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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年06月26日

価値観の多様化とは、明確な価値が失われたのと同義語である

価値観の多様化とは、明確な価値が失われたのと同義語である
「教育の力」(苫野一徳 講談社現代新書)

伊那市のオルタナティブスクール
「伊那谷 まあるい学校」
の濱ちゃんに強くおススメされた1冊。

読むほどにうなります。

ただ熱いだけじゃなくて
冷静な社会分析、教育分析、
そして提案まで新書1冊に詰め込みました。

まずはそもそも教育とは何のためにあるか?
の原則を問います。

~~~ここから引用

公教育はすべての子ども(人)が「自由」な
存在たりうるよう、そのために必要な力
(わたしはこれを教養=力能と呼んでいます)を育むことで、
各人の自由を実質的に保障するものなのです。

そのことで同時に
社会における「自由の相互承認」の原理を
より十全に実質化するためにあるのです。

~~~ここまで引用

そうですね。
その通りだなあと思います。

著者はこの原則を考えない
教育論議は不毛であると言います。

しかし、わが国では多くの教育論議が
「ゆとり教育、是か非か」というような
二者択一になってしまっています。

著者はこの原則を踏まえたうえで、
学力とは何かを定義し、

そしてそのためには
学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」
が必要だと言います。

なるほど、これはまさにいま
大学教育が直面している課題ですね。
まだじっくり読みたいと思います。

この本で注目したのは、
第六章 学校空間の再構築です。

これ、昨日のブログの題材である
「桐島、部活やめるってよ」の学校観の
見事な解説になっています。
ビックリしました、このシンクロニシティ。

キーワードはここです。~~~ここから一部引用

「価値観の多様化に伴って、
かえって露わになった同質性への過剰要請」

かつて、学業成績によって、
明確に序列化されていた個々人が
その序列から解放されたことで、
かえって個々人を個々人たらしめる指標が失われ、
集団の中における位置づけが、きわめてあいまいな
「空気」に支配されることになったのです。

分かりやすい指標をが失われてしまったからこそ、
ノリがよく空気を読める「能力」がこれまで以上に求められるようになり、
そしてその「能力」にしたがって、新たな序列が顕在化するようになったのです。

うわっ!!と思った。
これ、「桐島、部活やめるってよ」に描かれている世界そのものじゃん!って。

近代以前は個々人の価値観は家や共同体に縛られ、
今と比べれば圧倒的に自由ではありませんでした。
お上に忠誠を尽くし、親の決めた相手と結婚し、代々同じ職業を続けてきました。

近代以降、わたしたちは「自由」を手に入れました。
他者をひどく傷つけるのではない限り、
どのような価値観をもっても自由であるという「自由」を
手に入れました。

現代においては、
企業が短命化し、終身雇用が機能せず、
明確な「成功コース」みたいなものが崩壊しました。

だから、「多様な価値観」に対して、
誰も異論を唱える人はいないでしょう。

しかし、この価値観の多様化の進展によって、
私たちは「明確な価値」を失い、
何を確固たる目標として生きていけばいいのか?
をわかりづらくなり、

価値の拠り所を失ってしまった集団の中で、
空気を読み合う人間を多かれ少なかれ送らなければならなくなっているのです。

これが中学生高校生の息苦しさの「社会構造上」の要因です。
そして、もうひとつ、「学校構造上」の問題は逃げ場のない教室空間です。

かつて、
学校は「自由の相互承認」の感度を高めるため、
子どもたちそれぞれの土着的閉鎖的習俗から離れるために
学校に集められました。

しかし今は
学校がむしろひとつの習俗になってしまいました。

「価値観の多様化」が進展している一方で
学校空間はその多様性を許さない「空気」を持った
あらたな習俗になってしまっていると著者は指摘します。

しかも子どもたちは、
「地域」や「家庭」が機能していない中で
「ここにしか居場所がない」場所だと考えます。

これを解決するには、人間関係を流動的にすることです。
その方法のひとつが
学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」です。
総合学習はもしかしたら、それに対する一つの方法だったのでしょう。

~~~ここまで一部引用

「桐島、部活やめるってよ」の息苦しさを
ここまで表現されているとは、本当にビックリしました。

そして、苫野さんは次の章で
教員にもっとも必要な資質として
「信頼と承認」「ケア」だと挙げています。

子どもを信頼し、承認してあげること。
裏切られたとしても、信頼し、承認し続けること。
そして子どもが自分の自己肯定感を高め続けられるように
ケアしつづけること。

「信頼と承認」「ケア」に包まれた空間づくり、
それが教員にとってもっとも大切であり、
そのことが「自由の相互承認」を得られる空間を
作っていくということにつながるというのです。

学校がそんな場所であったらいいと思いました。

そして、同時に、学校だけがその責任を
負うべきではないとも思いました。

私たちはひとりの地域住民として、
子どもたちに、「心の安全基地」(本書より)
と呼べるような場を提供していかなくてはいけないのではないか?

「信頼と承認」「ケア」に包まれた居場所から
始まっていく小さなチャレンジが応援するような、

そんな地域空間を創っていきたいと心から思いました。
素敵な時間をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:29│Comments(0)
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