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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2011年06月03日

「居場所」とは評価されないということ

「居場所」がない。

学校に居場所がない。
家庭に居場所がない。
会社に居場所がない。

それは、
「心落ち着ける場」がないということではなく、
ありのままを受け入れてくれる場所がないということ。

つまり。
「評価」されるかされないか、
が非常に重要になってくる。

「居場所」と「評価」は相容れない。

居場所とは、評価を超えたところにあるからだ。
もし、野球部に所属している部員が部員たちと
野球の技術だけの会話しかないなら、
そこは居場所にはなりえない。

学校の勉強もあって、恋愛もあって、
そんないろんな話ができるからそこが居場所になる。

そういえば、
高校時代のあの、ヤンキーがたまっていた
たこ焼き屋さん。

あそこには、「評価」はなかった。
タバコを吸っているから怒られることはなく、
髪を金色に染めているから、苦い顔をされることもなく、
ただ、おばちゃんがたこ焼きを焼きながら、話を聞いてくれた。

それが居場所。

極度に効率化された社会は、
評価を前提としたシステムを創り上げた。

非効率は徹底して排除された。

失ったのは「無駄」と「対話」
得たのは「効率」と「評価」だ。

こうして人は「居場所」を失っていったのではないか。

農村ではかつて、
田植えが終わったことを、手伝ってくれた人と神に感謝する
「さなぶり」が行われた。
田んぼで行われる飲み会だ。

そんな非効率で無駄な場と時間が、現代に必要とされているのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 06:08│Comments(0)学び
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