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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2023年08月31日

「アンケート」と「インタビュー」


「フィールドワーク増訂版 書を持って街へ出よう」(佐藤郁哉 新曜社)

プロジェクト学習を進める上での違和感として、「アンケート」と「インタビュー」の手法の違いが挙げられて、調査=アンケートみたいな方法論に対して、そこにどんな意味があるのか?と思った。

すでに問いに対する仮説があって、検証する方法としてのアンケートはいいのかもしれないけど、その仮説や問いを見つけ出すためのアンケートなど存在するのだろうか?

仮説が分かっていない段階で、行うべきはインタビューだと思う。そこで出た言葉や表情に違和感をキャッチして、問いをつかむ。問いにまでいかなあくてもキーワードを掴み、さらに文献を調べたりインタビューをしたりする。そうして問いにたどりつく、の繰り返しだろうと思う。

僕自身が本屋をやっていたときに、「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」という大学生が多数来店し、その悩みを話していった。それは、僕の中での大きな違和感だったのだけど、「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)をはじめとする読書を通して、そのメカニズムを自分なりに解釈していった。それは僕的に言えば(自分が出ていったわけではないけど)フィールドワークと呼べるだろうし、その後実際に大学職員となって国立大学へ潜入(?)し、大学のメカニズムを解き明かそうともした。

それを人類学的なアプローチだと思っていたのだけど、そのフィールドワークとはそもそも何か?を解説したのがこの本の第1章

~~~以下引用

「フィールドワーク・ルネッサンス」

量的調査=科学的研究法の時代を経て、質的(定性的)研究法と呼ばれるアプローチ全体に対する再評価が起こってきたのが1970年代。

・「科学」的な思考法と研究法、特に「実証主義」と呼ばれるアプローチに対する異議申し立て
・西洋中心の思考方式や世界観あるいは「近代」や「合理性」「理性」についての真剣な問いかけ、および、その問いかけの根拠として人類学的な異文化研究がもつ重要性の再評価
・「ドラマ」「テクスト」「レトリック」といった人文系の学問で使われる発想の社会科学系の学問分野への応用と、それに伴う「分析」から「解釈」への力点のシフト
・「感じられる世界」「生きられる世界」と身体性に関する関心の増大
~~~

ここで出てくる

定性的調査(質的調査)と定量的調査(量的調査)について

フィールドワーク=質的調査の代表

質的調査:深く狭く調べるアプローチ
量的調査:浅く広く調べるアプローチ
P79にその対比が書かれているけど、なかなか面白いなと。

じゃあ今日、「地域の(自分が共感しうる)課題を発見するために、取るべきアプロ―チとしては、圧倒的に質的調査なのだろうと思う。

今の自分だけの問いに出会うこと。それが出発点だと思う。

だからこそ、高校生は数十件の「アンケート」をとるよりも、数件のインタビューをしてほしいと思う。インタビューからキャッチした違和感を問いにつなげる、問いから仮説をつくる、仮説から実践を行う。

そのようなプロセスを踏んでいくこと、その出発点にフィールドワークとしてのインタビューがあり、現場体験があると思う。

この
フィールドワーク(たとえばインタビュー)⇒違和感のキャッチ⇒言語化⇒問い

この3つの矢印をどう進めるか、がすごく課題なんだよね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)学び日記

2023年08月30日

「余白」と「委ねる」と「ともにつくる」


「今こそ名著 茶の本 日本の覚醒 矜持の深奥」(岡倉天心 道添進編訳 日本能率マネジメントセンター)

茨城大学で岡倉天心先生に出会い、2016年には国際岡倉天心シンポジウムにおいて、サザコーヒー×学生プロジェクトを担当しました西田卓司です。


プロジェクトメンバーとの1枚

まずは「茶の本」の第4章 茶室より
~~~
茶室=「すきや」と呼ばれ、「好き家」という漢字が当てられていた。のちになって、宗匠たちが、茶室についてそれぞれ思うところをもとに、いろいろな感じに置き換えた。たとえば「空き家」、つまりからっぽの家とした。また「数寄屋」、すなわち非対称の小屋という意味に取ることできるものもある。

「空き屋」という名称には、空虚であるからこそすべてのものを内包できるという意味に取ることができる。

「数寄屋」は、完成したらいったいどんな姿になるんだろうという想像力をかきたてるために、わざと未完成な部分を残すという精神を象徴している。

「数寄屋」とは、非対称の家ということだ。この呼び方は日本における装飾の原理のもう一つの特性を物語っている。

道教と禅の哲学は、ダイナミックな性格を持っている。両者にとっては、完全そのものよりも、完全を求める過程を重視した。真の美とは、不完全なものを完全にしようとする精神の動きの中に見られるものだ。人生にせよ、芸術にせよ、まだまだ完成に向けてのびしろがあればこそ、それは生き生きとしてくるものなのだ。

全体の中でおのおのどういう役割を演じれば、すべてが効果的に仕上がるのか。茶室では、それが客人ひとりひとりの想像力に委ねられるのである。

対称性というのは、完全の表現であるだけではない。そこには繰り返しの表現も現れる。こうした意匠の画一性は、生き生きと想像力を働かせるうえで、致命的と見なされたのだ。
~~~

「永久の未完成、これ完成である」っていうのは宮沢賢治が約100年前に言っていたけど、それはそもそも道教や禅といったところから来ているのか。

そしてそれが建物の「非対称性」にも関連してくるとは。
さらに言えば、まさに茶室に置いては主人と客人が「ともにつくる」場となっていたのだった。
これはすごい。

さらに第5章 芸術を愛でる心 より

~~~
「琴は弾くのではなく、琴に歌わせる」

道教徒の「琴馴らし」の寓話

仙人が真の森の王ともいうべき桐から琴をつくったが、どんな名人でも鳴らすことができなかった。琴はどんな名人も拒絶したのだった。

そこに現れたのが琴の王子、伯牙だった。彼は荒馬をなだめるように優しく琴をなでると、そっと弦に触れた。そしておもむろに、歌を歌いはじめた。すると、桐の木の記憶が一気に目覚め、音を鳴らしたのだという。

皇帝は伯牙に尋ねた。「いったい、この素晴らしい演奏の秘儀はどういうものか」

伯牙は答えた。
「陛下、ほかの方々は自分のことばかり歌おうとなさいました。だから失敗したのです。私はそうではなく、何を歌うかは琴に任せました。そうこうするうちに、琴が伯牙か、伯牙が琴か、自分でもわからなくなってしまいました。」

「傑作は私たち自身の中にある」

この逸話は、芸術鑑賞の神秘を解き明かしてくれる。傑作というものは、私たちのうちに潜む最も美しいものに感応する、いわば交響楽なのである。

すなわち本当の芸術とは伯牙のことであり、鑑賞者である私たちは琴だ。魔力を帯びた美の手並みに触れられると、私たちの心の中にある隠れた琴線は目覚める。そして、呼びかけに応じていくにつれ、うち震え、感動する。

心は心に語りかける。私たちは声なき声に耳を傾け、目に見えないものを見つめる。すると、名手の手によって、私たち自身さえ知らなかった奥深い調べが呼び覚まされるのである。
~~~

なんとなんと。
これ、「ともにつくる」場のチカラの解説になっている気がする。

プロジェクトによる「まなび」ってこういうことなのではないか。

自分たちの中の、あるいは地域に眠る奥深い調べが呼び覚まされる。

そんな経験ができたら、川喜田二郎先生のいう「ふるさと」が創出されていくのではないか、と思う。

「余白」「委ねる」「ともにつくる」
それはプロジェクトによるまなびによって実現できるのではないか、そして、それこそがアートなのでは、と感じた1冊でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)学び日記

2023年08月28日

知性は集団に宿る


「解像度を上げる」(馬田隆明 英知出版)

第4章 課題の解像度を上げる「深さ」よりメモ

~~~
課題以上の価値は生まれない

良い課題の3条件
1 大きな課題である
2 合理的なコストで、現在解決しうる課題である。
3 実績をつくれる小さな課題に分けられる

課題の大きさ=課題の強度×課題の頻度

症状ではなく病因に注目する
内化(読む、聞く)と外化(書く、話す、発表する)を繰り返すことで深めていく

「内化」
・サーベイをする
・インタビューをする
・現場に没入する
・個に迫る

書くことで私たちは考えることができる。

インタビュー:相手の物語を綴る
アンケート<インタビュー
~~~

なるほど~。
これは探究とかプロジェクトでも同じですね。
アンケートじゃなくインタビューしないとね。

第5章 課題の解像度を上げる「広さ」「構造」「時間」より

~~~
「広さ」の視点で解像度を上げる
・前提を疑う
・視座を変える(視座を高くする、相手の視座に立つ、未来の視座に立つ、レンズを使い分ける、視座を激しく行き来する)
・体験する(競合製品を使い倒す、旅で新たなキーワードに出会う)
・人と話す
・あらためて深める場所を決める

「構造」の視点で、課題の解像度を上げる
・分ける(切り口を工夫する、具体的な行動や解決策が見えるまで分ける)
・比べる(抽象度を合わせる、大きさを比べる、重みを比べる、視覚化して比べやすくする、分け方を見直す)
・関係づける(グループ化する、並べる、つながりを見る、システムを把握するシステムのどこに介入すべきか見極める、より大きなシステムの影響を意識する、図にすると関係性が見えてくる、アナロジーで新しい関係性を見つける)
~~~

なるほど~アナロジーね。
「進化思考」とか、まさにそれですよね。

思考を構造化している本。
おもしろいなと。
どう応用できるか。  

Posted by ニシダタクジ at 12:06Comments(0)学び日記

2023年08月27日

偶然から始まる「物語」を生きる

昨日は地域みらい留学合同説明会でした。最近は合同説明会の参加者がまったく集まらなくて、昨日も10名くらいは入ってきたけど、最終的には5名くらいになっていたようです。

合同説明会から高校別説明会にはつながらないので、ほぼ、自分の話をしていました。テーマは「挑戦するな、実験しよう」で、寮、風舟、公営塾を「実験室」と呼びました。ラストメッセージは、人生の転機となる「偶然」をキャッチできるできるように「実験しよう」でした。

他の高校を見ていて思ったのは、合同説明会で話すべきは、寮や町のスペック、高校生のリアルな声などではないのではないか。6分間で自分は何者でどこに向かっているのか、を話したほうがいいのでは、ということです。
「ヒト」を基準にしているから、首都圏じゃなくて、地域みらい留学するとしたら、その「ヒト」をまずは知ってもらうこと。それが高校探しのフックになっている、ということではないでしょうか。せめて1枚演者の自己紹介スライドを入れてほしいなと思います。

ということで、読書日記。


「偶然を生きる」(冲方丁 角川新書)
昨日の「偶然」つながりでこの本を。


~~~
経験の分類
1 直接的な経験:五感と時間感覚です。
2 間接的な経験:これは社会的な経験とも言えます
3 神話的な経験:超越的な経験であり、実証不能なものがほとんどです。
4 人工的な経験:物語を生み出す力の源です。

第四の経験(人工的な経験)はどのように生まれたのでしょうか。

ものごとを理解する手法として、人間はまず因果関係というものを認識しました。ものごとの順序の認識です。そしてそれと並行するように数字というものを発明していきました。さらには、文字を発明して、文章、段落というものをつくり上げていきました。

数の概念と段落の概念が組み合わさって別の技術が生まれました。それが「組み換え」です。複数の文章を並べて何番目と何番目を組み替えたとき、それによって違う意味が生まれることを知ったのです。

あるモノや考えが生まれて広まるとき、そこには必ず、それまでにはなかった架空の物語が存在し、その物語の力によってモノや考えが広まっていくのです。

人間に物語の力をもたらす第四の人工的な経験は、文章と密接な関係があります。そして文章を用いる限り、常に未来に向かってベクトルを放っているのです。
~~~

なるほど。まずは文章(物語)の力について。
文章を世界を変え得る。というより、世界を変えてきたのは物語の力だったのですね。

つぎに「報酬」について

~~~
報酬が動機付けとなり、人と社会を動かすのです。報酬は、偶然と必然というものを補強するための道具だとも言えます。これだけ働けばこれだけの報酬を得られるという保証(必然)のもと、個人の時間を第二の経験である社会の目盛りに捧げさせるのです。

社会を発達させていくためには第二の経験に自分を捧げなければならない。個人の経験を追求したいにもかかわらず、社会や他者のため、違う要求に応じて働かなければならなくなります。それがルーティンワークであったり重労働であればだれでも拒絶したいのですが、それを続けさせるのが報酬です。

労働の対価として報酬があり、その使い道を社会が用意します。ひと昔前の日本でいえば、マイホームには夢があるといって巨大な投資先を与え、ローンを組ませてしまう。そうなるともう報酬を得ていなければ成り立たなくなる状態になる。そのような国家的な施策はさまざまなかたちで繰り返されてきました。
~~~

なるほど。
それが「報酬」か。システムがどのように出来上がっていったのかよくわかります。

そして。ようやく来たサイコロとRPGの話を
~~~
RPG(ロールプレイングゲーム)は、サイコロが果たす要素を複雑化させていき、一定の確率で必ずクリアできるように調整しています。どのように調整しているかといえば、ある偶然性を何度も経験するたび、その偶然性が無視できる状態になるのです。つまりレベルが上がっていけば、弱い敵はどんどん倒せるようになっていきます。遭遇する困難と戦っていくうちに、困難が困難ではなくなっていくシステムが導入されたのです。

人間は、サイコロにリアリティを感じます。それを振ることによって、本当に起きているかのような感覚を抱きます。それは人間の原始的な認識の様式なのだと思います。偶然起こったものごとを自分自身の一部であると認識して受け入れる。

神秘体験に接するのと同じで、それが必然なのだと考えてしまう。シンクロニシティの中に自分はいるのだという世界との一体感に関わることです。
~~~

なるほど。
RPG(ロールプレイングゲーム)でいう「レベルが上がる」とは、弱い敵との勝負の偶然性が無視できる状態になる(必ず勝てる)ということ、か。

目の前に来たものを運命(偶然)だと感じること。
まさに自分自身の一部であると認識すること。
こういうことってあるだろうなと。

「挑戦」と「実験」をいったり来たりすること。

いや、本当は「挑戦」だって大きな「実験」の一部なのだと思います。「挑戦」に対して、単に「成功」や「失敗」で終わらせるのではなく、ふりかえりをして機会(偶然)に変えていくこと。

そういうことなのだろうなと。そして、高校生と一緒につくりたいものは、そういう「偶然」という機会からともに学ぶ、もっと言えば「ともにつくる」ことなのだろうと思います。

中学生たちへ、挑戦するな、実験しよう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:38Comments(0)学び日記

2023年08月26日

「偶然性」に開かれた存在であること


「つくるひとになるために~若き建築家と思想家の往復書簡」(光嶋裕介 青木真平 灯光舎)

1度目、読みました。
なんというのでしょうか。
揺さぶられる1冊です。

いろいろ書きたいことはあるのですけど
まだかみ砕けていないのでメモだけ残します。
今日は「内外の自然」「偶然性」をテーマに書きます。

~~~
「外側」の自然と「内側」(身体)の自然が対象関係にあり、共鳴し合っている。それが前近代社会。だからかつての権力者たちは自然現象を特に気にします。

内外の自然との適切な距離感こそ、僕たちにとって「ちょうどよい」という実感につながるのだと思っています。

前近代の人間は、自然というコントロールできないものに囲まれているだけでなく、そのコントロールできないものが自分たちの中にもあって、そのふたつは確かに関係していると考えてきたのです。

西洋ではルネサンス期以降、自然は測定可能であり、人間の分析能力が向上すれば、数値化や言語化ができるものだと考えるようになっていきました。外側の自然と内側の自然に対応関係があるなどという、客観的なエビデンスが乏しい「迷信」は社会の表舞台から退場し、自然はコントロール可能であるという科学信仰をもつようになったのです。
~~~

これはすごいですね。全部つながっているんだって。「つながっている」というか「ひとつ」というか。
内外に「自然」がある。それを言語化・数値化できるかも、っていうのが近代のはじまりだったんですね。

~~~
「結果よりプロセスを大切にする」とは、目的的に行動しすぎないで「偶然性」に開かれていることを意味します。成果にとらわれすぎないで、ご縁を掴むと言い換えてもよいかもしれません。そして、この考え方を実践する際に大切なことは、「わからなさ」を自覚したうえで、肩の力を抜いて身体の内なる声に耳をすませるということにほかなりません。応答することをあきらめない。

人間は、誰もが何かを「つくる」ことで生きています。

食べることと料理をつくることの関係のように、衣食住という命に近い行為のすべてが他者と協働しながら何かを「つくる」ことで成り立っています。この「つくる」ことを通して感じられる「喜び」があらためて個々人に問われているように思えてなりません。

大事なのは、普遍性だけでなく、個別性と混ぜ合わせることだと思うのです。普遍性と個別性は、科学と詩学と言い換えてもいい。資本主義経済や民主主義といった世の中の大きなシステムが、何事も数値化して査定し、合理化を促している。

しかし、偶然性に寛容なポエジーの力と合理性という理屈をバランスして同居させる必要を僕は強く感じるのです。

モダニズムの獲得した普遍性を深化させること、具体的にはその土地ならではのヴァナキュラー(土着)な視点を重ね合わせる必要があると僕は思っています。

誰が反復しても同じ「科学」を尊重しつつも、他者と違うことが評価される「芸術」において偶然のポエジーを信じることで可能になる非言語的なものとの対話を大切にすること。意思疎通ができなくても動じないことです。心のゆとりをもって偶然をキャッチできるように待ち受けたい。
~~~

「科学」と「芸術」2つの軸を持って、世界に対峙していくこと。

次に「遊び」の話を。
~~~
自分の外にもっと広く豊かな世界があることを信じること、合理性では説明がつかない自然のような「わからなさ」を受け入れた上で、偶然を待ち受けるような心のゆとりと寛大さをもって生きていきたいものです。

遊んでいるときって、常に次の瞬間に何が起きるかわからないドキドキがある。

遊びにおける偶然性に開かれた姿勢、もしくは構えについて書いていたときも思ったのですが、そのような姿勢って、じつのところ、ものすごく創造的なんじゃないかと。新しいものをつくり出すためには、偶然に対して敏感であり、作為と無作為のあいだで世界を単純な因果関係でとらえない自由で臨機応変な発想が必要です。
~~~

「予測不可能性」というエンターテイメントの本質。
たぶん、「まなび」の面白さもそこにあるんだろうな。

今日はまた、中学生に向けたオンライン説明会なのですけど、
これ、しゃべってみようかなと。

挑戦するな、実験しよう。
「偶然」をキャッチできる姿勢をとろう、と。

最後に、「合理性」と「存在」について
~~~
むしろ大事なことは、どちらか一方に決めないこと。どちらか一方に決めたい人には、合理的な人が多いはずです。どちらか一方に決めて、その合理性に従って生活を満たしてしまうと、少し大げさですが、究極的には人間存在の否定につながっていきます。

「合理性の尺度」であらゆる物事を測ってしまうと、非合理的なものの存在が許せなくなってくるからです。人間の理解の尺度で測れないものは無意味であるという考えに直結してしまう可能性があるのです。
~~~

決めないこと。
偶然性に開かれていること。

これが「存在」であるということなのかもしれませんね。

阿賀黎明高校魅力化プロジェクトが大切にしているもの。
「ともにつくる」

「ともに」の相手は、他者だけではなく、自然や歴史や、もっと言えば「偶然」なのだろうと。

「偶然性」に開かれた存在として、この町に暮らし、高校生活を送ること。
高校生だけじゃない。それは、スタッフにとっても同じだ。
そこに、「創造性」と「存在の承認」が生まれていくのだと、僕は思っています。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)

2023年08月24日

ニーズの奥にインサイトがある


「THINK EDIT」(野口孝仁 日経BP)

サラッと読めそうな編集思考の本。
メモします。

雑誌編集者ならではの「いま」の切り取り方が面白いなと。

~~~
編集思考(特集タイトルを決める)
1 ネタを持ち寄る=キーワード
2 たくさん語り合う=エピソード
3 共感ポイント=ニーズ
4 新しい価値=インサイト
⇒特集タイトル
~~~

このニーズからインサイトっていうところがポイントなんでしょうね。
そのためには2のエピソードをたくさん出すっていうのも大切になってきます。

そのニーズ⇒インサイトにも5つの方法があると著者は言います。
1 人物編み 人物にフォーカスしてインサイトを想像する
2 場所編み 所在地や席の配置など空間にフォーカスして想像する
3 時間編み 時代をさかのぼったり、深夜の、など時間を変えたりして想像する
4 対比編み 対になるものにフォーカスして想像する 喫茶店⇒居酒屋
5 異素材編み 関係のない視点から想像する
~~~

なるほど。
ニーズからのインサイトの発見。
これがカギですね。
  

Posted by ニシダタクジ at 14:27Comments(0)学び日記

2023年08月18日

「創発」を生みやすい土づくり

昨日に引き続きこの本から。


「ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION」(佐宗 邦威  日経BP)

P70 創発を生みやすい土づくり

~~~
「創発」とは、複雑系の理論に使われる言葉で、1+1>2というよぅに、多様な要素が集まることでそれ以上の結果を生むことを指す。外との交差点に多様な生き物が交差する場と間をつくることに成功したら、次は継続的に新たなものが生まれてくる文化をつくる段階だ。この創造文化づくりは、農業における土づくりにたとえるとわかりやすい。有機農業において、土の中にいる多様な菌の栄養素がその後、何年間も収穫量に影響するように、場に創造のための栄養を蓄えておくことは、創発の起こりやすさや持続性を左右する。
~~~

イノベーションの現場における「土づくり」で押さえておくポイント
1 関係性をいかにデザインするか
2 創発したくなる環境をいかにデザインするか
3 コミュニティをデザインするリーダーシップをどう発揮するか

~~~
1 関係性をいかにデザインするか
ダニエル・キム「組織の成功循環モデル」:関係の質⇒思考の質⇒行動の質⇒結果の質
★個人の偏愛を開示する。
好きなものをつくってもいい+心理的安全性
⇒とりあえず話してみる、仮説をつくってみる。
⇒誰かに会ってみようとかプロトタイプをつくるとかの行動が起こる
⇒行動が成果につながるというサイクルをつくる
★誰かが話したことに「乗っかる」マインドセット
★チェックイン・チェックアウトが有効

2 創発したくなる環境をいかにデザインするか
★リラックスした環境をつくるために:五感を刺激する環境(音楽・オブジェクト・お菓子)
★その場の即興の会話を知的生産に変えるために:ホワイトボードや付箋など
★フラットな会話を生み出すために:イスやテーブルの並べ方
★一人ひとりが本音で話しやすくするために:グループサイズは3~4人程度を基本単位とする

3 コミュニティをデザインするリーダーシップをどう発揮するか
★ゆるいノリのリーダーシップ:あえて決めすぎない。しっかりしすぎず、少し抜けているくらいのほうが、周囲が助けてくれるため、結果として場自体が活性化する。
★人と人をつなぐことを楽しそうにしていること:外部からやってきたゲストが気持ちよく過ごせるようにつなぐ。

自分は答えをもっていないが、答えは正しい人が正しいプロセスを議論をすることで生まれてくると信じて、自分もチームも答えを知らない「探求型の問いかけ」により、チームの思考の質を上げていける人
~~~

「土づくり」。
まさに、という感じですね。
高校魅力化文脈でも「まなびの土壌づくり」って言ってましたもんね。

ビジネスの分野だけじゃなく、イノベーションを必要とするすべての仕事(これは多くの現場が当てはまる)に、この土づくりが必要なのだと思う。まず変えていくのはミーティングなのだろうなと。
  

Posted by ニシダタクジ at 08:57Comments(0)学び日記

2023年08月17日

「未来脚本」で妄想を実現させる


「ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION」(佐宗 邦威  日経BP)

こういう本、好きなんですよね。
妄想で未来は変わるってそうだよなあと。

まずは、いわゆる「イノベーションプロジェクト」でイノベーションが起こらない理由(P26)から

~~~
1 人の不在:主人公が誰もいない
2 場の不在:新たに生んだものを育てていく場や仕組みがない
3 意志の不在:出てきたアイデアがまとまらない
4 つくり方の不在:自分たちの課題に合った創造の方法論が見えていない。
5 組織とのすり合わせができない:効率性を大事にする既存組織
~~~

いやあ。まさにね。
「主人公」と「場」と「意志」と「つくり方」が必要なんですよ。
全てのプロジェクトはそうですよね。

今日のところは、P35の「機械の世界と生き物の世界の原理」より

~~~
「生産する組織」と「創造する組織」のふたつの世界を分ける原理は、
機械の世界と生き物の世界の違いにたとえられる。

シンプルに言えば「再現可能性」に対する考え方の違いだ。

機械工学の世界はモノ=無機物を対象に扱い、同じ環境の条件においては、あるインプットをしたら同じアウトプットになるという、予測可能な再現可能性を重視する。再現可能性の敵となる外部環境の影響はできるだけ排除するため、外界から閉ざした環境をつくり、あるインプットに対するアウトプットが再現可能で予測できるようにする。産業革命モデルの会社は、最終的にモノという無機物をつくることをゴールにしているため、モノづくりの再現可能性のために、人は機械に合わせるという考え方をとる。

このような世界では、人が中心にはいない。個人の想いで異常値的なことをやったら、それは生産効率の最大化という意味ではマイナスなのだ。

それに対して、生命科学の世界は、人をはじめとした生き物=有機物を扱う。生き物は一見外見が同じように見えても、常に細胞が生き死にを繰り返し、自らを生み出しながらも、そのかたちを保つオートポイエーシス(自己創出)である。つまり、細胞は常に変わり続けながら、そのなかでひとつの秩序を保ちつづける。創造する組織は、細胞のように有機的で、アメーバのようなかたちだ。中心に核としてのDNAがあり、ミトコンドリアで覆われている。細胞壁はあるが、外との情報がつながっているような状態をイメージしてほしい。そして生き物の特徴は、外との双方向の矢印(相互作用)によって、外界から情報を得て、自分たちの進む方向を決める、予測不可能な複雑系のシステムである。

創造する組織は、この生命科学的な世界をよく似ている。エネルギーの源泉は、いろいろな人が潜在意識として抱える欲望やイメージを具体化して、そのDNA(=文化的遺伝子)を世に残したいという、内発的な生命のエネルギーだ。DNAは、常に新たな組み合わせによってエラーを起こしながら、異常値をつくり続けるという特徴をもっているが、種の生存確率を上げるためにチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスが説いた「自然淘汰説」と同じく、たとえ多くが滅びたとしても、環境に適応した生物が子孫(創造物)を残していく。要するに一見ムダとも思える多くの創造は全滅するリスクをさけるためのものでもあるのだ。
~~~

さらにP64より
~~~
新たなものが生まれるプロセスは、生き物の世界が参考になる。生き物の生殖では、数限りない精子が最終的にたったひとつの卵子を結びつき「生まれる」という現象を引き起こす。こういった生き残ったタネ(種)が強いという自然淘汰の法則は、新規事業にも当てはまる。

必要なのは一発逆転の稀代のコンセプターと組みことではなく、多くのものが生まれる場をつくることだ。そして多くのものを生み出すには、自然に多様なタネが交わり、新たなチャレンジが生まれ、多くが死んでもその失敗がまた肥料になるような創造の土壌を用意することが肝心である。
~~~

なんか、しっくりきますね。
生命科学的な創造する組織づくり。

あともうひとつ、今日のこしておきたいもの「未来脚本」。

~~~
1 個々人が、半年から1年後に見ていたい理想の状態のキーワードを、何でもいいから書いてもらう。
2 そして、それを時間軸上に並べ、年表のようなかたちにまとめながら、自分たちが大成功した場合の物語の脚本を書いていき、どのタイミングでどんな状態になっているのが理想的なのかという筋書きを妄想からつくる。
3 一度それをやってみると足りない施策や人、リソースなどを洗い出すことができる。
4 3ヶ月〜半年後に振り返ってみるとらだいたいそこで物語化した取り組みは実現できていることが多い。
~~~

これ、すごくない?
「ビジョンセッション」って大げさに言うけど、こういうことでいいんだな、と。
高校でスクールミッションのための価値観ワークショップやったときも、
そういえば3つのキーワードをストーリー仕立てにして発表してたなあと。

ツルハシブックスのサムライ合宿でも
「未来日記」ワークしてたなあと。

これ、使ってみよう。  

Posted by ニシダタクジ at 09:33Comments(0)

2023年08月15日

自分を「定位」する地図


「つくるひとになるために~若き建築家と思想家の往復書簡」(光嶋裕介 青木真平 灯光舎)

読み始めました。
LETTER#1「自分の地図をつくる」から。

~~~
自分を確かな存在として確認する、もしくは今どこにいるのかを定位するためにコツコツとつくってきたはずの「自分の地図」の効力に疑問を感じています。

自分の思考の痕跡として、また生きる哲学として、自分のバラバラな認識や価値観を柔軟でしなやかなものとしてきちんと動きの中で確認するための地図を更新していきたい。今の生きづらさから逃れるためには自分なりの地図が必要なのです。

この地図は目に見えません。いや、見えないからこそ、考えて、書き換えていくことができる。ずっと不完全なんだと思います。そして地図をちゃんと手入れすることで、自分が今どこにいるのかということと、これからどこへ向かえばいいのかが、おぼろげながらも見えてくることが大事なんだと思います。

さらには、この地図は「完成しない」ということが何より重要だと僕は思っています。世界が動き続けていて、自分も変化していくためには、何事も「途上」であるという感覚を毎日の生活の中で大切にしたい。だって世界は動き続けていて、僕たちの道しるべとしての地図もまた常に揺らぎの中から書き換えられることで、生成されていくのですから。

そうした常識にとらわれない自由というものを他者との偶然性に身を委ねることで発見したいと思っています。

僕たちは日々の生活の中にわかりやすい意味を見つけ、ついそこに執着して因果関係をはっきりさせることでさらに思考する可能性を逆に排除してしまっていないでしょうか。一意的なもののとらえ方からすると、余白は単なる無駄なものでしかない。世界のわからなさをもっと謙虚に受け入れて、むしろ、そのわからなさにどっぷり身を浸して楽しむくらいのゆとり、それこそ遊び(余白)をもって世界と関わりたい。言い換えると、充分に頭で考えたあとは、因果関係による理由など手放して、直感的に偶然性を志向するのどうでしょうか。

自分の中の多くの他者を発見しながら、しなやかに変容し続ける世界といかに混ざり合うか。大きく豊かな生態系の一部であることを存分に味わう視点を見つけなくてはいけないように思えてならないのです。
~~~

「地図」「途上」「偶然性」「余白」
キーワードひとつひとつが、なんかしっくりきます。
そしてなによりも「自分を定位する」地図というキーワード。

新型コロナウイルスが全世界を覆った(ように見えた)3年間で僕たちが失ったもの。
それは「(予測可能な)未来」であった。
もっと言えば「未来が明治以来のフィクション」だと知った。
「目標」の意味や価値が劇的に減少していることを実感した。

だから、僕たちは「漂流している」(ように感じる)
それは、「自分を定位する」ための地図の時間的なタテ軸を失ったからではないのか。

「目的・目標という未来というフィクション」に替わるフィクションを必要としてるのではないか。

「麒麟山米づくり大学」
https://komeuniv.jp/
https://www.instagram.com/komeuniv_kirinzan/
https://note.com/komeuniv/

の取り組みは、受講生・参加者にとって
地元産米100%でつくる酒造りを「接いでいく」というヨコ軸と
180年の伝統ある酒蔵を「継いでいく」というタテ軸という
タテヨコの軸に「自分を定位する」試みであるとも言えると思う。

予測不可能な未来へ向かうベクトルとしての自分と、
他者との関係の中で浮かび上がっていく関係性としての自分。

そこにある偶然性に「身を委ねる」こと。
そんな曖昧な地図を更新し続けること。
変容する世界としなやかに対峙していくこと。

そんな目に見えない地図を、地図づくりを、ひとりひとりが必要としているのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:55Comments(0)学び日記

2023年08月05日

「名詞」という固定概念を破る


「コンセプトの教科書」(細田高広 ダイヤモンド社)

エッセンスに詰まった1冊です。

第2章 コンセプトを導く「問い」のつくり方
~~~ここから引用

名詞で発想を始めた瞬間に、固定観念に縛られることを自覚するべきでしょう。というのも名前こそが固定観念の正体だからです。

「名詞ではなく動詞」をデザインするべきだ」

行動に焦点を当てることで、既存のパラダイムから解放されるというのです。

名詞の問い:新しいコップをデザインするのは?
動詞の問い:水を運ぶ新しい方法をデザインするなら?

コップを「水を運ぶ」へ。スクールバスを「通学する」へ。問いを名詞から動詞へと置き換えると、自ずと問いの中心がモノからヒトにスライドします。21世紀以降、人間を中心としたデザインの大切さが語られてきましたが、それを叶えるための具体的な方法のひとつが動詞を問うということなのです。

自動車会社が「モビリティカンパニー」を名乗るのも自動車というモノではなく人類が「移動する」ことの可能性を問うこと

★アップルコンピュータ―は2007年にアップルへの社名変更
★ナイキ:ランニングシューズをつくっている⇒「ランニング」そのものの未来を問う⇒Nike+
★タニタ:体重計⇒「健康的にやせる」には?

つくろうとするものごとの名詞を動詞に置き換える。その動詞の持つ意味の未来を問う。それが固定観念に縛られない発想のつくり方なんです。
~~~ここまで引用

名詞から動詞へ。
これ、高校生の授業でも入口づくりとしていいなと思った。

「わたしのすきなもの」を名詞で出してもらって、
それをグループで動詞化していく。

たとえば、音楽が好き
⇒演奏するのが好きなのか?運動しながら聞くのが好きなのか?
そのシーンを具体的にしていくことで、その人自身が見えてくるし、動詞にすることで、その人自身がメタ認知される。
「アイデンティティ」ってそうやって解像度が上がっていくのかもしれない。

「わたしのすきなもの」からニックネームをつくるときも、
〇〇する△△っていう定型にするのもいいかもしれない。

結局、アイデンティティってコンセプトなんだよね。
コンセプトは、スピノザ的に言えば「コナトゥス」だし、いわゆる「あり方」っていうかBeの肩書きというか。

就活生にも、高校3年生にもおすすめの1冊です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び日記