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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年07月17日

一生残る問いを投げかけることができるか?


「探求のススメ」(宮地勘司 教育開発研究所)

15年以上にわたり、「クエスト」という教育プログラムを
学校現場に提供してきた「教育と探求社」代表の宮地さんの渾身の1冊。
「総合的な探究の時間」の設計している人にはおすすめの1冊。

タイムリーすぎて泣けてきました。本屋の神様、ありがとう。(新潟紀伊国屋書店で購入)
実践者の言葉はホントすごいなと。かっこいい。

まず紹介したいのは
「ファシリテーター」としての教師のあり方。

「教育と探求社」の「クエスト」プログラムでは、ファシリテーターのあり方として以下の4つを先生方に伝えている。

~~~以下P39~引用

1 信じること
どんな生徒のなかにもある、成長の可能性を信じることです。生徒が自分の思いを発露すること、仲間とのやり取りのなかから新たに何かをつくり出すこと、そこから新たな学びを得ること、そのことが生徒にとっては歓びとなり、成長となること。たったひとつの正解も、勝ち負けもない世界では、誰もがオンリーワンの輝きを放つことができます。そのことを教師が深く理解していることが大切です。

2 感じること
生徒の微妙な変化、柔らかな変化を常に繊細に感じ取ることです。表には出せなくとも、生徒の心のなかにはさまざまな揺らぎや複雑な変化が瞬間ごとに起こっています。先生はそこに意識を向けてください。わだかまりや違和感がありそうな顔、なにか言いたそうな気配に敏感になり、必要に応じてタイムリーに声かけをします。生徒の最終アウトプットの出来不出来で判断するのではなく、それ以前にある柔らかな心の動きと対話するようにしましょう。

3 待つこと
生徒の成長は、計画的、合理的には起こりません。それは生徒の内側から潮が満ちるように自然に起こります。赤ん坊が言葉を発するとき、自分の足で立ち上がるタイミングを計測することはできません。
知識の詰め込みやスキルのトレーニングであれば、どれくらい時間をかければどれくらいの成果が出るのか、ある程度予測できます。しかし、人の本質的な成長は、時間で計測したり、予測したりすることはむずかしいものです。教師は全力で応援し、信じて待つことしかできません。そしてそのような教師の意識やあり方こそが、生徒を安心させ、信頼を醸成し、成長を促すことになるのです。

4 一緒にいること
これまでの学びにおいては、先生は知識の番人として生徒の向かい側に対峙していたかもしれません。膨大で、複雑で、堅牢な知の体系を教師は自らの後ろに背負い、それを分解し、少しずつ、わかりやすく、秩序立てて、ときに事例をまじえながら生徒に届ける役割を担っていました。
しかし、クエストの学びにおいては、生徒は知の探求者です。自らの興味・関心に沿いながら、まるでRPG(ロールプレイングゲーム)のように、積極的に学んでいきます。先生はそんな生徒の伴走者として常に生徒の傍らにいて、同じ方向を向き、生徒を応援しながらともに歩んでいきます。教師は、管理者、裁定者の地位を自ら進んで降りることが必要です。

~~~ここまで引用

あまりにも大切にしたいので、写経してしまいました。
すごい。

信じること、感じること、待つこと、一緒にいること、ですね。

スクールウォーズの「愛とは、相手を信じ、待ち、許してやること」を思い出しました。

あとは大事マンブラザーズバンドの「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」と。
(いまユーチューブで検索しました。笑)

特に大人に必要なのは、「感じること」なんだろうと思います。
生徒のちょっとした変化を感じ、タイムリーに声掛けをする。
それが大人にとっても大きな学びにつながるのだろうと思います。

あとまた少しメモを。

~~~
子どもが自ら学びを取り戻すための工夫
1 自分が学びの起点となる。
野性的な学びの力を賦活するためには、自分という存在が欠かせません。社会構成主義で言うところの唯一無二の客観的真実があるのではなく、意味が関係性の中に立ち現れるという学習観においては、自分の存在自体が学びのプロセスに含まれている必要があります。
水槽を客観的に外から観察するのではなく、自らもその水槽の中で魚たちとともに泳ぐのです。客観的な個体のような知識の塊を自分という袋の中に順番に入れていくような学びではなく、世界と自分との対話を通じて、その関係性の中に意味が立ち現れるわけですから、自分という存在なしには学びは起動しないのです。
(中略)
何気ない日常の気づきからイノベーションを起こしてみるという原初的な体験をすることが、子どもたちの野生の探求心に火をつけるのです。自分と切り離されて世界のどこかに格納された立派な知識ではなくて、自分との関係性のなかから紡ぎ出された「意味や想いを内包した知」を扱うことをとてもとても大切にしています。
(中略)

2 生きた素材で学ぶ
生きた素材は、こちらが働きかけることでほんの少しかもしれませんが変化する可能性があります。たとえほんの少しでも何かが変えられるとしたら、自分がこの世に生きている意味を実感することができます。自分にも居場所があるのだと思えるようになるかもしれません。

3 一貫したストーリーで学ぶ
物語の世界観があり、コンセプトに沿った初期の状況設定があり、自分たちの役割が決まれば物語は自動的に展開し始め、生徒たちは主体的に動き出します。

4 心理的安全性を確保する

そして、クエストの3つの目的
1 生徒が自ら学び、成長する
2 学校が学び合いの場となる
3 社会とつながり、社会を変える
~~~
第3章クエストエデュケーションとは何か?で紹介されている
企業探究コースの内容も参考になるなあと。

1 フィールドワーク・・・職場体験(現場を知る)
2 アンケート・・・初仕事(顧客を知る)
3 ミッション提示・・・プロジェクトのスタート
このミッション提示の時に、哲学的な問いを投げかける、という方法。
「人が生きる原点を支える大和ハウスの世界に広がる新商品を開発せよ」とか。

生徒たちは「生きる原点」という問いに対してブレストを重ね、提案を考えます。
「思い出」「利便性を求める進化の力」「温かい食事」という原点に対して
このようなサービスができるのではないか、と語ります。

~~~
「人が生きる原点」という普遍的かつ本質的価値をとことん探求し、そこから出される企画に関しては正解はなく自由であるという構造が子どもたちの創造力を発露させるのです。

いやあ、すごい。すごいわ。
この実践を通して、生徒だけではなく教師も企業人も変化が起こると宮地さんは言います。
先生は対話型の授業スタイルへとシフトし、企業人のリーダーシップも対話型になります。

今回、いちばん心震えたのは、企業人のエピソードでした。

~~~
若手の女性技術者が学校訪問をし、生徒から「〇〇さんが、仕事をしてきたなかで、もっとも企業理念を実現できたと思う仕事について教えてください」と問われたことがあります。彼女は想定外の質問にドギマギしながら、なんとか経験を高速で振り返り、内なる思いを探索し、答えを絞り出します。終了後「これまで受けたどの研修よりも厳しかった」と私にフィードバックをくれました。生徒たちの純粋な瞳の前にうそやいい加減なことは言えません。瞬間的な振り返りではありますが、「私は企業理念というものにどのように向き合い実践しているのか」、本気の内省から得られた気づきが大きかったと思います。

またある企業の現場の担当者はこんなことを言っていました。

「学校を訪問すると多くの生徒に出会います。しかし、一人の生徒とコミュニケーションできるのはほんの5分もない。ですから、ただ漫然とやりとりするのではなくて、彼らの心に一生残る問いをこちらが投げかけることができるかということを大切にしています。決して簡単なことではありませんんが、それが企業が教育にかかわらせていただく責任だと思うのです。
~~~

すごいな、この真剣勝負。
涙でる。

第3章はこのように締めくくられます。

「世の中にはほんとうに正解はなく、多くのまだ見ぬ可能性に満ちている。自分は自由で創造性に満ちている。社会は少しずつでも変えることができる。それゆえに人生は生きるに値する」生徒が心の底からそう思えたら、それで教育は成功ではないでしょうか?

アツいなあ。ホント、それです。
そんな実感が持てる授業や課外活動、マイプロをつくっていきたいなと思います。

学びは「大いなるものへの過程である今を瞬間的に切り取ったもの」だと思う。それは、大学合格や就職内定と言った短いスパンのものではなく、自分の人生の長さや、自分ひとりの人生というスケールを超えた「大いなるもの」に向けた「過程」であると思う。

その「過程」において、「先に生まれた」ことは、なんのアドバンテージでもない。

いま、この瞬間、この空間で、自分の心がどうしようもなく動く何かを発見し、それがもし課題があるとすればその課題を解決したいと思い、行動すること。

そこに伴走する大人たちもまた、問いを持ち、活動し、問いに答えていくこと。

「一生残る問いを投げかけることができるか?」という観点はすごい。
15歳から18歳に出会った問いで、人生は動くのだから。

問いというベクトルを得ること、そしてプロジェクトで小さな変化を起こすこと。
そこに「存在」もあると思う。

大学生の「存在」に対する不安は、「知りたい、わかりたい」という本来の「野性的欲求」を受験というシステムに適応するために制御ししてきたことに大きな原因があるのかもしれない。勉強するといいことがあるという「利得欲求」を学習のモチベーションとしてきたとしたら、努力して大学に入った人ほど入学前に知的好奇心を発動しないようになっているのではないか。

「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」という存在に対する不安は、「未来をこの手でつくっている」という実感の少なさからも来るのではないか。そうだとすると、高校生のときに何を学ぶか、大学生の夏休みをどうすごすか?という問いに対して、「小さな共同体で、リアルな実感のある実践的な学びをすることで、未来は自分の手の内にあると実感する」ことから始まるのではないか。

今月にはまた地域みらい留学説明会がある。
これをどのように表現していけばいいのかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び