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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2012年08月03日

価値はそのものの中にはない

38歳になりました。
いつもありがとうございます。
生んでくれてありがとうございました。

38歳になって最初に読んだ本は、
「街場のメディア論」(内田樹 光文社新書)でした。

価値はそのものの中にはない

これ。
やっぱりすごくいいですね。

第七講 贈与経済と読書
「価値はそのものの中にはない」

この中で内田先生は
贈与経済の時代に立ち返り、
経済の原点である、交易について解説する。

ある部族が、珍しいものを置いておく。
すると他の部族は「これはなんだ?」
と思って持って帰る。

しかし、価値がわからない。
でもきっと価値があるのだろうと思って、
自分が価値があると思っているものを
そこにまた置いておく。

つまり「価値」は最初から存在していたものではない。
誰かが、もらって「ありがとう」と感じ、
御礼をしたいと思ったときに始めて、
「価値」は生まれるのだ。

そうだな、きっとそうだ。
そういう「価値あるもの」をたくさん生み出していくことが
クリエイティビティなのでしょう。

内田先生は言います。
「世界を意味で満たし、世界に新たな人間的価値を創出するのは、
人間のみに備わった、このどのようなものをも、自分宛ての贈り物
だと勘違いできる能力ではないのか」

これ、ステキですね。
目の前に来る全てのものを
「これは、贈り物ではないのか?」
と捉え、そのお返しをしようとする。
それはもらった人だけではなく、第三者へ送る。
こうやって世界はできているのですね。

「そのものの中に、価値はない。」

と聞いて、思い出したのが2004年の中越地震。
あのとき、毎日川口町に通って、
子どもの遊び相手のボランティアをやりながら、
無力感だけを感じていた。

こんなことやって、意味があるのか、
そんな苦しさの中にあった。

そうなんだ。
行為そのものに、価値なんてない。
それを受け取った人が
「ありがとう」と感じたとき、はじめて価値が出る。

その連鎖が未来を創っていく。

そんな贈与あふれる地域社会をつくっていきたいと
心から思います。

ひとりひとりが役割を果たす喜びを感じられる地域社会へ。

まだ、始まったばかりですが、
そろそろ結果を出していこうと思います。

38歳もよろしくお願い申し上げます。

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Posted by ニシダタクジ at 06:15│Comments(0)
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