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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年09月04日

順列組み合わせとしての人間

順列組み合わせとしての人間
「ニートの歩き方」(pha 技術評論社)

いつか読もうと思っていた本。
上田の「ことば屋」さんで発見しました。
さすが、ことば屋。

上田には、
「ことば屋」と「nabo.」という
2つの素晴らしい古本屋さんがあって、
どちらも行くと買ってしまいます。

この前も
ことば屋で2冊、nabo.で5冊購入。

本当は空間も素晴らしいので
ゆっくりお茶を飲みながら、
と行きたいところなのですが、
今回は時間なく、旅立ってしまいました。
その中の1冊。

すごいていねいに
「ニートの暮らし方」が書いてあります。

いいなあ。
こういうの。

「隅田川のエジソン」と並んで、
価値観をタテに広げてくれる本です。
こういうのを10代のうちに読んだほうがいいですね。
学校図書館に入れてほしい。
難しいかもしれないけど。

なんていうかこういう
「生き延び方」を書いてある本って素敵だなあと思います。

ひとつだけ引用

~~~ここか一部引用

著者は、「自己責任論」について、
おかしくないか?
厳しく問いかける。

「普通に頑張ればなんとかなる」のではなく、
人生は初期設定で大きく変わる。
「機会の平等」はこの国では現在、成立していない。

「学問のすすめ」で語られた、

「士農工商の身分はなくなったけど、
世の中には豊かな人と貧しい人がいる。
その差は学んでいるかどうかだ。」

というのが近代社会の精神となっている。

著者は「自己責任」は半分くらいで、
頑張った人は良い暮らしができるとしても、
頑張れない人が最底辺の暮らしに落ちたり
死んだりするべきじゃないと主張する。

頑張れない人や頑張りたくない人でも
健康で文化的な最低限度の生活は
保証されるべきだ。

社会とか国家ってそういうことのためにあるはずで
個人の結果をその人が全て負わなければいけないのなら
社会や国家などの共同体がある意味はないだろうと思う。

こうして、
ブログタイトルにある「順列組み合わせ」の話になる。

「僕自身が何かをやってうまくいったときにいつも思うのは、
この成功は別に自分がすごかったからではなく、
たまたまその場所に自分がいたからというだけにすぎない、
ということだ。そこでも自己責任の割合は半分くらいに感じている。」

「それがうまくいったのは、僕が運良く事故にもアクシデントにも合わずに
生きてこれて、ほかの国ではなく日本に生まれた、というような
自分にはどうしようもない原因のせいだったりする。」

「また僕がたまたまAという土地で育って
Bという知識を持っていて、
CやDやEという知り合いがいて、
Fという土地に住んでいて
Gという趣味を持っていたという、
その組み合わせが偶然うまくいったに過ぎないということをよく考える」

「それは単にAからGまでの要素の偶然の組み合わせだ。
その成功の理由は自分が優れているからではなく、
そこにいた人で、AからGまでをすべて持っていたのが
自分だけだったからにすぎない。
同じ要素をもっている他の人がいれば自分と交換可能なんだなと思う。」

「AからGを持っていれば、
自分じゃなくて他の人でもよかったけれど、
自分と同じ場所にいたほかの人は
AからFまでは揃っていたけど、最後の要素が
GじゃなくてKだったとかQだったとか、
そういう微妙な配列の違いによってそれぞれの人生が展開していく。
それは自分が頑張ったせいというよりも、単なる偶然の結果だと思う」

~~~ここまで一部引用

人生は順列組合せ。
そうかもしれないなあと思う。

人生で起こるすべての出来事は
この1つの要素に過ぎない。

こういうふうに考えて、
人生の経験ひとつひとつを
「要素化」するっていう思考は
役に立つかもしれない。

人生はそんなふうに組み合わせのアートなのだなあと。

視野を広げる本にまたひとつ出会いました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:43│Comments(0)日記
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