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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年04月24日

「世間」の崩壊と「空気」の台頭

「世間」の崩壊と「空気」の台頭
「空気」と「世間」(鴻上尚史 講談社現代新書)

読み終わりました。
いやあ。
面白い。
こういう「生きづらさ」の解説本って好きだなあ。

鴻上さんの本を
中学生・高校生・大学生に届けたいと強く思う。

~~~ここから一部引用しながら

クラスや職場で友だちから
「最近、あんた、評判悪いよ」と言われ、
あまりいい気持ちはしません。
「誰がそんなことを言っているんだよ?」
と聞き返せば、友だちは
「みんな言っているよ」と答えたとします。

冷静に考えれば「みんな」が言っているはずはないと
すぐに分かります。
多くの人がいうことはあっても、例外なく「みんな」がいうことはまずないでしょう。

そのときに
あなたがどのくらい傷つくか、が
「世間」の力がどのくらい残っているか、
を示していると鴻上さんが言います。

「みんなが言っている」というのは
「世間」がそう言っているということです。

もし、「世間」が完全に機能していれば、
「みんな言ってるよ」と言われれば絶望するしかありません。

もし、「世間」が完全に力を失っていれば、
「みんな?みんなが言うわけないだろ。
英語で言えばエブリバディーだよ。
そんなわけないじゃん。」
と言って、鼻で笑って終わりです。

この「みんな言ってるよ」に対して
どのくらいズキリとくるかであなたがどれほど安定した「世間」に
住んでいるかがわかります。

「世間」という言葉は、
自分と利害関係のある人々と
将来利害関係をもつであろう人々の全体の総称なのである。
政党の派閥や大学の同窓会や会社内部の組織など、
それらは基本的には同質の人間からなり、外国人を含まず、
排他的で差別的な性格をもっている。(阿部謹也)

かつて、地域社会を強く結び付けてきた地域共同体という「世間」や
会社組織を結び付けてきた会社共同体という「世間」は
都市化と経済的グローバル化によって、緩やかに解体されました。

農業の機械化によって、
村落共同体として田植え、稲刈りを共同作業で
する必要はもはやありませんし、
誰かが困ったら助けてあげる、というようなセーフティネットも機能しません。
だから祭りなどの共同作業に参加しない「世間」を気にしない人も増えていくのは必然の結果です。

会社という共同体も
経済的グローバル化によって解体されつつあります。

「終身雇用」と「年功序列」は
昨日のブログに書いた「世間」のルールを
会社用語で置き換えたものです。

「共通の時間意識」と「贈与・互酬の関係」を
「終身雇用」に
「長幼の序」を
「年功序列」
という単語に翻訳しました。

こうして会社は強力な「世間」をそこに構築していったのです。

そして経済的グローバリズムが、
「成果主義」の名のもとに、
「終身雇用」と「年功序列」をなくしていった、
つまり、「世間」を解体していったのです。

だからこそ、
おじさん社員の「今夜、一杯どうだい?」
という誘いに対して、さらっと
「いや、今夜はデートですので」
と断れるようになったのです。

このように、「世間」はだんだんと壊れていき、
ということは、
会社というセーフティーネットは機能しないということです。

いつ会社を解雇されるかわからないという不安の中で
「世間」の一員として「共通の時間意識」を持つことが不可能になり、
飲み会を断るという状況になっているのです。

そこで、「空気」が台頭してくるのだと著者は言います。

「世間」のルールが部分的に成立しているもの、
これが「空気」だと言います。
そこにあるのは、「共同体の匂い」です。

つまり、
「空気を読め」とは「共同体の匂いを読め」
ということです。

その共同体の匂いをたとえばマスコミがつくりあげて
それを共有することで、

「私は孤独じゃない。私たちはバラバラじゃない。
なぜなら同じものを見て、一緒に笑える人たちがいる。
一緒に笑えている人たちの中に私がいる。」
という安心感を得ているのです。

不安になればなるほど、
敏感になり、場の空気を探り、従おうとするようになるのです。

~~~ここまで一部引用しながら

日本人にとって、「世間」は神様のようなものだった、と著者は言います。
なるほど、たしかにそうだなあと思います。
しかし、「世間」が大きく壊れているいま、
私たちは「世間」と「社会」をうまく行き来する必要があります。

「社会」に生きる人として
「社会」(自分が属している「世間」の外)にいる人に
対して、伝わる言語で相手に伝え、
コミュニケーションをとっていかなくてはなりません。

そして、
ゆるやかな共同体を新たに形成しながら、
この「世間」なき時代をしなやかに生きていかなくてはならない。

これがきっと
中学高校大学で学ぶべきことなのだなあと思います。

「空気」と「世間」
若者の生きづらさを考えたい人が読むべき1冊です。

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Posted by ニシダタクジ at 06:17│Comments(0)
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