それをコーディネートする人たちも必要になる。
キャリア的な視点でいけば、高校生がなりたいものやロールモデルを見つけるために地域(の人や環境)があるのではなく、プロジェクトのメンバーとしての多様性や越境・遭遇・対話のために、協働・試行・省察のパートナーとしてそこにあるのだと思う。
そういう意味では、一般的な高校説明の文脈で語られるような
・やりたいことを見つけて、進路選択をし、力をつけて、将来につなげる
場としてあるよりも、
「越境・遭遇」の機会をつくり、「対話・協働」する多様な人たちがいて、「試行・省察」する、というプロジェクト型の学習は、予測不可能な、答えのない時代において、一生使えるマインドやスキルを磨くのではないか、ということ。
さらに言えば、「マルチ・ポテンシャライト」に書いてあるような
~~~
マルチ・ポテンシャライトのスーパーパワー
1 アイデアを統合できる
2 学習速度が速い
3 適応能力が高い
4 大局的な視点を持っている
5 さまざまな分野をつなぐ「通訳」になれる
~~~
を、「場」として発揮できないか?という感覚を、プロジェクトを通じて得ていくことは、一生使えるスキルというかマインドになるのではないか、と考えられる。
マルチ・ポテンシャライトの64ページはこんな見出しで始まる。
「これは単なるキャリア論ではない―人生設計そのものだ」
もはや「やりたいことは何か?」と問いかけている時代や社会ではないのだ。
予測不可能な社会を、未来を、何とか生きていくために、
「越境・遭遇」し、「対話・協働」し、「試行・省察」する。
「越えて、ともに、やってみる」
そんなまなびを創造していく必要があるし、それは楽しいことだと僕は思っています。
他の高校のプレゼンを見ていたら、
「これだけの進学実績があるし、先輩もいるから、大学に進学したい人は来てね」
「勉強して進学したい子も、部活を頑張りたい子も、地域で活動したい子も、うちの高校に来たら何でもできるから、みんな来てね。」
みたいな感じ。プレゼンも上手だし。
いや、スペックでは全然勝てないな、と。
だから、昨日の寮の話じゃないけど、前提を疑うこと。
高校って、どんな場所だっけ?
・やりたいことを見つけて、進路選択をし、力をつけて、将来につなげる場。
本当ですか?と。
そこで、今朝読んでいたこの本。
「マルチ・ポテンシャライト」(エミリー・ワプニック PHP研究所)
副題は「好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法」です。(及川さんが好きそうなタイトルです・・・)
TEDトークの書籍化ですが、やっぱりわかりやすいですよね、主張の順序がいい。
今回は最初の方しか読んでいないのですが、昨日の話と少しつながってくるので少しアプトプットしてみます。
まずはここから。
~~~
大人になったら何になりたいの?」という質問が、夢を膨らませる楽しいゲームから、何やら深刻で、不安な気持ちをあおるような問いに変わってしまう。「現実的な答えを出さなくちゃ」というプレッシャーが生まれる。
はっきり「一つ」とは言っていないが、「大人になったら何になりたいの?」は、「この人生で許されるアイデンティティは一つだけ。だから、どれにするの?」という意味だ。
~~~
ツルハシブックス時代に、主に新潟大学の大学生が悩んでいたことは、「やりたいことが分からない」と「自分に自信がない」だった。
キャリア(仕事選び、就職活動)の問題が深刻なのは、それがアイデンティティの問題に直結しているからである。
「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」は違うことを言っているようで、その根にはアイデンティティの危機がある。それを言えてはじめて自分は個人(大学生)として承認されるからだ。
そしてその根には学校(化)社会しか目の前に存在しないことが挙げられる。学校(化)社会は、目標を設定しそれに向かって歩みを進めることを前提としている。PDCAを回すために、計測可能であることが重要になる。
なりたいものが具体的職業の場合(しかもそこそこ生活していける専業の)は歓迎されるが、いわゆる在り方や抽象的なコンセプトの場合は、ほとんど認められないし、本人も納得できていないだろう。
昨日のプレゼンは、この話から入ったほうがよかったか。(時間ないけど)
「やりたいことは何か?」という問いと、問いの前提である、目標達成型でスペシャリストとして専業で仕事をするスタイルは、現在のような予測不可能な時代には、リスクが高いのだと。
だから、昨日も少し話したけど、
「越境・遭遇」⇒「対話・協働」⇒「試行・省察」のサイクルを回していくことが大切で。
しかもその主語は、個人単位ではなく、「個人」と「場」の動的平衡的な主体であると。
個人では「問い⇒機会⇒振り返り」が起こり、「場」では、機会⇒対話・協働⇒試行が起こる。
それを具体的にやっていくのがプロジェクト型学習であり、プロジェクト学習の前提として越境による他者(または環境)との遭遇と、他者理解のための対話がある。だから、地域の多様な人たちが関わる必要があり、学校を飛び出して地域を舞台に試行してみる必要があるし、それをコーディネートする人たちも必要になる。
キャリア的な視点でいけば、高校生がなりたいものやロールモデルを見つけるために地域(の人や環境)があるのではなく、プロジェクトのメンバーとしての多様性や越境・遭遇・対話のために、協働・試行・省察のパートナーとしてそこにあるのだと思う。
そういう意味では、一般的な高校説明の文脈で語られるような
・やりたいことを見つけて、進路選択をし、力をつけて、将来につなげる
場としてあるよりも、
「越境・遭遇」の機会をつくり、「対話・協働」する多様な人たちがいて、「試行・省察」する、というプロジェクト型の学習は、予測不可能な、答えのない時代において、一生使えるマインドやスキルを磨くのではないか、ということ。
さらに言えば、「マルチ・ポテンシャライト」に書いてあるような
~~~
マルチ・ポテンシャライトのスーパーパワー
1 アイデアを統合できる
2 学習速度が速い
3 適応能力が高い
4 大局的な視点を持っている
5 さまざまな分野をつなぐ「通訳」になれる
~~~
を、「場」として発揮できないか?という感覚を、プロジェクトを通じて得ていくことは、一生使えるスキルというかマインドになるのではないか、と考えられる。
マルチ・ポテンシャライトの64ページはこんな見出しで始まる。
「これは単なるキャリア論ではない―人生設計そのものだ」
もはや「やりたいことは何か?」と問いかけている時代や社会ではないのだ。
予測不可能な社会を、未来を、何とか生きていくために、
「越境・遭遇」し、「対話・協働」し、「試行・省察」する。
「越えて、ともに、やってみる」
そんなまなびを創造していく必要があるし、それは楽しいことだと僕は思っています。