2011年08月19日
本当に今日自分は「生きた」のか?
炭師の原伸介さんとの出会い。
なんだかとても懐かしいような、
そんな気持ちになった。
印象的だった一言。
炭を売っているのではなく
炭焼きという文化を売っているんだ
という誇り。
先人たちが築いてきた、
炭焼きという文化。
森を守り、燃料を作り、様々な生活シーンに
使われてきた炭。
それをつないでいくんだという熱い思いが
原さんを講演活動へと進める原動力となった。
「生きる」ということに向き合った炭焼き。
森に入り、木を切り出す。
通常は2人以上で行うのだが
原さんは1人で行く。
事故が起こったときに
助けてくれる人はいない。
そんなギリギリの1日を過ごし、
森を後にするとき、
なぜか笑顔になるのだという。
それは、
「今日死ぬかも」というギリギリの
ラインを生きているから。
文字通り、毎日、「生還」しているのだ。
そのとき
「生きていることが当たり前ではなかった」
という。
いま。
原さんは、
福島原発の冷却システムを作ろうと
60歳以上の技術者の志願者が集まっている
福島原発行動隊
http://bouhatsusoshi.jp/
を知ってもらおうとする活動を続けている。
そんなときに、
胸に蘇るあのときの気持ちがある。
「本当に今日、自分は生きたのか?」
現状復帰の
「復旧」ではいけない。
ここから新たな日本を創らなければいけない。
そう原さんは言う。
やっぱり、
人が生きていくには「誇り」が
必要なんだな、って思った。
誇りを手に入れ、
1人1人の生命が輝きを放つとき、
新しい日本の息吹が聴こえるのだろう。
2011年が
誇りを持てる国、日本が創られ始めた元年に
していくことしかない。
なんだかとても懐かしいような、
そんな気持ちになった。
印象的だった一言。
炭を売っているのではなく
炭焼きという文化を売っているんだ
という誇り。
先人たちが築いてきた、
炭焼きという文化。
森を守り、燃料を作り、様々な生活シーンに
使われてきた炭。
それをつないでいくんだという熱い思いが
原さんを講演活動へと進める原動力となった。
「生きる」ということに向き合った炭焼き。
森に入り、木を切り出す。
通常は2人以上で行うのだが
原さんは1人で行く。
事故が起こったときに
助けてくれる人はいない。
そんなギリギリの1日を過ごし、
森を後にするとき、
なぜか笑顔になるのだという。
それは、
「今日死ぬかも」というギリギリの
ラインを生きているから。
文字通り、毎日、「生還」しているのだ。
そのとき
「生きていることが当たり前ではなかった」
という。
いま。
原さんは、
福島原発の冷却システムを作ろうと
60歳以上の技術者の志願者が集まっている
福島原発行動隊
http://bouhatsusoshi.jp/
を知ってもらおうとする活動を続けている。
そんなときに、
胸に蘇るあのときの気持ちがある。
「本当に今日、自分は生きたのか?」
現状復帰の
「復旧」ではいけない。
ここから新たな日本を創らなければいけない。
そう原さんは言う。
やっぱり、
人が生きていくには「誇り」が
必要なんだな、って思った。
誇りを手に入れ、
1人1人の生命が輝きを放つとき、
新しい日本の息吹が聴こえるのだろう。
2011年が
誇りを持てる国、日本が創られ始めた元年に
していくことしかない。
Posted by ニシダタクジ at 10:34│Comments(0)
│学び
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