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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年02月26日

カタリ場という即興劇

カタリバいばらき準備室
のデビュー戦を見学してきました。
実は初のカタリ場現場見学でした。

高校の体育館に
集まった1年生が
3,4人ずつに分かれ、センパイのもとに行く。
しばし座談会的な時間。

その後、4名の先輩による
紙芝居プレゼンテーション。

ここで行われる
強烈な自己開示。

生身の大学生が
等身大の言葉で自らの
葛藤を描いた紙芝居。

ここで一気に空気感が変わる。

このあと、2つに分かれて、
1つは引き続き紙芝居を聞く。
もう1つは、座談会のところに戻って振り返る。

最後にもう一度座談会のところに集まって、
振り返りをし、最後に約束カードを記入して
小さな行動につなげていく。

カタリ場とは、
「主体的に将来を考えるっきっかけを与える
動機付けキャリア学習プログラム」(カタリバパンフレットより)

このひとつひとつで
キャストと呼ばれるスタッフの大学生たちも
悩みながら、振り返りながら、
ひとつの「カタリ場」を作っていく。

きっとそういう感じが
あの空気感を生み出しているのだろうと思った。

本音と本音。
悩みと悩み。

少し年上の存在だからこそ、
響きあう何か。
そんな即興劇のような「カタリ場」を
見せてもらった。

僕自身の学びは、以下の3つ。

1 強烈な自己開示とそのタイミング
2 心に問いを残すということ。
3 価値観の揺らいだ瞬間を言語化して伝える

1 強烈な自己開示とそのタイミング
紙芝居をやるキャストから
それぞれ強烈な自己開示が行われる。

不安、満たされない気持ち、弱さ。
どうやって生きていけばいい?
わかんない。

大学生の生身の言葉が胸に突き刺さる。
自分も自分を出していいかもしれない、と思う。
それが座談会につながっていくのだろう。

そして、振り返りで気になったのは
その自己開示のタイミング。

座談会においては、
おもに高校生の話を引き出す、
ことが求められる。

その際にも関係性構築や
自身の自己開示もある程度必要になってくるだろう。
そのタイミングと量は、
回数を重ねても常に試行錯誤というか、ライブの中で
精一杯やるしかない。

2 心に問いを残すということ

わずか2時間。
そのあいだに残せることは、
なんだろうか。

それは、問いなのだろうと思う。
いま自分もまさに向き合っている問い。

それを全力で表現することで、
高校生に問いを残せたらいいと思う。

これは、カタリ場に限らず、
講演や勉強会など、すべての場で
心に留めておきたいなあと思う。

3 価値観の揺らいだ瞬間を言語化して伝える

今回。
これがもっとも大きかったのかもしれない。

高校生にとって
(おそらくは大学1年生にとっても)

一番大切なこと(だと僕が考えること)は、
「価値観が揺らぐ」ことではないかと思う。

今まで信じてきた価値観
(たとえば「勉強していい大学に入ると幸せになれる」や
「親の言うことを聞くことが一番大切」
あるいは「自分が一番努力をしてきた」など)

が揺るがされる瞬間。
これをどう言語化して伝えるか?
はすごく大切なことだと思った。

これまで、僕は
「機会提供」に価値があると言い続けてきた。
古本コーナー「HAKKUTSU」はまさに
機会提供そのものだ。そこに目的はない。

その機会提供の
「機会」のもっとも大切な部分のひとつは
この「価値観が揺らぐ」機会の提供ということになるのだと改めて思った。

それを学校現場の中で、
学年全体に向けて行う
カタリ場のパワフルさに、
僕は圧倒されていた。

僕自身はツルハシブックスという場で
機会提供しようと思ってきた。

そういう意味では、
カタリバが目指しているものと
究極的には同じものなのかもしれない。

カタリ場の魅力は、
自発的意志がなくても、
その学校に行っている限り、
それを享受できるということ。

ツルハシブックスの弱さは
駅前にあるとは言え、あのドアを
開けなければならないということ。

逆に強みは、
より多様性に富んだ人たちが
その空間には存在しているということ。

カタリ場という即興劇

カタリ場のようなインパクトには欠けるけど、
じわじわと自己開示する瞬間を作れたらいいなと思う。

「機会提供」の「機会」のもっとも大きなものは、
「価値観の揺らぐ瞬間」であると
あらためて思ったカタリ場見学デビューでした。

それにしても、
いいお芝居を観た後のような感覚が
今朝も残っています。

カタリ場という
生涯1度限りの即興劇を一緒につくっていく。
この瞬間を燃焼すること。

僕もそんなふうに生きていきたいなあと思いました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:49│Comments(0)学び
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