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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年10月02日

ひとつであるということ



岡倉天心。
僕が茨城に来た理由。

そんなふうに思った1日だった。

いつも、
理由っていうのは、あとからついてくる。

清水先生の解説を聞きながらの
岡倉天心記念五浦美術館。
佐藤くんも言っていたけど、
カッコいい生き方にホント、シビれた。

もともと福井の下級武士の家に生まれ、
横浜で育つ。

16歳で文部省に入り、美術行政に携わる。
当時の日本は「富国強兵」の最中。
「西洋に追いつけ、追い越せ」の大合唱。

しかし、岡倉は、
「西洋のマネだけしていていいのか?」
と欧米追従の路線ではなく、

日本の伝統を生かしながら、
西洋のエッセンスを入れていくという信念を持って、
文化財・美術品の保護を中心に取り組んでいく。
当時は国を挙げて、宗教を神道に統一していく中で、
各地で仏像の破壊などが起こっていたという。

いいなあ、天心。
役人としてもアツイ。

その後、東京美術学校を設立、
校長にもなり、順風満帆な役人人生を送っていた。

しかし、35歳のときに、いわゆる「政治に負けて」
文部省を去ることになる。
そこで、岡倉は、腐らずに日本美術院を設立する。
岡倉を慕って、多くの人がついてくる。

人だけではない、
とんでもない額の寄付が集まったのだという。
今でいうところのクラウドファンディングか。

しかし。
日本美術院での取り組みが一般に理解されるのには時間がかかった。

伝統的なもの受け継ぎながら、
新しいものをつくるという絵画は、前衛的すぎた。

経営難からひとり去り、ふたり去り、
再び岡倉は窮地に立つ。

岡倉はインドに渡った。
詩人タゴール、宗教家ヴィヴェーカーナンダとの出会い
で、また目を見開いた。

仏教のルーツはインドにある。
日清戦争の1年前に、
中国人に変装してまで行った中国視察の
ときに感じた、仏像の研究の結果、
仏教は中国から来たこととつながった。

Asia is one.(アジアは一つなり。)

第2次世界大戦
のときに使われた意味とは異なり、

アジアの代表として日本があるのではなく、
日本のアイデンティティはアジアの中にある、
ということを自覚した。

そして、
茨城県五浦の風景を見た岡倉は
日本美術院を上野から五浦に移転する。

そうして岡倉の五浦時代
(ボストン美術館と五浦の往復生活)が始まっていく。

ボストン美術館で東京の美術品の
修復などを行っていた岡倉の信念は、
芸術を通して日本・アジアへの
リスペクトを醸成しようとしたのではないか。

五浦時代にはもうひとつ、
こころ震えるエピソードがある。

五浦で行われた
日本美術院の仲秋観月会。
100名を超える人たちが集まり、
住民たちは30店を超える出店をだし、踊りを踊ったという。
地域に愛されている姿がすごいなあと思った。

岡倉天心の生き様、残した言葉。
内村鑑三のあの言葉を思い出した。

「後世へ遺すべき物は、お金、事業、思想もあるが、
誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。」

高尚なる生涯が確かにここにあった。

「日本人はなぜ岡倉を知らないのか?」
そんなことまで思った。

岡倉天心を学んで、
もっとも僕が感じたのは、

「ひとつである」「一体化する」
ということ。

Asia is one.(アジアは一つなり。)

「ひとつになる」というのは、東洋的な思想だという。
西洋的な思想は神と人間を分かつことから始まる。

岡倉の晩年の所に
ただ空虚が広がっている。

という言葉があるが、
まさに自分の中に「空」を持って、
受け入れていくこと。

五浦で釣り船に揺られながら、
岡倉が考えていたことはなんだったのだろうか?

魚がほしかったわけではないという。
船頭の話によると、魚が引いても、決して
釣竿を上げなかったのだという。

ただ、波と一体化していた。
そこで何かを感じ、何かを考えていたのだという。

ひとつであること
ひとつになること

きっとそういうことだ。

午後のワークショップは
学生がこれからの展望する時間だった。

最後の個人ワークの時に僕自身も将来を展望した。

僕はこれから
「偶然」「感性」「はじめてみる」
を育んでいく仕組みをつくりたいと思っている。

「偶然」と「目的」
「感性」と「論理・理性」
「はじめてみる」と「計画」

どちらかというと後者に重きが置かれてきた
明治時代以降であった。

しかし、
岡倉のように、自分の感性を信じて、
「偶然」を活かし、「はじめてみる」ことだ。

それがこれからの社会をつくっていくし、
自分の人生をつくっていくと僕は思っている。

「偶然」と「感性」と「はじめてみる」
があふれている地域社会や学校を
10代に届けること。

それらをつくるという
「目的」を持って「理論的」に考え
「計画を立てて」実行していくこと。
これが僕の進んでいく道なのだろうと思った。

「感性」と「論理」
それはどちらが正しいとかそういうことではなくて、
「あいだ」にあるのだと思う。

岡倉天心が
西洋と日本のあいだに、
新しいものを作っていったように、

これまでの日本と
これからの世界のあいだに
仕事をつくっていくこと。

それがこれからの仕事のつくり方になるだろう。
なぜなら、ひとつであるからだ。

これまでの日本と
これからの世界は、ひとつであるからだ。
そして自分自身もひとつであるからだ。

Asia is one.(アジアは一つなり。)
を体現し続けた岡倉天心のように、
自分は何を表現したいのか?
という問いを胸に生きていこうと思う。

生きることは表現すること。
生きることは対話すること。
生きることは創造すること。

これからのひとりひとりの生き方のヒントが
五浦にはありました。

清水先生、学生のみなさん、
素晴らしい1日をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:21│Comments(0)日記
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