2013年05月28日
野山塾、説明会初日
昨日、野山塾の説明会初日でした。
もっとも面白かったのは、やはり名前の由来。
「野山塾は、吉田松陰先生が入れられていた獄の名なんです。
獄の名が名前の由来となっていますので、地獄のように勉強します。」⇒笑。
幕末の時代、長州藩(現在の山口県)萩に吉田松陰先生が生まれます。
松陰先生は、松下村塾という塾をやったことで有名です、
維新の立役者、高杉晋作、久坂玄端をはじめ、のちの初代総理大臣伊藤博文など、
のちの日本を作っていく顔ぶれをわずか2年で輩出しました。
その松下村塾の原点が実は野山獄にあったのです。
黒船に乗ろうとして、捕まってしまった松陰先生は、萩の野山獄に入れられます。
そこで驚くべき行動に出ます。野山獄というのは、基本的には入れられてしまうともう一生出られない。
当然、松陰先生もそうなんですけど、そこで松陰先生はひたすら本を読んでいるばかりではなく、
隣の囚人を見て、俳句をやり取りしているのを見ると、その俳句を皆に教えてください。
書を書いている人がいると、その書を教えてください。
とみるみる学び場にしていった。すると囚人たちがみるみる元気になっていった。
この事実に僕は衝撃を受けました。
「学びによって、どんな場所でも、希望は作れるのだ」
それが僕の原点となり、
まちの中に学び合う場を作れないか?
というのが問いとなりました。
2004年。
29歳のときの話です。
直後、僕は萩に飛び、(飛行機ではなく、電車でいきましたが)
吉田松陰先生の墓前に手を合わせ、
「あとは俺に任せろ」と宣言してタスキを受け取ってきたのです。
あれから9年。
ついに、野山獄の冠をお借りして、野山塾をスタートします。
高校生1年生がさっそく勉強していきました。
場のチカラで勉強するようになる。
なんだか、未来を感じる船出となりました。
もっとも面白かったのは、やはり名前の由来。
「野山塾は、吉田松陰先生が入れられていた獄の名なんです。
獄の名が名前の由来となっていますので、地獄のように勉強します。」⇒笑。
幕末の時代、長州藩(現在の山口県)萩に吉田松陰先生が生まれます。
松陰先生は、松下村塾という塾をやったことで有名です、
維新の立役者、高杉晋作、久坂玄端をはじめ、のちの初代総理大臣伊藤博文など、
のちの日本を作っていく顔ぶれをわずか2年で輩出しました。
その松下村塾の原点が実は野山獄にあったのです。
黒船に乗ろうとして、捕まってしまった松陰先生は、萩の野山獄に入れられます。
そこで驚くべき行動に出ます。野山獄というのは、基本的には入れられてしまうともう一生出られない。
当然、松陰先生もそうなんですけど、そこで松陰先生はひたすら本を読んでいるばかりではなく、
隣の囚人を見て、俳句をやり取りしているのを見ると、その俳句を皆に教えてください。
書を書いている人がいると、その書を教えてください。
とみるみる学び場にしていった。すると囚人たちがみるみる元気になっていった。
この事実に僕は衝撃を受けました。
「学びによって、どんな場所でも、希望は作れるのだ」
それが僕の原点となり、
まちの中に学び合う場を作れないか?
というのが問いとなりました。
2004年。
29歳のときの話です。
直後、僕は萩に飛び、(飛行機ではなく、電車でいきましたが)
吉田松陰先生の墓前に手を合わせ、
「あとは俺に任せろ」と宣言してタスキを受け取ってきたのです。
あれから9年。
ついに、野山獄の冠をお借りして、野山塾をスタートします。
高校生1年生がさっそく勉強していきました。
場のチカラで勉強するようになる。
なんだか、未来を感じる船出となりました。
Posted by ニシダタクジ at 08:21│Comments(0)
│日記
この記事へのトラックバック
新潟市北区エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
ケノーベルからリンクのご案内(2013/05/29 09:16)【ケノーベル エージェント】at 2013年05月29日 09:16
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。