2022年04月12日
「探究」はゲームなのだろうか
「人生はゲームなのだろうか?」(平尾昌宏 ちくまプリマー新書)
蔦屋書店新潟万代店にて購入しました。
あそこはシェアラウンジとかできていてすごいです。
ビール飲み放題1時間1320円とかしながらミーティングしたいです。
ということで。
今年のキーワードのうち熱いのは「ゲーミフィケーション」なのですけど。
http://hero.niiblo.jp/e492335.html
(ゲームにはゲームを 22.3.5)
前回のポイントは、こちら
1 アンロック(解錠)
「アンロック」はかけられた鍵を一つずつ解錠していく」という意味だ。
アンロックが用いられると、最初にプレーヤーができることはほぼ一つしかない。「スーパーマリオブラザーズ」であればジャンプしかできない。だがしばらくプレイしていると「レベルアップしました」と言われ(アイテムを取り)、たとえば火を使うことができるようになる。さらにプレイを進めると空を飛べるようになったりする。
2 レベルデザイン
「レベルデザイン」はプレイヤーの自発性を損なわずに、ゲームの難易度を高めていく。そのため、「アンロック」よりもさらに高度な手法だと位置づけることもできるだろう。
「マリオなら、ひとつのネタがあったら必ずそれを覚える場所、実際遊ぶ場所、応用する場所、極める場所がある」(任天堂・宮本茂)
この重要な2つの前に、
哲学者平尾さんが送る、「そもそもゲームとは何か?」っていう話。
まだ途中なんですけど(パートⅡまで読み終わり)
ゲームの定義は(参加者にとって共通の)
1 ゴール(目的)がある
2 ルール(制限)がある
ということです。そうしたら掃除も戦争もゲームじゃないか、みたいな話の中で出てきたのが
3 プレイヤーが自発的に参加する
そこで「ボランティア」と「仕事」の違いとか「遊び」と「仕事」の違いとか
そんな話に展開していって、
「すること自体が目的」=「遊び」=目的内在型
「することによって何か目的が達成できる」=「仕事」=目的外在型
みたいな話に展開していき、掃除や受験や戦争は個人の捉え方にもよるけど、基本はゲームじゃないよねみたいな話になっていきます。
たぶんこれ、ゲーミフィケーションの前段の部分の話ですね。
ゲーム世代(しかもソーシャル・ゲーム世代)の高校生たちと授業やプロジェクトを通じて対話していくとしたら、「ゲーム」で説明した方がよさそうです。この本だってゲームを題材にした「哲学対話」の形式となってます。
探究の授業も、授業や課外活動で高校生が取り組むプロジェクトも、「ゲーム化」していくことが必要なのではないかと。いや、それって大人たちの仕事もそうなんですけどね。
1 ゴール(目的)があって 2 ルール(制限)がある
さらに 3 自発的に参加しているプロジェクトの中で、
4 アンロック と 5 レベルデザイン をデザインしていくこと。
そんな探究の活動だったらもっと面白くなるのではないかなあと思ってます。