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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年06月27日

嫌われる勇気、それが自由です。


「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀史健 ダイヤモンド社)

君は、アドラーを知っているか?
と大声で叫びたくなるような1冊。

これ、高校生の時に読んでいたら、
アドラー心理学を学べる大学に進学していただろう。

いや、まあ、きっと読まないけどね。
そんくらい大きな衝撃を受けた本でした。

「認められたいの正体」
「私とは何か」
と合わせて読みたい1冊です。

「承認欲求」「他者評価」
がテーマだった僕にとって、
一筋の光をくれた1冊の本との旅となりました。

心にずしりと響くキーワードが続々。

もっともドキドキしたのは、
第3夜「他者の課題を切り捨てる」です。

~~~ここから引用
・アドラー心理学では他者から承認を求めることを否定します。
・われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない。
・他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。

・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、
自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。
・他者の課題には踏み込まない
・「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」
・「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない。」

・「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、その選択について
他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、
あなたにはどうにもできない話です。
・他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

・「好意を無にする」という考え方は見返りに縛られているだけ
・承認欲求は不自由を強いる
・他者からの承認を選ぶのか、承認なき自由を選ぶのか

・自由とは他者から嫌われることである
・幸せになる勇気には「嫌われる勇気」も含まれる

~~~ここまで引用

このあと第4夜、第5夜とクライマックスへと
突入していきます。

この本によると、
アドラーは、「嫌われる勇気」を持つ、
つまり自由を胸に抱いて対人関係を生きていく、
その最終ゴールは、「共同体感覚」、つまり
「他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること」
だと言います。

叱ってはいけないし、褒めてもいけない。
上下関係、縦の関係ではなく、
すべての対人関係で横の関係としていくことを提唱しています。

「いま、ここ、自分」を大切に、
ダンスをするように生きる。
それがアドラーの教えなんだそうです。
なんだか、時代にマッチしているなあと思いました。

こういうのを心理学では
「目的論」というそうです。
「原因論」に対立する概念だそうです。

「原因論」というのは、
トラウマ、とかよく言われるように、
なぜ?と現在起こっていることの「原因」を
突き詰めていくような原理です。

それに対して「目的論」は
現在起こっている現象の「目的」を考えていきます。

たとえば、
あがり症で、男性に告白できない、という女性の話が出てきます。
その人が相談に来たとき、
「それは幼いころのこういう出来事が原因ですね。」
というのが原因論です。

目的論では、
女性は、告白しないという目的、
つまり、告白してフラれて傷つかないために、
「あがり症」という症状を作り出しているのだ、と考えます。

こういうの、高校で教えたほうがいいんじゃないかな、って思います。
必修してもいいくらいだな、と思いました。

「承認欲求」をどのように超えるか?
が僕のいまの研究テーマです。

僕のいまの仮説は、
偶然何かに巻き込まれて、
ダンスを演じているうちに、
そっちのほうが楽しくなって、
いまを演じられるようになる。

承認というタイムラグのあるものではなく、
「いま、ここ」を燃焼して生きる。
そういうことなのかなと思います。

僕が1998年に自然農の農家めぐりをしていて、
一番感じたのは、まさにそれでした。

「その草を残すべきか、刈るべきか、畑に立つと自然と分かるようになる」

その瞬間。
自らの生を燃焼して、草を刈るべきか、判断する。
それを、彼らは「自然農」と呼んでいました。

16年の時を超えて、
いま、再びその地平に立っているような気がします。

自然農という生き方をしたい、と思ったあの頃へ。

「嫌われる勇気」の隣に置きたいのは、この本かもしれません。


「自然農に生きる人たち」(新井由己 自然食通信社)

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Posted by ニシダタクジ at 06:36│Comments(0)
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