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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年11月10日

カテゴライズする無意味

下北沢に
「B&B」という小さな本屋がある。

いや。
「本屋」ではない。

本はたしかに置いてあるのだが、
その空間はもはや、「本屋ではない」

11月9日付の日経MJによると、
B&Bの特徴は、

1 店内でビールが飲める。
2 店内の本棚や椅子は「販売用」である。
3 ほぼ毎日、イベントが開催されている。

カテゴライズする無意味
僕も7月3日にイベントに出てきました。

これを、
「複数の収益の柱を持つ」本屋
だと思うのか、
本屋とは違う、別のお店だと思うのか?

は議論が分かれるところである。

僕としては、どっちでもいいのだけど、
お客さんにとっては、
「居心地がいいほうがいい。」
ということに結論されるだろう。

ここで、B&Bを本屋だとカテゴリーすることは
無意味だと僕は思う。

そしてそれこそが、
いわゆる「町の本屋」がなくなっていっている原因の
ひとつだろうと思う。

町の本屋は、かつて、
多くの場合、雑誌売り上げを収益の柱としていた。
毎日入ってくる発売日の雑誌を店頭に並べて、
余った雑誌を返本していればある程度の利益は確保できた。

本も取次(卸売)の言うがままに
売れ筋の商品を並べていれば、
売り上げが計算できた。

しかし。
雑誌が売れなくなってしまった。
雑誌を買う世代の人口減少に加えて、
ネットなどの普及で、雑誌のニーズそのものが減少した。
だから、本屋という業態が厳しくなってしまったのだ。

その代わりに伸びてきた本屋は、
ツタヤのような「レンタル複合型書店」

本好きの人は、だいたいこういう発言をしたことがあるだろう。(僕もしたことがないわけではない)
「ツタヤなんて本屋じゃないよ。売れ筋の本しか置いてないんだもの。」

これはある意味、当たっているだろう。
ツタヤは全国チェーンのデータを活かした品揃えで
お客様のニーズにこたえるために
「売れ筋の本を確実に」置いてあるからだ。

ここで、ある事実がひとつある。

ツタヤチェーンの書籍売上は、
一昨年から紀伊国屋を抜いてチェーン店1位となっている。
つまり、人はツタヤで本を買っているのだ。

もちろん、ツタヤによって、
地元の中小書店が無くなり、
近所に本屋といえばそこしかなくなってしまったこともあるだろう。

しかし、それ以前に、
ツタヤができたとき、
地域の人たちはみな、ツタヤに通い、ツタヤで本を買ったのである。

先の本好きの人のコメントを引用するならば、
みな、本屋じゃないところで本を買っているのだ。

これに関して、
ツタヤの本部であるCCCの増田社長は言っている。
「ツタヤは本を売っていない。ライフスタイルを提案しているだけだ。」

これはひとつのキーワードとなるだろうと僕は思っている。

本を売っていないツタヤが
書籍売上1位になっているという事実。

そう。
「人は本が欲しいわけではない。」
ということ。

いや、もちろん、世の中には
一定数の「本好き」の人たちがいて、
「この小説家のこの文章がいいんだ。」とか
「この本の装丁が素晴らしいから家の書棚に飾っているんだ」
とか、そういう人もいるだろう。

しかし、多くの人たちは、
本好きであるわけでないが、
本を買っている、そしてそれはツタヤであるということだ。

レンタルのついでに、
あるいは暇つぶしに雑誌を立ち読みしに来たのかもしれない。

しかし。
そのついでに、
新刊書話題書コーナーをみてしまうと
目の前に飛び込んでくる本を思わず買ってしまうのだ。

それは、まさに、雑貨屋さんで、
「これ、かわいい」と言って、
部屋に置くための2000円くらいのオレンジのライトやクッションを
衝動買いしてしまう女の子のようだ。

買っているものは雑貨と本の違いは
あるかもしれない。

しかし、買った本人は
「これが自分の生活を豊かにする」
と感じて、それを購入しているのだ。

そういう意味では、
ツタヤと雑貨屋に差はないと僕は思う。

つまり。
「本屋である」とカテゴライズすることは無意味だ。

そこに本があれば、
古着屋さんに古本を並べていたってそこは本屋だし、
個人のクルマに小さなトランクを積んでいても、そこはまぎれもなく本屋だ。

だから「複合型書店」とか、
「収益の柱が複数ある」とかが重要なのではなくて、

そこが「本のある空間」であり、
本との出会いをどう演出するか?
ということが大切なのであると思う。

僕は、
ツタヤの例を出すまでもなく、
お客さんの立場、特に若い子の場合は、
本屋と雑貨屋の境目は無くなっていくだろうと思う。

どのように本と出会うのか。
そんな出会いの場をプロデュースできる人を、
人は「本屋」と呼ぶのではないだろうか。

ナリワイとしての本屋の時代が
始まろうとしていると思う。

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Posted by ニシダタクジ at 05:46│Comments(0)学び
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