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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年11月29日

思考と感性を止めないこと。

新潟日報11月28日付の
月乃光司さんのコラムが
その通り過ぎて、うなった。

「無関心な人は、もしかしたら子どもの頃に
思考停止に成功できてしまった人なのではないか。」

もうすぐ衆議院議員選挙がある。

「どこに入れても変わらないから。」
「政治家なんて信用できない。」

と言いながら、
投票しない人たちがいる。

いや、それ以前に
そもそも関心がない、という人だっている。

それは教育の賜物ではないか、
と光司さんは訴える。

「躓くのは疑問を感じるからである。」

「教育課程で詰め込まれてきたのは、考えるな、という強烈なメッセージ。」

「今は何も考えずに勉強して志望校に受かるのだと言うばかりだった。
あの時、私は周りのすべての人間から思考停止を求められていた。」

「今、この瞬間の大切な何かを見失っている気がした。」

「今思うと、子どもに考えるな、と勧めるなんて、とても恐ろしいことだと思う。」

と胸をつく言葉がつづく。

その教育で生み出されて来るのは、
効率的に生きるために思考停止をする若者たちだ。

テレビ・新聞をはじめとする大手メディアの
言うことで、なんとなく世の中をわかったような気になって、
「政治になんて関心がない。」と言う人たちだ。

しかし。
しかしである。

それで幸せになるのかい?
ということだ。

自分が住んでいるのとは違う世界で、
勝手に何かが決められて、
未来へと動いていってしまう。
本当にそれで幸せなのだろうか。

思考停止。
もっと言えば感性の停止。

もしかしたら、僕たちは
そんな訓練を受け続けてきたのかもしれない。

ぎゅうぎゅうの満員電車でも通勤ができるような
強靭な肉体と精神力。
それは感性をある程度停止しなければ乗り越えられない。

理不尽な教師や上司に言われても、
修行だと思って言われたとおりにやること。

かつて、
それに価値があった時代があった、と僕は思う。

それは
「作れば売れた」時代だった。

より早く、より大量に。
そんな時代が30年間~40年間だけ続いた。

明治の工業化から考えれば、
130年~140年程度続いた。

それは「過去の成功体験」というよりも、
「幻の成功体験」「奇跡の成功体験」だと言えるだろう。

もはや、つくっても売れない。

ということは、
教師や上司の言うことをただ聞いて従っているだけでは
価値は生めないということだ。

教師や上司や政治家が誰であれ、
思考し続けること。
感性を止めないこと。
行動すること。

未来を創造する、というのはきっと、そういうことだ。
小さな、小さな一歩だ。

だから、みんな、選挙へいこう。

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Posted by ニシダタクジ at 07:33│Comments(0)学び
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