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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年06月22日

学校という自信喪失装置

「自信のない若者」問題において、
学校が果たしてきた役割は大きい。

かつて、学校、地域、家庭は
子どもを社会化する(大人に育てる)ために
それぞれの役割があった。

学校:学力をつける。比べられても負けない力をつける
地域:価値観が多様であると伝える。社会力をつける。
家庭:自分がかけがえのない一人であると知る。自己肯定力を育む。

この中で
地域と家庭が急速に力を失っていく。
そして「学校」だけに子どもの教育が依存されていく。

学校は、その構造的な性質上、
「単一の価値観」「他者評価」「他者との比較」
から逃れられない。

A先生とB先生が
「個人の好き嫌い」で子どもを評価してはいけないからだ。

文部科学省の方針にのっとり、
教育を実践しなければならない。

この単一の価値観による評価は、
他者との比較を生む。
勉強ができる、できない。
運動ができる、できない。

できるにしても自分はクラスの中でどのくらいなのか?
ということになる。

一部の勝ち組と
その他大勢の負け組を生む。

しかしこの場合の「負け」は
「学校という価値観」における「学校空間」における「相対的な」負けであって、
それで人生がどうのこうのなる問題では本来はない。

しかしいま、子どもたちは多様な価値観を与えてくれる「地域」を失い、
かけがえのない自分として「親和的承認」を与えてくれた
おじいちゃんやおばあちゃんのいる「家庭」を失った。

言わば、
学校という単一の価値観の宗教に入信せざるを得ない状況となった。

NHK朝ドラ「まれ」でこんなセリフがあった。
「祭りにも帰してもらわれん会社、やめてもえ」
このセリフの主は、
あきらかに、会社よりも地域の祭りが大切だと言っている。

ところが。
もはやそんな地域は稀有な存在となってしまった。

日付に意味があったはずの
春祭り、秋祭りは土日開催へと固定された。

学校優先・会社優先の社会が作り上げられた。

その試みはある意味では成功した。
世界2位の経済大国(現在は中国に抜かれて3位)
へと躍り出た。

その一方で、
学校という単一の価値観に染められた空間で
育つ子どもたちは、そこに適合しながら、
徐々に自信を失っていく。

他者評価(先生からの評価)が気になり、
他者比較(同級生との比較)をするようになる。

こうして、自信のない若者が完成していく。

しかしながら、
もはや「地域」と「家庭」に頼ることはできない。

答えはひとつではないという「多様な価値観」
そして
かけがえのない存在であるという「自己肯定力」を
つけるために、

おそらくは地域とのコミュニケーション・デザイン
プログラム・デザインが必要になってくるのだろう。

新潟・ツルハシブックスや練馬・暗やみ本屋ハックツはおそらく、
これまで「地域」が果たしてきた機能である
「多様な価値観」と伝えるということと、

「家庭」が果たしてきた
「自己肯定力」を育むということを
商店街の中の本屋が果たしていけるのではないか?

という仮説ではないだろうか。

「多様な価値観」「自己肯定力」
この2つをベースにして初めて、
学校での学びが生きてくる、
学びへのモチベーションが上がってくる、
と僕は思っている。

そんな場と、そんな学びをつくりたいなあと心から思う。

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Posted by ニシダタクジ at 07:03│Comments(0)日記
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