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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年06月21日

承認欲求を超えるには

承認欲求は
人間の根源的欲求である。

しかし。
それはまた紙一重で
他者評価の欲求でもある。

「認められたいの正体」
(山竹伸二 講談社現代新書)
で著者は承認には3段階のレベルがあり、

「親和的承認:ありのままの自分を受け入れてもらう」
「集団的承認:集団の中で役割を果たすことで承認してもらう」
「一般的承認:社会一般でいいとされることをすることで承認してもらう」

となっている。
このうち、
集団的承認と一般的承認は
「他者評価」によって実感できる場合も多い。

「ありがとう」と言われることを
「承認」のしるしにしているとちょっとつらい。

承認のために他者評価を生きるようになるとつらい。
ちょうど、親や先生にほめられるためにテストを
頑張るようなものだ。

残念ながら
小学校中学校高校の勉強の仕組みは
「評価」を前提に成り立っているので、
他者評価をベースに生きてしまう危険性をはらんでいると思う。

しかし。
それは社会に出てからつらい。
「他者評価」があまり得られないときに、
「自分には価値がない」と思ってしまうかもしれないからだ。

承認欲求からくる他者評価依存
をいかに脱していくか。
これが人生を生きる上で必要なことだと思う。

そうすると、大学生の時にカギを握るのは、
「親和的承認」の機会をどう得るか、
というところにかかってくる。

もちろん家庭環境に恵まれていて、

たとえばお母さんに怒られた時に
おばあちゃんの家に行き、
「いいんだよ。タケシがいい子なのは、おばあちゃんがわかっているから」
と理由も聞かずに言ってくれるような環境に育った子たちは、

「親和的承認」の機会を得られていて、
そうなると、他者評価が得られずに集団的承認や一般的承認が
得られない状況に陥ったとしても、そこまで落ち込むことはないような気がする。

しかしながら、
そのような状況にある子どもは核家族化して、
商店街や地域コミュニティが機能しない現在においては
きわめて稀である。

大学生の時に(ホントはもっと以前にやるべきだが)、
まず、やるべきは、
この親和的承認の機会を得ることではないか。

「自分は存在しているだけで価値がある」
と体感できる時間と空間を過ごすことができるかどうか。

だからこそ、商店街インターンシップであり、
だからこそ、野山塾やツルハシブックスの空間があるのだろう。

地域の大人たちと触れ合うことで、
「自分は若いだけで価値があるんだ」と、
会話の外のニュアンスが伝わってくる。

そうして得られたものをベースにしないと
「他者評価」に頼らない人生を
生きていくスタートラインに立つことはできないのではないか。

やっぱり、ここが僕の主戦場だと改めて思った。

まきどき村もツルハシブックスも、商店街も、
若者にとっては親和的承認の場、なのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 06:04│Comments(0)思い
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