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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年02月09日

答えを求めるなら本である必要がない

恵文社一乗寺店。
全国的に知られたステキな本屋さん。

答えを求めるなら本である必要がない

最近
「街を変える小さな店~京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち」を出版した
堀部店長のお話を聞いてきました。

ドキドキするお話でした。
個人店の魅力の詰まったワクワクする話でした。

一方で、「まちの本屋」が衰退していく理由が
痛いほどわかりました。

恵文社一乗寺店の名前が
有名になり始めたころ。
「本のセレクトショップ」と呼ばれることが多かったと言います。

「本のセレクトショップ」
これは、不思議な言葉です。

雑貨でも、洋服でも、飲食店でも、
普通、個人でやっているお店は、
全て「セレクトショップ」です。

店主が自分のお気に入りを選んで、
お客さんに共感してもらって、買っていただく。
あるいは、対話の中でお客さんのニーズをくみ取って、
それを仕入れ、売る。

その繰り返しでお店が成り立っています。

ところが。
本屋だけはそうではありませんでした。

取次と呼ばれる問屋さんが、
「いま、売れている作家、あるいは雑誌」という
データから、
お店の規模によって、

たとえば、あの駅前にある大きな紀伊國屋書店には100冊くらい、
あそこの街の小さな本屋でも、5冊くらいは売れそうだから8冊くらい入れておこう。

みたいな。
問屋さんが決めた本のラインナップを
並べていただけでした。

不幸なことに、
それでも本屋の経営が成り立つ時代が長く続いたのです。
もちろん、店主の人柄も重要な要因だったと思います。
しかし、お店のかなめである商品のラインナップを決めていたのは、
ほぼ、問屋さんでした。

いま、本好きだと自称する人は、言います。
「チェーン店に行っても、同じような品ぞろえで、
POSデータどおりに本が並んでいるだけでつまらない。」

しかし、その言葉は、
何十年も前から、
本屋の全てに当てはまる言葉だったのです。

いい言い方をすれば、
全国どこの本屋にも、発売日にちゃんと本が、雑誌が届く。

「効率化、均質化」の代表選手が本屋という業界だったのです。

つまり、全国の本屋がみんな、その問屋をトップとした
チェーン店だったようなものです。

恵文社一乗寺店が「本のセレクトショップ」
と呼ばれた、というのは、そんな業界の歴史を現わしています。

そしてもうひとつ。
本屋さんが衰退した理由。

堀部さんの言葉を借りれば、
「答えを求めるなら、本である必要がない。」
もうひとつ、僕が思ったのは、
「答えを求めるなら、本屋である必要がない。」

堀部さんは言います。

本屋に行くというのは、自分の関心の外、意識の外の
ものを知りに行く、ということ。
だから、現在の「消費」のメカニズムとは違うんだ、と。

「消費」とは、欲しい、と思ったものを、
いちはやく、最小の労力、金額で手に入れること。
そこに価値がある。

「賢い消費者」にとっての関心事は
「コストパフォーマンスの最大化」である。

だから、
小さなお店は「消費者」を相手にすることはできません。

消費者ではなく、「お客さん」
として付き合ってくれる人が必要です。

本屋の「お客さん」は、
欲しい本を最小の努力と金額で欲しいのではなくて、
店主との対話や、その場にいる時間。
そして、自分の関心の外、意識の外の世界を
見せてくれる空間として、本屋を見ています。

そもそも、本を読むという行為は
短期的には「コストパフォーマンス」の低い行為です。

その読んだ本が、
いつ、どのように効いて、
どのくらいの金銭的メリットがあるのか、よく分かりません。
(一部ビジネス書には、すぐに効きそうなタイトルの本もありますが)

本屋で本を選び、
店主と対話をして、
本を買う。
買った本を持って、近くのカフェに入って読む。

ステキな生活だと思いましたか?

そのコストパフォーマンスの悪い行為を
ステキだと思う「美意識」が
小さな店、小さな本屋を支えている、
と堀部さんは言います。

僕もまったく同感です。

これからの消費、
いや、これからの働き方、生き方を
決めていくのは、
ひとりひとりの美意識しかありません。

「自分は何をもって、美しいとするのか?」
という問いを常に問われていると言ってもいいでしょう。

「コストパフォーマンス」に対して、
「美意識」で対抗していく。
いや、対抗ではないな。
美意識を持って、立っていく、ということかな。

だから。
本や本屋というメディアは、
「美しさ」を問うことをしていく必要があると思います。

答えを最速で求めるなら、
本も本屋も不要です。
しかし、それは、美しくないんじゃないか?

と思える「お客さん」たちと、

「美しさ」を問うような棚、
そして美しさを感じられるような居心地の良い空間を
共に演じていきたいと僕も思います。

もし、僕たちが「文化」を創っているとしたら。

それはどんな「文化」だろう?

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Posted by ニシダタクジ at 06:29│Comments(0)学び
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