2022年08月23日
「文明の時間」と「自然の時間」

「撤退論」(内田樹編著 晶文社)
読み進めています。今日取り上げるのは映画監督の想田和弘さんの話。「文明の時間から撤退し、自然の時間を生きる」ニューヨークから瀬戸内海の牛窓というところに居を移したということです。
~~~ここから引用
山尾三省さん「アミニズムという希望」(野草社)の言葉から
「文明の時間」:進歩し続ける。それは必ず前に進み、後戻りすることはありません。
必ず昨日よりも今日、今日よりも明日には進歩するのであって、後退したりしません。世の中の主流の価値観と親和性の高い時間です。
「自然の時間」:循環し回帰する時間です。
地球は1日1回自転をしながら、1年に1回、太陽の周りを回ります。そのサイクルは太陽系が生まれて48億年前から変わらず、まったく進歩していません。地球の回転により季節は春から冬への変化しますが冬の次はまた春に戻ります。くるくると回転しているだけで前には進まないのです。
生き物としての人間の身体や心も、この循環する時間に属します。人間は誰しも生まれ、成長し、老いて、死んでいきますが、このサイクルもやはり進歩しないからです。
~~~
「文明の時間」と「自然の時間」この2つの時間を意識していくことが大切なのかな、と思った。
「時間」っていう壮大なフィクションを前提として、僕たちは社会生活を送っている。
もうひとつの「自然の時間」に沿って暮らすこと、何かやることが大切なのはないか、と。
それはもしかしたら、畑で野菜を育てたり、子どもの教育に携わるということなのかもしれない。
循環する何か、「営み」のようなものに委ねるということ。
それが、伊藤洋志さん的に言えば「イドコロをつくる」ということになるのかも。
http://hero.niiblo.jp/e491754.html
~~~
猫には循環する時間だけが流れているのです。彼らには「進歩」の概念がない。実はそれは猫に限らず、人間以外の「生きとし生けるもの」すべてにいえることだと気づいたとき、僕はかなり大きな衝撃を受けました。
直進する時間に生きているのは、唯一、人間だけなのです。直進する文明の時間はいわば人間の独壇場です。
~~~
「文明の時間」は人間だけの特殊能力(生物的には特殊)だったのです。
そっか。だから人は「文明の時間」だけでは生きられず。
「自然の時間」を求めて、海に行き、山に登り、キャンプをするのかもしれない。
それを単に余暇にやるレジャーとして、ではなくて、日常に取り込んでいくこと。
それをいま、10代、20代は特に必要としている気がする。
かつて宮沢賢治は生徒に向け語りかけた。
(「生徒諸君に寄せる」より)
~~~
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
~~~
それは「文明の時間」を生きているからではないのか。
そして続ける
~~~
新たな詩人よ
雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て
衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ
~~~
これは「自然の時間」を生きよ、と言っているのではないのか。
~~~
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか
~~~
(農民芸術概論綱要)
そして一緒に第四次元の芸術をつくろうと呼び掛けている。
それがこれからやることなのかなと思った。
ラストはこの問いを
中等学校生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか。
はい、感じます、賢治先生。

2022年08月18日
「場」と「今」と「誇り」

大学生向け
企業取材インターン「ひきだし」の事前研修の日でした。
2020年度から完全オンラインになって3年目。
最初の年は、オンラインでの取材インターンは無理だと思い、中止しようと思っていた。
(合宿形式で得られるものが大きかったから)
が、オンラインだからこそできるっていうのがあるんじゃないか、
それを見てみたいという仮説でやってみたら、
ZOOMのブレイクアウトルームやチャット機能を駆使すると、
研修や取材の質が変化することが分かった。
特にインタビュー時のチャット機能の活用は、
インタビューを聞いている人が思ったことを書き込めるので
脳みそはフル回転するのだけど、話をどんどん展開させていくことが可能になる。
過去2年は、それを「オンラインの向こう側」と呼んだ。
3年目、オンラインが当たり前になったのと同時に、オフラインで行うインターンも増えてきた。
学生募集も、昨年に比べたら希望者が少なかった。
事前研修のキーワードは
・場のチカラ
・魔法をかける編集
・小さな誇りと物語
だった。
上の2つは、にいがたイナカレッジのプログラムでも言っているのだけど。
「場のチカラ」:成果を出すのは個人の力ではなく場のチカラなので、場のチカラを高めること
「魔法をかける編集」:いま、このメンバーでしか書けない記事を書くこと(感じたことを文字にすること)
そして3つ目。
取材先の人の小さな誇りを見つけ、再物語化すること。
歌われざる英雄(アンサング・ヒーロー)の発掘・発信。
今朝、振り返って思うのは、この3つは、僕自身の最大のテーマである
若者の自分らしさ(アイデンティティ)問題に対するアプローチなのではないか、と。
明治時代に、「自分」というフィクションを手に入れ、それを原動力に我が国は経済発展してきた。
ところがその経済発展という目的を失ったと同時に「自分」をも失ってしまった。
だから、
「場」にフォーカスすること
「今」にフォーカスすること
「誇り」にフォーカスすること
そこから生まれる「何か」にフォーカスすること。
「自分」にフォーカスしないこと。
たぶんそういうことだ。
「誇り」というのは、「継いでいく」べき物語のことなのではないか、って思った。
「継いでいく」と「創っていく」
そこに「誇り」が生まれ、物語が始まっていくのだろう。
それをクロスさせる「場」
今を感じられる「場」
創造のベースとなる「場」
を、僕はいろんな場所に(オンライン上も含めて)創りたいのかもしれない。
2022年08月12日
はじまり、という名の高校
地域みらい留学の企画「第1期生に聞く!阿賀黎明高校と私たちのこれから」でした。
あらためて、こんなふうに落ち着いて話を聞く機会ってないし、オンラインだからこそ話せることもあるなあっていう。
1 阿賀黎明高校に決めた理由
2 実際に入ってみてよかったこと・悪かったこと
3 これからの高校・寮について
これで60分があっという間でした。もっと話してみたいと思ったし、ハウスマスターや公営塾スタッフも参加してもいいかなと。
「オンラインフォーラム」みたいなのってありかもって思った。
みんなが言うのは「人があったかい」(印象)っていうこと。
たぶん、仲間だと認識するのが早いんだろうな、阿賀の人は。
港町ならではなのかもしれないけど、町全体にそういう空気感があるような。
「第1期生であること」が魅力だってふたりとも言っていた。
まだ寮の予定地でしかなくて、通学の方法も「スクールバスの、予定です」
みたいなのがよかったって。
それって、1度しか使えないのだろうかって思った。
入ってくる人みんなが第1期生であるような、そんな「はじまり」を感じられる場がつくれないだろうか。
だって、黎明ってはじまり・夜明けっていう意味なんだから。
入ってみて、のところは自習スペース問題が出てきましたね。こちら、なんとかしたいです。
1人で居たいときにも友人が誘ってくる、とか。
あとは1,2年生の関係づくりを寮生主導でやっていくこと。スポーツ系とか、レクリエーション系とか。
そうやって関係性ができれば、勉強したいときに「静かにしてね」って言えるから。
これからやりたいことについては、「地域に開かれた文化祭」
これはもう10月8日なのだけど、地域の人に出店してもらったり、発表してもらったり、そういうのをやりたいと。
それ、いいじゃん。時間ないけどやってみようよ。
あとは7月の球技大会のように学年を横断したチームをつくって、学年の隔たりを無くしていく、って言ってた。たしかにグループってあるし、そこに自分らしさを求めると、閉鎖的になっちゃうから、むしろ、そんなグループを無数につくっていけばいいんだよね。
新潟大学のダブルホーム的な。そういうのがあってもいい。
そのひとつの方法が地域プロジェクトなんだろうと思うんだよね。
ひとりひとりがつくる学校、ひとりひとりがつくる寮をつくっていきたいとあらためて思った。
そっか、新たに創れば、創った人が1期生になっていくんだな。
創り続けること、はじまり続けること。
入学生すべてが第0期生であるような、そんな学校を、寮をつくれないだろうか。
あなたは、何をはじめますか?何を創りますか?
それを誰とやりますか?
はじまり、という名の高校で待っています。
あらためて、こんなふうに落ち着いて話を聞く機会ってないし、オンラインだからこそ話せることもあるなあっていう。
1 阿賀黎明高校に決めた理由
2 実際に入ってみてよかったこと・悪かったこと
3 これからの高校・寮について
これで60分があっという間でした。もっと話してみたいと思ったし、ハウスマスターや公営塾スタッフも参加してもいいかなと。
「オンラインフォーラム」みたいなのってありかもって思った。
みんなが言うのは「人があったかい」(印象)っていうこと。
たぶん、仲間だと認識するのが早いんだろうな、阿賀の人は。
港町ならではなのかもしれないけど、町全体にそういう空気感があるような。
「第1期生であること」が魅力だってふたりとも言っていた。
まだ寮の予定地でしかなくて、通学の方法も「スクールバスの、予定です」
みたいなのがよかったって。
それって、1度しか使えないのだろうかって思った。
入ってくる人みんなが第1期生であるような、そんな「はじまり」を感じられる場がつくれないだろうか。
だって、黎明ってはじまり・夜明けっていう意味なんだから。
入ってみて、のところは自習スペース問題が出てきましたね。こちら、なんとかしたいです。
1人で居たいときにも友人が誘ってくる、とか。
あとは1,2年生の関係づくりを寮生主導でやっていくこと。スポーツ系とか、レクリエーション系とか。
そうやって関係性ができれば、勉強したいときに「静かにしてね」って言えるから。
これからやりたいことについては、「地域に開かれた文化祭」
これはもう10月8日なのだけど、地域の人に出店してもらったり、発表してもらったり、そういうのをやりたいと。
それ、いいじゃん。時間ないけどやってみようよ。
あとは7月の球技大会のように学年を横断したチームをつくって、学年の隔たりを無くしていく、って言ってた。たしかにグループってあるし、そこに自分らしさを求めると、閉鎖的になっちゃうから、むしろ、そんなグループを無数につくっていけばいいんだよね。
新潟大学のダブルホーム的な。そういうのがあってもいい。
そのひとつの方法が地域プロジェクトなんだろうと思うんだよね。
ひとりひとりがつくる学校、ひとりひとりがつくる寮をつくっていきたいとあらためて思った。
そっか、新たに創れば、創った人が1期生になっていくんだな。
創り続けること、はじまり続けること。
入学生すべてが第0期生であるような、そんな学校を、寮をつくれないだろうか。
あなたは、何をはじめますか?何を創りますか?
それを誰とやりますか?
はじまり、という名の高校で待っています。