2015年02月22日
「正しさ」より「対話」を
教育に関しては特に、
「正しい」ことなど、存在しないのかもしれない。
長野県伊那市高遠にある「まあるい学校」
http://www.inadani-maaruigakkou.com/
「学校」とは言いながら、
校舎はちいさなゲルだった。
いや、まあるいだからゲルしかないのかもしれない。
中から見るとこんな感じ。
代表の濱ちゃん。
魅力的な人に出会ってしまった。
松下村塾のような学びあう空間が、
きっとそこにはこれからできていくのだろう、と
僕の感性が反応していた。
「正しさ」など、存在しない。
学校も単なる「現時点での多数派」に過ぎない。
もちろん、オルタナティブスクールもそうだ。
正しい教育法などあるはずがない。
だから、対話をしていくのだ。
宮沢賢治が言ったように、
「永久の未完成、これ完成である」を地で行くことだ。
子どもたちと、親と、学校と、そして世間と
対話をしながらつくっていく。
それが「まあるい学校」だと
僕は勝手に思ってしまった。
素敵だなあと思う。
たくさんの対話が詰まっているような、
そんな本屋さんを僕もつくりたいと思った。
素敵な機会をありがとうございました。
濱ちゃんと「まあるい学校」、これからも注目していきます。
「正しい」ことなど、存在しないのかもしれない。
長野県伊那市高遠にある「まあるい学校」
http://www.inadani-maaruigakkou.com/
「学校」とは言いながら、
校舎はちいさなゲルだった。
いや、まあるいだからゲルしかないのかもしれない。
中から見るとこんな感じ。
代表の濱ちゃん。
魅力的な人に出会ってしまった。
松下村塾のような学びあう空間が、
きっとそこにはこれからできていくのだろう、と
僕の感性が反応していた。
「正しさ」など、存在しない。
学校も単なる「現時点での多数派」に過ぎない。
もちろん、オルタナティブスクールもそうだ。
正しい教育法などあるはずがない。
だから、対話をしていくのだ。
宮沢賢治が言ったように、
「永久の未完成、これ完成である」を地で行くことだ。
子どもたちと、親と、学校と、そして世間と
対話をしながらつくっていく。
それが「まあるい学校」だと
僕は勝手に思ってしまった。
素敵だなあと思う。
たくさんの対話が詰まっているような、
そんな本屋さんを僕もつくりたいと思った。
素敵な機会をありがとうございました。
濱ちゃんと「まあるい学校」、これからも注目していきます。
Posted by ニシダタクジ at 20:47│Comments(0)
│学び
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