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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2012年04月10日

アイデンティティとコミュニティ

ひとりひとりのアイデンティティの喪失。
それは役割の喪失と対になっている。

「自分が何者であるか?」
に対しての最初の答えは、
「家族の一員である。」ということだったはずだ。

そしてそれは、家族の中で
果たすべき役割があるから、
そう思えたはずだ。

漁に出る。
畑で作物を作る。
出稼ぎに行く。

玄関掃除をする。
食事の支度をする。
お風呂の水を汲みに行く。

そして、地域の一員としての役割を果たすということだった。
祭の神輿の担ぎ手として、
早朝の草刈り要員として、
用水路の泥上げ部隊として、
ひとりひとりが地域で何らかの役割を果たすということだった。

それはすごく、面倒なことだ。
そして「古い価値観」だ。

もはや、時代は変わった。
「個人の時代」なんだ。
煩わしい地縁を抜け出して、
まちに出て行こう。

工業社会の発達と共に、
徐々に地域コミュニティが失われていく。

しかし、その代わり、
会社の中に擬似「家族」を創出した。
終身雇用、年功序列。
飲み会に運動会、社員旅行。

そこには、ひとりひとりの役割があった。
いや、「役割感」があった。
自分は会社の一員であるという。
何より、自分が日本の高度経済成長を支えているんだという誇りがあった。

会社をコミュニティ化することで、
地域というコミュニティは分断された。
個人の時代に地域の一員として役割を果たすのは面倒になった。

同時に核家族化、電化製品の発達により、
家庭内での役割も徐々になくなっていった。
地域、家庭というコミュニティの結びつきは
だんだんと弱まっていった。

そしていま。
グローバルの荒波に、
企業というコミュニティがさらわれた。

もはや、個人は
大海原で揺れる小さなボートのようだ。
自分が属しているのは、「日本」という国籍しかない。
オリンピックやワールドカップでそれを確認するだけだ。

未来が見えない。
そして、自分が見えない。

アイデンティティの喪失とコミュニティの喪失は
対になっているのだ。

「夢を持て」と言われても、
自分が果たすべき役割を感じられないのに、
「医者になりたい」だったり「スポーツ選手になりたい」だったり思って、
そのモチベーションが持続するのは相当困難だと思う。

アフリカのスポーツ選手が
オリンピックで圧倒的な強さを誇るのは
「ハングリー精神」のおかげだと言われるが、
その実体は、家族を幸せにしたいという役割意識なのではないか?

アイデンティティを取り戻す。
自分が自分を生きることを取り戻すにはまず、
コミュニティを再生することが必要なのではないか。

コミュニティの中での
役割を見つけ、それを果たしていく。
そのきっかけが必要なのではないか。

その役割を見つけたとき、
人は生きる意味を見つけるのではないだろうか。

そうだとすれば、
中山間地で産業をつくる、ということは
じいちゃんばあちゃんに出番をつくるということ。
生きる意味をつくるということではないか。

広く言えば、
その地域自体が生きる意味、存在し続ける意味を
つくるということではないか。

現代の日本で、中山間地が果たすべき役割とは何か?

そんな問いから地域活性化のモチベーションは生まれるのではないだろうか。

支援者と被支援者という関係ではなく。
それぞれが、それぞれのアイデンティティの確立のため、
役割を果たすという関係性があるだけなんだと思う。

なんか、わかりにくい文になっちゃいましたね。
もう少し、考えます。

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Posted by ニシダタクジ at 07:20│Comments(0)日記
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