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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年04月16日

私という存在は他者との相互作用の中にしか存在しない

昨日は、新潟中央自動車学校での「働き方研究所」
の第1回夜活でした。

私という存在は他者との相互作用の中にしか存在しない
3大学の1年生~4年生までが
参加して、「これからの大学の話をしよう」
というテーマでトークしました。

みんな本音が話せていたので、
場としては一定の成功かなと思いました。
1年生と3年生では視点が違うのが新鮮でした。

さて。
本日もこちらの本。

私という存在は他者との相互作用の中にしか存在しない
「私とは何か‐個人から分人へ」(平野啓一郎 講談社現代新書)

あまりにも興味深かったので、
2日目にして読了。

「個人主義」に対して、
個人を対人別の人格へと分けた「分人」を単位とした
「分人主義」を唱える著者。
分人そのそれぞれが「本当の自分」であるとする。

そして個性とは
「分人の構成比率」だと言う。

たとえば、
僕が本屋さんにいるときと、
まきどき村の畑にいるときでは、まったく別人となっている。
まきどき村には、圧倒的な開放感がある。

本屋にいるときは、
初めてのお客さんにどうやって話しかけようか、ドキドキしている。
大学生の悩み相談をされたときは、
きっちりを向き合って話をしなければならない。

「誰とどう付き合っているかで
あなたの中の分人の構成比率は変化する。
その総体があなたの個性となる」(本文より)

だから個性とは
生まれつきの生涯不変のものではない。

だから、
小学校からの友人が中学に入って
急にヤンキーになってしまっても、
「本当はあんなヤツだったんだ」と思ってはいけない。
ヤンキー仲間との「分人」比率が高まっていっただけだ。

「分人」モデルには
自我や「本当の自分」といった中心は存在しない。
しかし、その時々に大きな比率を占めている分人はある。

高校時代は部活の仲間に対しての分人としての自分だったり、
会社に入ってからは上司に対しての分人かもしれない。

それら、足場となるような重要な分人を
「一時的に」中心として、その他の分人の構成を整理することもできる。

この分人主義は
人間関係に悩む人が多い現代において、
大きなリスクヘッジになるだろうと著者はいう。

たとえば、
学校でも職場でもつらいいじめに遭っているとする。

そのときに
「自分は本質的にいじめられる人間だ」と
思う必要は全くない。

それはあくまでいじめる人間との関係、
その人に対する分人の問題である。

そうであれば、
学校や職場以外の
安心できる居場所にいる人に対する分人を足場に
分人を再構成していくことが可能になる。

「居場所」あるいは「コミュニティ」とは、
自分のお気に入りの分人を演じられる場所なのではないか。

いわば、
「あなたといるときの私が好き」

これが発展していくと恋愛になっていくのだろう。

~~~ここから引用

人間の身体は、なるほど、わけられないindividual。
しかし、人間そのものは、複数の分人に分けられるdividual。
あなたはその集合体で相手によってさまざまな分人を生きている。

(中略)

私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。
つねに他者との相互作用の中にある。
というより、他者との相互作用の中にしかない。

~~~ここまで引用

ということは、
「居場所」をつくる
とか
「たまり場」とか
「プラットフォーム」とかは、

自分がそうありたいという分人になれる場所をつくる
ということ。

そういう意味では、
昨日の新潟中央自動車学校での「働き方研究所」での

各人が演じた「分人」は
なかなか心地よかったのかなあと思います。

自動車学校という空間。
他大学の学年が違う人たちの集まり。
少しの緊張感とリラックスできる場づくり。
これは、いい場になる予感がしました。

大学生の皆様、
免許を取るなら新潟中央自動車学校ですよ。
僕までお問い合わせください。

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Posted by ニシダタクジ at 09:09│Comments(0)
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