プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2022年06月26日

「仮説を試す」ために「感覚を解放」して「場に身を委ねる」こと

「パターン・ランゲージ」(井庭崇 慶応大学出版会)

クリエイティブ・ラーニングからの続きですが、読み始めました。
井庭先生、面白いなあ。
非常に本質的なところを突いてきて、ドキドキします。

プロローグよりメモ
~~~
いま私たちが感じている閉塞感がどこから来るのかを辿っていくと、社会や組織のあり方が「応急処置的」であるという点に行き着くように思う。

その要因は
1 価値判断の難しさ
2 実際につくり上げることの難しさ
3 専門や分野が異なる人とのコラボレーションの難しさ
であるように思う。

制度や仕組みをつくった経験がある世代が引退した後に残されるのは、「自分たちでつくったことがない世代」である。

「どのように」だけではなく「何を」「なぜ」つくるのかの支援が重要になる。

「何を」「なぜ」つくるのかを具体的に他者から与えられ、ただそれを遂行しているという状況は、とても創造的であると言えないだろう。

パターンランゲージは、「何を」「なぜ」「どのように」つくるとよいのかを言語化したものである。

「何を」つくるとよいのか「なぜ」つくるのかを考える「考え方」を提供することであり、その意味で抽象的なかたちでの支援でなければならない。

パターンランゲージの各パターンは、どのような「状況」でどのような「問題」が生じやすく、それをどう「解決」すればよいのかという形式で記述されており、それに「名前」(パターン名)がつけられている。

パターンランゲージでは、各パターンにおいて、「何を」つくればよいのかが抽象的に提示される。またある「状況」で生じるどのような「問題」を解決するためにつくるのかという「なぜ」についても明言される。さらにそれを「解決」するものを「どのように」つくることができるのかも提示される。それゆえ、パターンランゲージは、「何を」「なぜ」「どのように」つくるのかを考えることを支援するのである。

他方、パターンには、それを「いつ」「どこで」「誰が」使うべきかという記述はない。つまり限定されてはいないのである。各パターンは、そこに書かれている「状況」と同じような状況において、その「問題」を解決したいというときにだけ、参考にすることができる。「なぜ」つくるのかという理由が合致することが大切なのであり、「いつ」「どこで」「誰が」つくるのかは本質的な問題ではないということである。

パターンランゲージこそが応急処置的社会・組織の檻から抜け出す鍵になる理由
1 対象デザイン領域において「よい」「美しい」という価値観が提示されるため「何を」「なぜ」つくるのか考えられる
2 デザイン=問題発見・解決の秘訣が記述されているため、「どのように」実現すればよいのかを考えられる
3 視点や発想を言語化し、一つ一つに「名前」があるため共通言語として使用することができ、相互理解・コラボレーションに役立つ
~~~ここまでプロローグ

つづいて序章
~~~
パターンランゲージ:建築家クリストファー・アレグザンダーによって提唱された住民参加型の町づくりを支援する方法

アレグザンダーの自然物と人工物の違い
「自然物」:誰かが計画してデザインしたものではなく、長い年月の中で徐々に形成されてきた結果である。そして、完成形という状態はなく、いつも成長・形成の途上である。
「人工物」:基本的には誰かのデザインによってつくられ、完成した状態で使い手に渡される。それゆえ、使用する人間や環境に馴染まなくなってしまう可能性が生じてしまう。

アレグザンダーの3つの考え
1 全体が成長すること
美しく調和がとれている自然物は「全体」として成長する。「全体」は「全体」として始まり、「全体」として成長する。「生きている花」をつくろうと思うならば、種から育てなければならない。
2 内なる力に誠実であること
「全体」の成長は絶えざる「適応」のプロセスである。その適応においては、その時々の「内なる力」を無視したり封じ込めたりすることなく、その力に正直・忠実でありながら変化していく必要がある。
3 環境に適合的であること
成長のプロセスにおいて、誠実である必要があるのは、その周囲の環境における諸力との折り合いもつけなければならない。つまり、環境側に生じる力にも適合するように自らを変容させていく必要があるのである。

1本の「木」を例にとって、
1 その木の形は、ごく小さな全体から始まって時間をかけて成長する。部分を組み合わせて作られたものではない。
2 その木の具体的な成長ステップは物理学や遺伝的に定められたルールに基づいて展開されている。
2 その木の具体的な形状は、成長の過程における環境、地形や土壌、日光、雨風、周囲の草木などへの適応の結果である。

アレグザンダーの「名づけえぬ質」
「いきいきとした」「全体的な」「心地よい」「自由な」「精密な」「無我の」「時間を超越した」を併せ持つもの。
例:京都などの古くからある町を訪れたときに感じる深い味わいや歴史的な質感のこと。
~~~

この後P34から来る井庭先生のパターン・ランゲージ再考がアツいので多めに記載

~~~
1 善や美においての反証可能な仮説
パターンランゲージを構成する個々のパターンは常に仮説である、とアレグザンダーは強調する。パターンはいきいきとして調和のとれた美しい「質」をいかにしてつくることができるかについてまとめた仮説である。仮説である以上、反証するような事実が突きつけられた場合には、取り下げられることになるだろう。このアレグザンダーのビジョンが興味深いのはこれまで科学における「真/偽」についての基準であった反証可能性の議論を「よい/悪い」および「美しい/美しくない」というコードにも適用しようとしている点である。

2 感覚の解放の手段
パターンの言わんとすることは、実は私たちのなかにもともとあるものなのだ、という指摘。現代の私たちは、自分の内なる感覚をあまりにも素朴すぎるという理由で認めることができなくなってしまったという。本当は深いところでわかっているのに、それをなすがままに出していくことを恐れ、私たちの内部に凍結させてしまっているのである。かわりに、外から与えられた概念やルール、手順に置き換え、自分に合わない歪んだままの状態を受け入れざるを得なくなっている。しかし、本当は私たちの身体に備わっている感覚は知っているのであり、その感覚を信じて解放すればよく、パターンランゲージは、内なる感覚に自信をもたせ、それを実現・実践することを支援する。

3 自我を超えた創造への道
パターンランゲージを用いたデザインでは、自然物が少しずつ形成されるように、内なる力と環境に適応しながら、全体として成長していくプロセスとなる。言うなれば、パターン・ランゲージによるデザインでは、それが自然に生じたように具現化されるということである。それは、人間が一種のメディア(媒体)になるということでもある。つくる主体として、個人の強い意図や自我を持ち込むのではなく、より自然に、より調和的な秩序を生み出すために、力を貸す存在になるのである。
~~~

いやあ、いいですね。この3つ。
「仮説を試す」ために「感覚を解放」して「場に身を委ねる」こと。
それこそが「創造」の方法だと。いやあ、すごい。その方法を僕も探していました。

「人間は一種のメディア(媒体)になる」
っていうのもすごい言葉ですよね。

自我を超え、「創造」のための「媒体」になる。

そんな感覚的な経験が「自分らしさ問題」を解決するためのデザインになっているのではないか、と直感する本でした。  

Posted by ニシダタクジ at 09:04Comments(0)日記