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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年06月12日

「世間」という神は中途半端に壊れている

「世間」という神は中途半端に壊れている
孤独と不安のレッスン 鴻上尚史 だいわ文庫

9日の一箱古本市で購入。
100円。
なんとビックリ。

いやあ。
これは、いい。
うなるよ。
読むべき1冊です。

第6章 それでも「一人はみじめ」と思ってしまう理由
ここだけでも読んでほしいですね。

「友達100人至上主義の果て」から始まって、
一番うなるのが「世間」という名前の神様
のところかな。

キリスト教徒にとってキリストは
唯一絶対の神です。
物事の判断基準は神に背いていないか?です。

では日本人はそういう神を持っていないのか?

似たようなものを持っていると著者は言います。
それは「世間」です。
世間体、世間様なんて呼ばれたりする。

その実体は
江戸時代に強く作られた
村落共同体です。

農作業は共同作業だから
誰かひとりがサボることが許されません。
僕たち日本人は共同体が神だったのです。

農民だけではありません。
武家社会も、商人の世界も、
世間を神として生きてきたのです。

それは明治時代以降、徐々に壊れていきます。
国家を強くするために、
強すぎる村落共同体を弱くする必要があったのです。

そしていま、僕たちは中途半端に壊れた共同体社会を
生きています。
強引に縛る村落共同体はもうありません。
でも、完全にはなくなっていない。

なるほど。

この中途半端さが
孤独の苦しさの原因なのではないか?
と鴻上さんは言います。

なるほど。
たしかに。
これはその通りかもしれないなあ。

中学・高校・大学では、
共同体として先輩は絶対で、
先輩に逆らってはいけない、と分かっていながら、
心の奥では、「1年はやく生まれてくらいで、なんで従わなきゃいけないんだ」
なんて思っていたりする。

世間は、中途半端に壊れている。

この自覚、必要ですよね。

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