2022年01月10日
「越境」して問いを見つける
「うしろめたさの人類学」(松村圭一郎 ミシマ社)
「くらしのアナキズム」を先に読んでしまったのですが、そのベースはこちらにあるということで。
いきなり本質的な話。
探究活動もビジネスもカギは中動態と人類学的アプローチなのではないかと直感しています。
今回はP52から抜粋。
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人類学のフィールドワークでは、他者との深い関わりの中に身をゆだねる。気心の知れた人と過ごすわけではないので、ときに想像もつかない状況に立たされ、戸惑う。「フィールド」になじんだ身体は、今度は「ホーム」に戻って、また別の「ずれ」を経験する。
人類学は、この自分の居場所と調査地とを往復する中で生じる「ずれ」や「違和感」を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。
人類学では「ホーム」と「フィールド」との往復が欠かせない。そして、その両者が思考の対象となる。人類学といえば、よく遠くの国の異文化について研究していると思われてしまうが、人類学者はたんにフィールドの「かれら」だけを調査しているわけではない。
エチオピアにいると、日本とは違う感情の生じ方を経験する。そこから、日本社会の感情をめぐる環境の特殊さに気づくこともできるし、それまで疑問をもたなかった「感情とはなにか?」という根本的な問いにも自覚的になれる。
人類学者が向き合う問いの多くは、最初から自分のなかにあるものではない。「ホーム」と「フィールド」を往き来するなかで、あるとき到来するものなのだ。
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スピノザ先生に出会ってから、アイデンティティ(自分らしさ)を決めるのは、「形」(スペックや肩書き含む)ではなく「問い」(ベクトル)である、ということが分かった。
じゃあ、その「問い」をどうやって得るのか?
それは「違和感」から。
そしてその「違和感」をどうやって得るのか?
それは「感性」の発動と、「越境」だろうと思う。
だから、「越境」しないといけない。
異世界に足を踏み入れなければならない。
自分が自分になるために。
「ホーム」と「フィールド」を往復し、その「ずれ」をキャッチすること。
ときには、体を動かして、感情を発動させられる状態になっていること。
それは社会人だったら、温泉旅行であり、副業になるのかもしれない。
大学生だったら、ひとり旅であり、インターンシップになるのかもしれない。
「人類学者が向き合う問いの多くは、最初から自分のなかにあるものではない。「ホーム」と「フィールド」を往き来するなかで、あるとき到来するものなのだ。」
これって、人生にも当てはまるのではないか、と思いました。
「越境」して問いを見つけること。
そこから次の人生はスタートするのではないかなと。