2015年01月03日
編集者的身体を持つ
「失われた感覚を求めて」(三島邦弘 朝日新聞出版)
2015年最初の1冊。
いやあ。
読後感がすごい。
心に爽やかな風が吹き抜ける1冊。
ちょっとまだ言語化できないけど、
そういう感じ。
ツイッターメモも満載。
もう一度読み直そうと思う。
いちばん面白かったのは、
「メディア」の原義は「媒介する」
という意味。
そう。
「発信」するのではなく、「媒介」する。
それがメディアの役割だ。
とすれば、
「双方向メディア」という言葉さえおかしい。
そもそも媒介なのだから、双方向性は必須である。
インターネットメディアは、双方向性を持ちやすいから
発展したと言われる。
ラジオが無くならない理由のひとつも双方向性にあるだろう。
三島さんも書いているように、
「政府が右と言うものを左といえるわけがない」という発言のように、
もはや、既存大メディアの多くは双方向性どころか、主体さえ失っている。
主体を他者に明け渡すことなく、
編集者的身体を保ちながら、
真っ白になって受け止め、
どのように「媒介」していくか?
それがこれからの編集者のあり方、
いや、これからのではない、これまでも、これからもそうなのだけど、
今の時代ほど、それが必要とされる時代はない。
他者のせい、時代のせいにせずに
自分の感性に自信を持ち、
時代と社会を編集していくこと。
それがこれからひとりひとりが進んでいく道なのだと思う。
「本屋」という「メディア」は、
これから何を媒介していくのだろう?
と問いながら、ツルハシブックスを創っていこう。
Posted by ニシダタクジ at 06:20│Comments(0)
│本
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