2015年11月26日
かつて人はみな、未来を創造していた。
いつからなのか。
ひとりひとりが未来を創造しなくなったのは。
「産業革命」
おそらくはそこからだったのかもしれない。
もっとさかのぼれば、
農業革命、あるいは稲作革命
のインパクトも大きかった。
その最大の価値は、
「未来を予測できるようになった」
ということ。
予測できる。
それは、「安定」「安心」を得られる代わりに、
想像力と創造力を奪う。
かつて人はみな、未来を想像し、創造していたのではないか、と思う。
このわずか150年。
あるいは、制度化されたのは
戦後の高度経済成長になってからだから、
わずか50年。
農学部時代に「緑の革命とその暴力」
という本を読んだ時の衝撃。
多収品種コムギの開発により、
食糧生産量は飛躍的に伸びた。
しかし、それは肥料や農薬に依存する種であった。
肥料なく育てることができる在来種は、
どんどんと姿を消していった。
それは果たして豊かなのか?
そんな問いが生まれた。
1998年、大学院1年生のとき、
「2つのソウゾウ力」というテーマで
懸賞論文を出した。
環境問題を解決するには、
まず2つのソウゾウ力、つまり
想像力と創造力を取り戻すことだ。
という論文。
あれから17年。
いまは、生き方働き方問題として、
目の前にある課題。
「どのように生きたらいいのか?どう働いたらいいのか?」
そんな問いへの答えになっている。
効率的な人生はつまらない。
2つのソウゾウ力を駆使して、
自分だけの人生と地域と社会を創造しよう。
ひとりひとりが未来を創造しなくなったのは。
「産業革命」
おそらくはそこからだったのかもしれない。
もっとさかのぼれば、
農業革命、あるいは稲作革命
のインパクトも大きかった。
その最大の価値は、
「未来を予測できるようになった」
ということ。
予測できる。
それは、「安定」「安心」を得られる代わりに、
想像力と創造力を奪う。
かつて人はみな、未来を想像し、創造していたのではないか、と思う。
このわずか150年。
あるいは、制度化されたのは
戦後の高度経済成長になってからだから、
わずか50年。
農学部時代に「緑の革命とその暴力」
という本を読んだ時の衝撃。
多収品種コムギの開発により、
食糧生産量は飛躍的に伸びた。
しかし、それは肥料や農薬に依存する種であった。
肥料なく育てることができる在来種は、
どんどんと姿を消していった。
それは果たして豊かなのか?
そんな問いが生まれた。
1998年、大学院1年生のとき、
「2つのソウゾウ力」というテーマで
懸賞論文を出した。
環境問題を解決するには、
まず2つのソウゾウ力、つまり
想像力と創造力を取り戻すことだ。
という論文。
あれから17年。
いまは、生き方働き方問題として、
目の前にある課題。
「どのように生きたらいいのか?どう働いたらいいのか?」
そんな問いへの答えになっている。
効率的な人生はつまらない。
2つのソウゾウ力を駆使して、
自分だけの人生と地域と社会を創造しよう。
Posted by ニシダタクジ at 07:30│Comments(0)
│日記
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