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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年02月15日

無力感は獲得されたものだ

プレイフルラーニングの聖地、
奈良・吉野に向かう朝。


「プレイフルラーニング」(上田信行×中原淳 三省堂)
を読み直します。
コワイことがたくさん書かれていますね。

心理学者マーティン・セリグマンによると、
「人間の無力感は学習(獲得)されたものだ」
と言います。

そして同じく心理学者のキャロル・ドゥエックが言う
「認知的動機づけ理論」

「動機づけ」つまり「やる気」は
その人の性格や気分の問題ではなく、
個人の考え方、見方の問題だということです。

そこで出てくるのが
「固定的知能観」と「成長的知能観」の問題。

頭の良さというのは、個人的なもので、変わることがない。
つまり、賢さは生まれつき決まっているのだ。
これが「固定的知能観」です。
僕が言い換えると、「才能思考」です。

もうひとつが
知能というのは、勉強すればするほど伸びる、成長する。
これを「成長的知能観」と言います。
僕が言い換えるなら「成長思考」です。

100%どっちかであることはなくて、
おそらくは、割合の問題だと思うのですが。

問題は、
「固定的知能観」が多いと、
元来持っている自分の固定された才能を
「できるだけ大きく見せる」ことが重要になり、
良い成績をとり、達成することが他者評価を受ける重要な要素になるのだから勉強するが、
成績が落ち始めると、とたんにやる気を失ってしまうということが起こります。

しかし、
「成長的知能観」を持っていれば、
「自分はもっと賢くなりたい」と考え、
他人からどう見られるかに関係なく、知らないことは尋ねることができます。
大切なのは、自分がより賢くなることで、学ぶことそのものが目的になるのです。

ドゥエック教授は、
これによって、学習のパフォーマンスは大きく変わってくると言います。
人間の使用メモリの容量が同じだとすれば、
「努力しても自分は変わらない」と思っている人は
「他人からどう見られるか?」に多くのメモリを使ってしまいます。

一方、「努力すれば自分は変われる」と思っている人は、
メモリの多くを「課題」に対して使うことができるので、
より高い成果をあげるようになるのです。

つまり、
「自分の持っている自分の知能に対する自己イメージ」が
動機に大きな影響を与えるのだと言います。

そして、
上田先生の博士論文によって、
驚くべきことが分かります。

日本の小中高生600人を対象に
調査した結果。
中学1年生の時に、
子どもは「成長的知能観」から「固定的知能観」
に変わる。

つまり、「無力感を獲得する」のです。

なんということでしょう。

おそらくはこれは、
成績の序列化が起こす悲劇なのだろうと考えられます。

同じように勉強してるのに、
隣の席のアイツのほうがテストがいい点数が獲れる。
「もしかしてオレは頭悪いんじゃないか?」
と思ってしまうのです。

しかし。
それは。

あくまで「現時点における」
日本の教育システムが求める力、
つまり、「記憶力、情報処理能力」に関して、だけなのです。

それは「才能」が決めるわけではありません。
まだ、開花していないだけなのかもしれません。

にも関わらず、
中学校1年生の段階で、
「オレには勉強の才能がない」と思ってしまう。

そしてそれは高校受験で決定的になります。
そして進路指導でも。
「あなたの成績はこのくらいだからこのくらいの高校に行きなさい」
と言われます。

こうやって獲得した「無力感」が
学習を楽しめなくしているとしたら、
これは何とかしなきゃいけないのだはないか、と思うのです。

では、どうやって、
「成長的知能観」つまり、成長思考を取り戻すか?

ここで僕は「スラムダンク」理論を使います。

最後の山王戦、
日本一のセンターと言われる河田に歯が立たない
赤木は、こう言います。

「たしかに現時点で俺は河田に負ける。
でもな、湘北は負けんぞ」

これです。
ひとりでは、かなわないけど、
チームでは負けない。

チームならできる。
この感覚から出発するしかないのだと思います。

僕は残念ながら
中学生高校生のアプローチが野山塾でしかできないので、
大学生になってから、
固定的知能観を成長的知能観に
シフトしていくことをしていくというプログラムをつくることしかできません。

誰もが子どものときは
成長的知能観を持っていました。

6歳の少年が
生まれて初めて自転車に乗る。

うまく乗れない。

そのときに、「自転車に乗る才能がない。」

とあきらめる子どもは一人もいません。

乗れるまでチャレンジしたから、いま、自転車に乗れるのです。

いつの間にか、人は無力感を学習します。
それは、才能のせいではなく、
「現時点で開花していない」
ただそれだけなのかもしれません。

「やってみなければわからない」
そう思える中学生高校生大学生を生んでいく。

それこそが大人の役割なのではないでしょうか?
チームでの小さなチャレンジを繰り返し、成長的知能観を取り戻す。

「地域」を舞台に、そんな場と機会をつくることが私たちの役割です。

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Posted by ニシダタクジ at 08:13│Comments(0)
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