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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年04月10日

自立してはいけない

「学校」を「当事者意識」という視点から再び考えてみる。

「学校」はきちんとしている。

教育目的。
カリキュラム。
先生の資格。

一定期間に、一定の成果
(=人材育成目標の達成)を
果たすために、きちんとしている。


「努力する人間になってはいけない~学校と仕事と社会の新人論」(芦田宏直 ロゼッタストーン)

第2章の冒頭「自立してはいけない」

動物学者アドルフ・ポルトマンの仮説である、
人間はもともと早産で生まれてきて、
社会によって育てられる。

それは脳だけが過剰に大きくなったため、
母体の骨盤がその大きさに耐えられない(通過できない)ので、
1年くらい早産で生まれてくる。

したがって、他の哺乳類が
生まれたらすぐに立てるのだが、
人間だけが1年経ってから立ち上がる。

したがって、
人間は様々なことを生理的にではなく、社会的に学ぶ。
だからこそ、ポルトマンは、人間は環境を変え、
文明や文化を持っていくのだと言います。

人間は放っておけば、
すぐに死んでしまうほど自立できない。
しかし、メダカの子は生まれて何日かもすれば、
親と区別つかないほどに生長している。

独り立ち(=自立)するということは
一般的にはよいことだと思われているが、
著者はよいことだとは思わないという。

多くの企業は、
銀行からお金を借りて経営している。
あるいは株主から資本を調達している。

こういったことはポルトマン的に言えば、
早産状態であり、
企業はまさに他者の力を借りてこそ
大きな力を発揮する。

自立するということよりも、
人の力を借りるということのほうが大きなことができる。


「リブセンス~生きる意味」(上阪徹 日経BP)

の村上社長の言葉
「そもそもなぜ会社を立ち上げたのかというと、
たくさんの人々に喜んでもらいたい、
世の中にいい影響を与えていきたいからです。
自分のやりたいことが最大化できるのは会社だと
改めて気づきました。」

にもあるように、
会社とは、自分のやりたいことを最大化する手段なのだ。


「努力をする人間になってはいけない」の本文に戻るが、

~~~ここから引用

銀行にお金を借りれば、
銀行の言うことにも耳を傾けなければならない。
同じように株主の言うことも聞かなければならない。

親に生活させてもらっていれば、
たまには親の小言にも付き合わねばならない。

こういったことは一見不自由なことに見えますが
そうではない。
そういった交流が物事を考えたり、
考え直したり、そして深く考えたりするチャンスを生んでいるのです。

~~~ここまで引用

なるほど、
自立をしない、一部依存をするというのは、
他者の意見を聞くということ。

そういう意味では、
現在の学校はきっちりと「自立」しすぎているのではないか。

「学校がきちんとやってくれる」
という考えは、
地域と家庭の子どもの教育に対する
当事者意識を減少させる。

長野県伊那市に
伊那谷まあるい学校を立ち上げた濱ちゃんは28歳。

若いのに大丈夫なのか?
と思っている人もいるかもしれない。
いや、濱ちゃん自身も
自分ひとりではできないと思っているだろう。

しかし、だからこそ、
地域の人や親の当事者意識を高め、
その学校へのかかわりを継続していくことによって、
学校自身が成長・進化するチャンスを得ているのではないだろうか。

芦田さんは、
こうも語る。

~~~ここから一部引用

最近は「生涯学習時代」と言います。
もはや人間は死ぬまで早産状態であるほどに、
文明を高度化してきているとも言えます。

真の自立は死ぬまで延期されているように
高度化しているということです。

子供が親や家族や近所の人、
つまり血縁、地縁を越えて
《先生》や《学校》に学びながら成長すること、
これこそが高度な文明や社会そして
また高度な人材を築く基礎です。

教科書や教材、そしてカリキュラムは、
まだまだ社会に出るにはたくさんの勉強があるということ、
あなた方がどこまでも早産の未熟児であることを
告げる役割を果たしています。

というよりは《学校》というところは、
未熟児のまま生まれた人間の
社会的な母胎なのです。
この場合、“母胎”というのは比喩でも何でもなく、
まさに母胎なのです。

~~~ここまで引用

素敵ですね。
芦田さんの学校観。

この《学校》を「本屋」に置き換えてみると、
本屋の可能性が見えてくる。
「本屋」は地域の母胎になり得るのではないか。

そのためには、
地域の人が当事者意識を持って、
そこにかかわっていく仕組みがあること。

地域と関係(相互にある程度の依存を)しながら、
作り上げていく新しい《学校》、それが本屋さん
なのではないか。
あらたな時代の「松下村塾」なのではないか。

きちんと自立せず、対話し、意見を聞き、取り入れ、
そうやって新しい学びの場をつくっていくこと。

それがこれからの
学校の、そして本屋の作り方なのではないだろうか。

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Posted by ニシダタクジ at 06:31│Comments(0)日記
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