2015年12月04日
幸せの源泉は考え続け、試行し続けること
長谷川先生による茨城大学公開講座。
今回のテーマは「ボランティア」
「ボランティア」とは、
1970年代に入ってからようやく
日本社会に生まれてきた言葉である。
~~~以下メモ
1970年厚生白書
「高齢化社会」「ボランティア」
が初めて登場する
1969年国民生活審議会答申
コミュニティの復権
〇ボランティアとは?
1 無償性(無給性)
1960年代後半は市場原理が全開。
「市場原理」=「交換価値」(お金)
お金=比べる道具
交換のための道具だったはずなのに、
いつのまにか「比べる」を目的化した。
AさんとBさんというかけがえのない人まで
比べるようになった。
1970年前後に生まれたボランティアの問い
⇒世の中の「価値」は比べられないのではないか?
お金の価値を限定する。
お金だけが価値ではないとする。
2 義勇性(主体性・自発性)
十字軍から生まれた。
義勇軍=自分たちこそ正義
「特攻」はボランティアか?
全体主義⇔個人主義・拝金主義
↓
個と集団⇔会社原理
主体性⇔日本型実存主義
3 公共性(公益性)
みんな⇒無政府主義
(全体主義)⇒自分がやること、自分が動くこと
↑
村落共同体⇒個人主義・実存主義
みんな⇒企業原理(会社・お金)
↓
コモンズ(共有)⇔統治
ムラ⇒ノラ⇒ハラ
4 継続性
ボランティア=社会的責任
1995年阪神淡路大震災⇒NPOが組織化
行動原理
いいこと⇔悪いこと
得⇔損
個人⇔みんな
3つの座標
〇多様な課題に立ち向かう
1 福祉系ボランティア
「つながる」(人間の生存)
つながらなきゃ生きていけない。
人は1人では生きられない。
みな障がいをもって生まれてきた⇒幸せ装置としての社会
2 学習系ボランティア
「学ぶ」
人間の脳のうち旧脳(本能)は15%
本能だけでは生きられない。
⇒社会は本能で作られていない。
幸せの知識・技術を伝えていく、手渡していくこと⇒学習
3 環境ボランティア
食物連鎖の頂点に立った動物としての人間の責任
「地球には2つのピラミッドがある。ひとつは石のピラミッド、もうひとつは水のピラミッド」
自然⇔人間 対立 (西洋)自然を克服する
自然=人間 一体 (東洋)自然と調和する
4 信仰型ボランティア
理念を自分の行動規範にしている
↓
宗教=哲学
信念を全うするために生きている。
~~~ここまでメモ
では、僕にとってのボランティア経験を。
子どものころの僕は、
ボランティアなどしたこともなかったし、
関心がなかった。
あの「偽善」な感じがいやだったのだ。
中学・高校・大学と進むにつれて、
環境問題や食糧問題に興味を持ち始め、
世の中のダークな部分を知る。
たとえば、ODA(政府開発援助)
が援助という名のもとに途上国の借金を増やし、
かつ日本企業に仕事が行っているという事実に愕然とする。
大学時代は、いわゆる啓発系の環境NGOで
2年間くらい活動した。
畑サークルで野菜を育てたり、
地元FM局で環境問題のラジオ番組を担当したりした。
そこでの気づきは、「思考停止」の恐怖だった。
そして何より、環境問題の本質は、
「地球が危ない」ではなく、
「個人が自分の幸せを真剣に考えていない」
ことにあるということが分かった。
自分の行動を他者の(あるいは与えられた)価値観に委ね、
「みんながやっているから」と消費・廃棄を続ける。
結果、誰も幸せになっていない。
不幸の源泉は、思考停止にある、と思った。
だとしたら、幸せの源泉は考え続けることだ。
そして僕は、2004年。
30歳にしてボランティアを初めて経験する。
10月に起こった中越地震。
あのときにNPOのメンバーのひとりが
「被災地で絵本の読み聞かせボランティアをしたい」
と提案したので、受け入れ先を探した。
水道もガスも復旧していない被災地では、
こどものびのび隊というボランティアが活動していた。
当時、火曜日は何も予定がなかったので、
新潟大学のボランティアセンターと連絡を取って、
現地へ行くことにした。
ボランティアに行った初日、
こどものびのび隊のスタッフに、こう伝えた。
「新潟大学の学生を毎週火曜日なら8名くらい連れてこれる」
返ってきた答えは私の想定外だった。
「要らない」
そう言われた。
「毎週火曜日に8名の大学生は要らない。
それよりもあなたが8日連続で来てくれ。
被災地の子どもたちには、毎日同じ人が来てくれる安心感が必要なんだ」
衝撃だった。
僕のボランティアデビューは、
断られることから始まった。
翌週の火曜日から僕は予定を調整して5日間連続で現地に入った。
子どもたちを毎日見た。
弟の多い小学校4年生の女の子に
ストレスがかかっているように感じた。
でも、何もできなかった。
ただただ、無力だった。
日々、無力さを感じるために現地に通った。
あのときに僕のボランティア観は作られた。
ボランティアは無力だ。
あまりにも無力だ。
何もすることができない。
子どもたちを元気にすることはできない。
ただ、寄り添うことしかできない。
全国にある
「ボランティアセンター」
のマークによくハートマークが使われているが、
ハートを差し出すことがボランティアではない。
ボランティアができることは、
ハートの半分を持ち、
おそるおそる相手の半分のハートと合わせてみることだ。
ひとりひとり、ハートの大きさや形が違う。
そこに勇気をもって、おそるおそる半分のハートを差し出してみること、
それがボランティアなのだと思う。
僕にとってボランティアとは、コミュニケーションだ。
相手のハートの形や大きさを知りたいと思う行為だ。
そしてそれは、
考え続けること、試行し続けることだ。
僕にとってボランティアの幸福感はそこにあると思う。
「人の役に立っている」
という承認欲求からくる自己満足ではなく、
考え続け、試行し続けることの中に、
自分にとっての学びや成長、
何よりもコミュニケーションの喜びがあるのではないだろうか。
記事はこどものびのび隊の後に
NPO法人茨城教育ネットワークと共同で行った学習支援ボランティアの記事です。
今回のテーマは「ボランティア」
「ボランティア」とは、
1970年代に入ってからようやく
日本社会に生まれてきた言葉である。
~~~以下メモ
1970年厚生白書
「高齢化社会」「ボランティア」
が初めて登場する
1969年国民生活審議会答申
コミュニティの復権
〇ボランティアとは?
1 無償性(無給性)
1960年代後半は市場原理が全開。
「市場原理」=「交換価値」(お金)
お金=比べる道具
交換のための道具だったはずなのに、
いつのまにか「比べる」を目的化した。
AさんとBさんというかけがえのない人まで
比べるようになった。
1970年前後に生まれたボランティアの問い
⇒世の中の「価値」は比べられないのではないか?
お金の価値を限定する。
お金だけが価値ではないとする。
2 義勇性(主体性・自発性)
十字軍から生まれた。
義勇軍=自分たちこそ正義
「特攻」はボランティアか?
全体主義⇔個人主義・拝金主義
↓
個と集団⇔会社原理
主体性⇔日本型実存主義
3 公共性(公益性)
みんな⇒無政府主義
(全体主義)⇒自分がやること、自分が動くこと
↑
村落共同体⇒個人主義・実存主義
みんな⇒企業原理(会社・お金)
↓
コモンズ(共有)⇔統治
ムラ⇒ノラ⇒ハラ
4 継続性
ボランティア=社会的責任
1995年阪神淡路大震災⇒NPOが組織化
行動原理
いいこと⇔悪いこと
得⇔損
個人⇔みんな
3つの座標
〇多様な課題に立ち向かう
1 福祉系ボランティア
「つながる」(人間の生存)
つながらなきゃ生きていけない。
人は1人では生きられない。
みな障がいをもって生まれてきた⇒幸せ装置としての社会
2 学習系ボランティア
「学ぶ」
人間の脳のうち旧脳(本能)は15%
本能だけでは生きられない。
⇒社会は本能で作られていない。
幸せの知識・技術を伝えていく、手渡していくこと⇒学習
3 環境ボランティア
食物連鎖の頂点に立った動物としての人間の責任
「地球には2つのピラミッドがある。ひとつは石のピラミッド、もうひとつは水のピラミッド」
自然⇔人間 対立 (西洋)自然を克服する
自然=人間 一体 (東洋)自然と調和する
4 信仰型ボランティア
理念を自分の行動規範にしている
↓
宗教=哲学
信念を全うするために生きている。
~~~ここまでメモ
では、僕にとってのボランティア経験を。
子どものころの僕は、
ボランティアなどしたこともなかったし、
関心がなかった。
あの「偽善」な感じがいやだったのだ。
中学・高校・大学と進むにつれて、
環境問題や食糧問題に興味を持ち始め、
世の中のダークな部分を知る。
たとえば、ODA(政府開発援助)
が援助という名のもとに途上国の借金を増やし、
かつ日本企業に仕事が行っているという事実に愕然とする。
大学時代は、いわゆる啓発系の環境NGOで
2年間くらい活動した。
畑サークルで野菜を育てたり、
地元FM局で環境問題のラジオ番組を担当したりした。
そこでの気づきは、「思考停止」の恐怖だった。
そして何より、環境問題の本質は、
「地球が危ない」ではなく、
「個人が自分の幸せを真剣に考えていない」
ことにあるということが分かった。
自分の行動を他者の(あるいは与えられた)価値観に委ね、
「みんながやっているから」と消費・廃棄を続ける。
結果、誰も幸せになっていない。
不幸の源泉は、思考停止にある、と思った。
だとしたら、幸せの源泉は考え続けることだ。
そして僕は、2004年。
30歳にしてボランティアを初めて経験する。
10月に起こった中越地震。
あのときにNPOのメンバーのひとりが
「被災地で絵本の読み聞かせボランティアをしたい」
と提案したので、受け入れ先を探した。
水道もガスも復旧していない被災地では、
こどものびのび隊というボランティアが活動していた。
当時、火曜日は何も予定がなかったので、
新潟大学のボランティアセンターと連絡を取って、
現地へ行くことにした。
ボランティアに行った初日、
こどものびのび隊のスタッフに、こう伝えた。
「新潟大学の学生を毎週火曜日なら8名くらい連れてこれる」
返ってきた答えは私の想定外だった。
「要らない」
そう言われた。
「毎週火曜日に8名の大学生は要らない。
それよりもあなたが8日連続で来てくれ。
被災地の子どもたちには、毎日同じ人が来てくれる安心感が必要なんだ」
衝撃だった。
僕のボランティアデビューは、
断られることから始まった。
翌週の火曜日から僕は予定を調整して5日間連続で現地に入った。
子どもたちを毎日見た。
弟の多い小学校4年生の女の子に
ストレスがかかっているように感じた。
でも、何もできなかった。
ただただ、無力だった。
日々、無力さを感じるために現地に通った。
あのときに僕のボランティア観は作られた。
ボランティアは無力だ。
あまりにも無力だ。
何もすることができない。
子どもたちを元気にすることはできない。
ただ、寄り添うことしかできない。
全国にある
「ボランティアセンター」
のマークによくハートマークが使われているが、
ハートを差し出すことがボランティアではない。
ボランティアができることは、
ハートの半分を持ち、
おそるおそる相手の半分のハートと合わせてみることだ。
ひとりひとり、ハートの大きさや形が違う。
そこに勇気をもって、おそるおそる半分のハートを差し出してみること、
それがボランティアなのだと思う。
僕にとってボランティアとは、コミュニケーションだ。
相手のハートの形や大きさを知りたいと思う行為だ。
そしてそれは、
考え続けること、試行し続けることだ。
僕にとってボランティアの幸福感はそこにあると思う。
「人の役に立っている」
という承認欲求からくる自己満足ではなく、
考え続け、試行し続けることの中に、
自分にとっての学びや成長、
何よりもコミュニケーションの喜びがあるのではないだろうか。
記事はこどものびのび隊の後に
NPO法人茨城教育ネットワークと共同で行った学習支援ボランティアの記事です。
Posted by ニシダタクジ at 07:14│Comments(0)
│学び
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