2013年06月11日
僕が本屋さんになった3つの理由
「なぜ本屋さんを?」
とインタビューされて、
聞くたびに違うことを答えているような気がしたので、
ちょっと整理してみようと思います。
1 ヴィレッジヴァンガード郡山アティ店の店長、明神さん(当時)との出会い。
サンクチュアリ出版の営業として
行きました、郡山のヴィレヴァン。
営業が終わって、帰ろうとしたら、
キレイにディスプレイされたカフェのコーナーが目に入り、
何気なく放った営業トーク。
「このコーナー、いいっすね」に対して、
真剣な顔で、「郡山にカフェをつくろうと思っているんです。」
それなんですか?
って聞いたら、
僕がこの棚をキレイにつくることで、読んだ人が
カフェを創るんじゃないかと思って。
本屋さんってそんなことができるんですか!
と衝撃を受ける。
シムシティかと思いましたよ、本当に。
あれ以来、僕の中に本屋さんと選択肢ができました。
2 「ホスピタルクラウン」を売りたい。
2007年2月にサンクチュアリ出版から発売された
「ホスピタルクラウン」。
衝撃の出会い。
こんなにカッコよく生きている人っているんだと思いました。
今でも大棟耕介さんは僕の心の師匠です。
2007年の6月には
僕は中学校で教育実習を3週間経験。
そのときには道徳のテキストとして、この本を題材に
授業をしました。
その直後、2007年の7月に起きた
中越沖地震の際に刈羽村ボラセンで子どものサポートとして
ボランティアコーディネーターをしていた私は、
大棟さんに来てもらえないか?と打診。
サンクチュアリ出版鶴巻社長の尽力により、
仮設集会所でのクラウンイベントが実現しました。
大棟さんは翌2008年にも来てくれました。
翌2009年4月。
大棟さんが新潟で講演会をやるということになり、
本の直売をすることに。
サンクチュアリ出版と相談。
そのときに「委託にするか?買い切りにするか?」
と言われ、条件もいろいろあったのですが、
「買い切ります」と宣言。
100冊のホスピタルクラウンが手元にきました。
結局、講演会で売れたのは40冊。
僕は60冊のホスピタルクラウンの在庫を抱えることになったのです。
8冊が収納できる小さなトランクを買い、
さっそく名刺を作りました。
そのときの屋号は、「本屋には新しい人生が転がっている」
車に小さなトランクを積んで、
出先であった人に、
「僕、本屋さんを始めたんです」と言って、
どれですか?これです。
みたいな感じで、ホスピタルクラウンを売り歩く日々が始まりました。
3 若者と地域のプラットフォームをつくりたかった。
3つ目が若者と地域拠点をつくりたかった。
これは2006年から取り組んできた
大学生で地域企業でチャレンジするような機会を
もっともっと創れないだろうか?
そのためには商店街に事務所を構えたい。
そう思っていたところ、現在の場所が空き店舗で、
そして改装費と家賃の一部を補助する制度があることを知り、
なにができるだろう?と考えて、
最初はタコ焼きとかたい焼きとかの軽食を考えていましたが、
建物的に1階の飲食は不可能。
ギャラリーもいいけど、そんなに人が交流しているイメージが湧かない。
そうだ、本屋さんだ。
本屋さんをいつかやろうと思っていたし、
悩める若者がやってきて、
地域の大人と出会うには、
本というツールはかなり強力だ。
と思い、一気に本屋開業の方向へいきました。
現在、その思いはある程度達成できてはいるのですが、
まだまだ継続してやっていけるほどにはなっていません。
昨日、幅さんのトーク「本の声を聞け」に
行けなくて残念だったけど、
魂のこもった棚、創っていきたいです。
ステキなインタビューをありがとうございました。
とインタビューされて、
聞くたびに違うことを答えているような気がしたので、
ちょっと整理してみようと思います。
1 ヴィレッジヴァンガード郡山アティ店の店長、明神さん(当時)との出会い。
サンクチュアリ出版の営業として
行きました、郡山のヴィレヴァン。
営業が終わって、帰ろうとしたら、
キレイにディスプレイされたカフェのコーナーが目に入り、
何気なく放った営業トーク。
「このコーナー、いいっすね」に対して、
真剣な顔で、「郡山にカフェをつくろうと思っているんです。」
それなんですか?
って聞いたら、
僕がこの棚をキレイにつくることで、読んだ人が
カフェを創るんじゃないかと思って。
本屋さんってそんなことができるんですか!
と衝撃を受ける。
シムシティかと思いましたよ、本当に。
あれ以来、僕の中に本屋さんと選択肢ができました。
2 「ホスピタルクラウン」を売りたい。
2007年2月にサンクチュアリ出版から発売された
「ホスピタルクラウン」。
衝撃の出会い。
こんなにカッコよく生きている人っているんだと思いました。
今でも大棟耕介さんは僕の心の師匠です。
2007年の6月には
僕は中学校で教育実習を3週間経験。
そのときには道徳のテキストとして、この本を題材に
授業をしました。
その直後、2007年の7月に起きた
中越沖地震の際に刈羽村ボラセンで子どものサポートとして
ボランティアコーディネーターをしていた私は、
大棟さんに来てもらえないか?と打診。
サンクチュアリ出版鶴巻社長の尽力により、
仮設集会所でのクラウンイベントが実現しました。
大棟さんは翌2008年にも来てくれました。
翌2009年4月。
大棟さんが新潟で講演会をやるということになり、
本の直売をすることに。
サンクチュアリ出版と相談。
そのときに「委託にするか?買い切りにするか?」
と言われ、条件もいろいろあったのですが、
「買い切ります」と宣言。
100冊のホスピタルクラウンが手元にきました。
結局、講演会で売れたのは40冊。
僕は60冊のホスピタルクラウンの在庫を抱えることになったのです。
8冊が収納できる小さなトランクを買い、
さっそく名刺を作りました。
そのときの屋号は、「本屋には新しい人生が転がっている」
車に小さなトランクを積んで、
出先であった人に、
「僕、本屋さんを始めたんです」と言って、
どれですか?これです。
みたいな感じで、ホスピタルクラウンを売り歩く日々が始まりました。
3 若者と地域のプラットフォームをつくりたかった。
3つ目が若者と地域拠点をつくりたかった。
これは2006年から取り組んできた
大学生で地域企業でチャレンジするような機会を
もっともっと創れないだろうか?
そのためには商店街に事務所を構えたい。
そう思っていたところ、現在の場所が空き店舗で、
そして改装費と家賃の一部を補助する制度があることを知り、
なにができるだろう?と考えて、
最初はタコ焼きとかたい焼きとかの軽食を考えていましたが、
建物的に1階の飲食は不可能。
ギャラリーもいいけど、そんなに人が交流しているイメージが湧かない。
そうだ、本屋さんだ。
本屋さんをいつかやろうと思っていたし、
悩める若者がやってきて、
地域の大人と出会うには、
本というツールはかなり強力だ。
と思い、一気に本屋開業の方向へいきました。
現在、その思いはある程度達成できてはいるのですが、
まだまだ継続してやっていけるほどにはなっていません。
昨日、幅さんのトーク「本の声を聞け」に
行けなくて残念だったけど、
魂のこもった棚、創っていきたいです。
ステキなインタビューをありがとうございました。
Posted by ニシダタクジ at 06:42│Comments(0)
│本
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