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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年10月15日

Art of Life

次のステージ。

テーマは、
from japan to the next・・・
これを米屋×本屋で体現していくこと。

そしてもうひとつ。
僕は吉田松陰先生の門下生から、
岡倉天心先生の門をくぐる時が来たのかもしれない。

「いかに生きるか?」

その壮大なテーマに、
挑んでいかなくてはいけない21世紀に、
たしかに指針をくれる人物。

激動の人生を生きた天心。

Art Of LIfe
生活の中に「芸術」があると天心は言った。
宗教でなければ芸術ではない、と。

「宗教」というのは、
オウム真理教事件以来、
非常に誤解されているような気がするが、

「宗教」とは、信じる道のこと、つまり思想のことだ。

Art of Life
ここ最近、もっとも感動した雑誌は、
danchu の日本酒特集のときのこの言葉だった。

「思想なき、日本酒は造らない。」

きっと、こういうこと。
こういうことなんだろう。

ひとりひとりが「思想」を、つまり「宗教」を
必要としている。

それは、問題になっている新興宗教のように、
「こうすれば救われる」という「思考停止」させるものでは
決してない。

救うのは自分自身だ。

いや、たとえ救われなかったとしても、
信じる道を歩いていくこと。
考え続ける、感じ続けるということ。
行動し続ける、ということ。

岡倉天心の生き様は、
そんなことを教えてくれる。

政治に負けて、野に下っても、
自らの信じる道を貫き、
また、それが周りに評価されずに、
インドに渡った時にも、友に出会い、また力を得て、
再び茨城・五浦での活動に、
ボストン美術館での東洋の美術の展示に尽くす。

小さな釣り舟に揺られながら、
岡倉天心は何を思っていたのだろうか。

大学生のときに憧れていた
「自然農という生き方」のひとつのカタチが
見えてきた気がする。

人生というアートを生きたいすべての人へ、
茨城県北茨城市五浦をたずね、
天心の生涯に触れてみることを
強くおすすめしたい。


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Posted by ニシダタクジ at 06:51│Comments(0)思い
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