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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2022年03月08日

アイデンティティの脱中心化


「世界は贈与でできている」(近内悠太 ニューズピックスパブリッシング)

読み終わりました。
ジワ―っと熱くなる読後感。
いいなあ、こういう本。

僕がいまなぜここにいるのか?
問い直される1冊。

美しい月を見て、「今日は月がキレイだね」と誰かに伝えたくなる自分。
それは自然からの一方的な贈与を、誰かに分け与えてたくなるからではないか。

メッセンジャー(手紙の運び手)であり、アンサング・ヒーロー(歌われざる英雄)である自分。
そんな存在として生きていきたいのではないか。

2015年に東京・練馬でスタートした「暗やみ本屋ハックツ」活動は、
本を通じた「贈与」の可能性という社会実験であるのかもしれない。
http://hero.niiblo.jp/e487092.html
(歌われざる英雄が詰まった本棚 18.3.7)

今日も少しだけ紹介します。
~~~
まずはマッキーの歌から。
「今君がこの雪に気づいてないから/誰より早く教えたい/心から思った」(槇原敬之「北風」)と感じたり、雪を見たら誰かに逢いたくなったり、思わず「雪がきれいだね」と言いたくなったりする。あるいは、月を見上げて愛の言葉を伝えたくなる。僕らに何かしらのアクションを迫り、しかもそのアクションは「他者とのつながり」へ向かっているという点において、それは生命力と言えるのではないでしょうか。

受け取った純粋な自然の贈与を、それをまだ受け取ることができていない誰かに向けて転送する、つまり、贈与を受け取った人はメッセンジャーになるということです。

手に入れた知識や知見そのものが贈与であることに気づき、そしてその知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶのです。そしてその人はメッセンジャーとなり、他者へと何かを手渡す使命を帯びるのです。使命感という幸福を手に入れることができるのです。

なぜ僕らが「仕事のやりがい」を見失ったり、「生きる意味」「生まれたきた意味」を自問したりしてしまうのか。それが「交換」に根差したものだからです。

ギブ&テイク、ウィン-ウィン。残念ながらその中から「仕事のやりがい」「生きる意味」「生まれてきた意味」は出てきません。これらは贈与の宛て先から逆向きに返ってくるものだからです。それがメッセンジャーとなり、アンサング・ヒーローとなり、贈与の宛て先から逆向きに仕事のやりがいと生きる意味を与えられるための道なのです。
~~~

そうなんですよね。
昨日書いた、まずは贈与の受け手となる。
そしてそれをシェアしたいと思う。
生きる意味はそこから始まっていくのだと。

ここに、僕はこれからのライフスタイルの進む方向を感じる。

昨年6月に読んだ「学びの脱中心化」
http://hero.niiblo.jp/e491788.html
(二人称的アプローチとアイデンティティ)

学びと同じように、仕事とか働くことも中心がなくなっていくのではないか。
それはなぜか?

「交換主体」としてだけでは、人は生きられないからだ。
自分が存在する意味を感じられないからだ。

仕事と、副業と、プロボノと、ボランティアと、ファンと、その境目(輪郭)がだんだんと溶けていく。その境目(輪郭)を溶かし、さまざまな自分(特に贈与の受け手であり、渡し手である自分)を演じなければ、自分らしさという実感が得られないからだ。

それってサードプレイス論にも通じるのかもしれません。異なった価値観に支配された場で様々な自分を演じること。

リニア(直線的)な世界とノンリニア(非直線的)な世界では、アイデンティティのつくり方は違うのではないか。これまでの直線的に発展してきたリニアの世界では本業(仕事)がアイデンティティの中心だがノンリニアの世界では、仕事、副業、プロボノ、ボランティア、ファンの組み合わせの集合体がアイデンティティになる。

アイデンティティの脱中心化。
贈与の受け手であり、送り手である自分。
メッセンジャーでありアンサング・ヒーローを目指す自分。
それをこの自然豊かな町のベクトル感のある「実践の共同体」で体感、実践していくこと。

たぶん、そういう感じ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)学び日記