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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年07月06日

画一的な「ロールモデル」型キャリア教育

「やりたいことがわからない」

ツルハシブックスに立っていた4年間。
来店する大学生のもっとも深刻な悩みは
これだった。

やりたいこと、夢がない。
だから、何をしたらいいか分からない。
将来が描けなくて不安だ。

一見すると、
それは深刻な問題のように見える。

しかし、その本質的な課題は、
「やりたいことがわからない」ではなく、
「やりたいことがわからなくてつらい、不安だ」
ということではないか。

「今はやりたいことはわからないけど、
いろいろやっていれば、そのうちに何か見つかって、
人ともつながって、なんとかなっていくと思っている。」
と言える人が強い。

画一的な「ロールモデル」型キャリア教育
「プレイフル・ラーニング」「プレイフル・シンキング」

の上田信行先生の言葉を借りれば、
「yet confidence」(まだやれる!という自分自身への信頼)
を如何に持っているか、
がキャリアにおいては重要であると思う。

それでは、そもそも、
なぜ「やりたいことがわからない」ことは、
若者にとって深刻な課題(だと思わされている)なのだろうか?

ひとつの仮説は、学校でのキャリア教育において、
「多様な価値観」「多様な働き方」と言いながら、
実際には、「ロールモデル型」(キャリアデザイン型)の
キャリア形成モデルの1択しか選択できないからではないか?

つまり。
ある程度早い段階で(遅くとも大学4年の就職活動の前までに)、
自分のやりたいこと、目標を定め、
そこに向かって計画を立て、努力をして目標を達成していく、
という手法しか、選択できないということ。

つまり。
「やりたいこと、まだ分からないんで、とりあえずフリーターになります」
という出口は、キャリア教育としては失敗であると定義されていることである。

もちろん、生涯賃金など、様々な条件から、
新卒フリーターや3年以内の離職というのは、
社会的に不利になることが多いだろうと思う。
しかし、それでも、「学び続ける姿勢」「人との出会いを活かし、行動する力」
があれば、キャリアは拓けていくのではないだろうか。

まあ。
フリーターになるのは結果であるので、置いておいて、
問題は、「やりたいことがわかっている」ことを
あまりにも重視するために、
冒頭のような「やりたいことがわからない」ことに対して、
過度に不安になってしまうことである。

そしてそれは
「やりたいことがわからない。」
⇒「チャレンジできない」
⇒「自分に自信が持てない」
というスパイラルに陥ってしまう。

問題はおそらくここにある。
目標設定・達成型の方法論の絶対化は、
「やりたいことがわからない」から「行動しない」
という若者を生んでしまっているのではないか。

しかしながら、
キャリアにおける夢や目標の設定、言い換えれば、
「やりたいことの言語化」はそんなに簡単なことではない。

理由その1 予測不可能な世の中。

5年後の日本の未来図がまったく描けない時代に、
自らの5年後を描けるだろうか?
10年後もなくならない仕事がどれほどあるのだろうか?

理由その2 言語化能力の不足。

10代20代で社会に出ていないのに、
大人に説明できるくらいのやりたいこと、将来ビジョンを言語化できるだろうか。

理由その3 既存の価値観による制約。

たとえば美術系や人文系を学びたいので、と大学に進学しようとすると、
「それで就職できるのか?」と言われてしまうので、
今の大人(先生や親)の価値観の範囲内での目標設定になってしまう。

にも関わらず。
学校は、目標を設定し、達成へ努力しろ、と強いる。

教育系NPOも、
かっこいい大人、素敵な大人をピックアップして、「背中を見せる」活動を行う。
それによって人生が動く子どもたちもたくさんいるだろう。
学校だけじゃない多様な働き方を見せる意義はもちろんあるだろう。

しかしそれは同時に、
「ロールモデル」型キャリア教育という
方法論を強化していると言えるだろう。
「あんな大人になりたい」と目標を決めて進んでいくこと。

目標を決めて、そこに向かって進んでいくこと。
これは学校教育の宿命である。
教育には目的・目標がなければならないからだ。
それがなければ、先生が達成度を評価できないからだ。

しかし、それぞれの人生を左右するキャリアにおいて、
中学生・高校生・大学生時点での他者による評価は、
そんなに重要なのだろうか?

「人の役に立ちたいので、将来は市役所職員になろうと思います。」
と宣言して、法学部に進学する。
「人を助けたり、人と話をするのが好きなので」
と決めて、ホテルマンを養成する専門学校へ進学する。

それはもちろん素晴らしいことだと思う。
しかし、本当に大切なのは、それが叶わなかったとき、
あるいは夢破れて途中で転職せざるを得なくなったときに、
再就職し、生き抜く力を持っているかどうか、ではないか。

「yet confidence」(まだやれる!という自分自身への信頼)を持ち、
キャリアを自ら拓いていく力なのではないか。

だから、それを磨いていくような機会を
作っていかなくてはならない。

「計画された偶発性理論」を説く
クランボルツ博士は次の5つを磨けという。

1.好奇心:新しい情報・学習機会の模索
2.持続性:めげない継続的努力
3.楽観性:新しい機会を「実現可能」とらえるマインド
4.柔軟性:信念・概念・態度・行動を柔軟に変える
5.リスクテイキング:結果が不確実でも行動に移す。

昨日のブログに書いた「仕事旅行」の内田さんは、
工学部を出て、建築デザイン会社に10年働いた後に
「仕事旅行」を立ち上げている。
自分の感性と価値観を信じられるって素晴らしいなあと思った。

そして、それこそが
予測できない社会における働き方のひとつのカタチなのではないかと思った。

「ロールモデル」型キャリア教育が間違っているわけでは決してない。
それは一つの有効な方法論であるだろう。
しかし、それは唯一の方法ではない。

「学校」という場所は
ひとつのモノサシで、人を評価しなければならない宿命を負っている。
先生によって、評価が違っては困るからだ。

キャリア教育においては、
それが「ロールモデル型」という方法論になっている。

私たちは、ここ30年。
「経済成長」という皆が共有できる大いなる目標を失い、
ひとりひとりの個人として叶えたい夢・目標をもたなければ生きられない時代を生きている。

それはおそらくはそうだろう。

しかし、それは、
中学・高校・大学のときに
「やりたいことを言語化する」ことでは決してないと思う。

「大切にしたいもの」=価値観と
「美しいと思うもの」=感性を磨きながら、
さまざまなことにチャレンジし、
「yet confidence」(まだやれる!という自分自身への信頼)を保っていくこと。

そのことで自らの哲学が確立され、志が生まれ、
志と哲学をつなぐ働き方に到達していく。

これが、これからの時代のキャリア形成なのではないかと強く思う。

この春、そんなふうに生きてる人たちに出会い、
僕自身の感性が「カッコイイなあ」と実感した。

さあ、僕はもう40歳なので、
そろそろ「やりたいことを言語化」しなきゃいけないな。(笑)

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Posted by ニシダタクジ at 07:13│Comments(0)思い
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