2015年03月21日
やってみる、とは機会を得るということ
「教育」ではなく、「機会提供」
こそが僕の目的なのだ。
そして、「機会提供」は同時に、
自分にとっては、「機会を得ること」
になる。
その「機会」は
一方向ではなく、双方向だからだ。
2014年11月に
文部科学省がフリースクールフォーラムを開催し、
フリースクールに対しての支援検討に入っている。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/209083.html
僕の周りでは、いわゆる「サドベリースクール」の
設立ラッシュを迎えている。
見学にいってきた
伊那の「まあるい学校」もその一つ。
きっとこれから、
「機会提供」「双方向」がキーワードになってくる。
そしてそれは、
地域のお年寄りの出番を作ることにも
直結している。
それは決して、
「お年寄りから先人の知恵を学ぼう」
というものではない。
そこに参加するお年寄りの基本姿勢は、
「自分たちが子どもから学ぼう」
であり、
「機会提供」と「機会を得る」
が同時に起こっているのだという自覚。
そんな「場」がこれからは学校と呼ぶのだろう。
これからの教育に携わる人の条件は、
「子どもたちと接することで自分が学ぼう」と思っている人。
反対に言えば、
「子どもたちと接することで自分が学ぼう」と思っている人が
集まれば、「学校」は成立することになる。
そんな学校がこれから、どんどんできていく。
松下村塾がどんどんできていく。
こそが僕の目的なのだ。
そして、「機会提供」は同時に、
自分にとっては、「機会を得ること」
になる。
その「機会」は
一方向ではなく、双方向だからだ。
2014年11月に
文部科学省がフリースクールフォーラムを開催し、
フリースクールに対しての支援検討に入っている。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/209083.html
僕の周りでは、いわゆる「サドベリースクール」の
設立ラッシュを迎えている。
見学にいってきた
伊那の「まあるい学校」もその一つ。
きっとこれから、
「機会提供」「双方向」がキーワードになってくる。
そしてそれは、
地域のお年寄りの出番を作ることにも
直結している。
それは決して、
「お年寄りから先人の知恵を学ぼう」
というものではない。
そこに参加するお年寄りの基本姿勢は、
「自分たちが子どもから学ぼう」
であり、
「機会提供」と「機会を得る」
が同時に起こっているのだという自覚。
そんな「場」がこれからは学校と呼ぶのだろう。
これからの教育に携わる人の条件は、
「子どもたちと接することで自分が学ぼう」と思っている人。
反対に言えば、
「子どもたちと接することで自分が学ぼう」と思っている人が
集まれば、「学校」は成立することになる。
そんな学校がこれから、どんどんできていく。
松下村塾がどんどんできていく。
Posted by ニシダタクジ at 06:39│Comments(0)
│日記
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