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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年12月18日

ボランティアという問い

ボランティアという問い
長谷川先生の公開講座最終講義。

最初に前回までのまとめ。

1945年から1950年の高度成長のきっかけを経て
1970年代を境に安定成長に入っていく。
その狭間に、「ボランティア」という言葉は生まれた。

「ボランティア」を訳すのに適当な言葉がなかった。
どう定義するか?どう日本語訳するか?
と議論になった。

それから40年余り。
ボランティアという言葉は一般的に認知されるようになった。

ボランティアには4つの性質があると言われる。

1 無給性
2 公益性
3 自発性
4 継続性

それに加えて、長谷川先生は、
これからの時代を見据えて、
5 関係性
が重要になってくるという

つまり、ボランティアをやることで
関係性ができるということ。

たとえば、高齢社会が進行し、
認知症になる人が増えるとする。

認知症とは、医学の観点からすれば、
神経回路に異常をきたすということ。
神経細胞それぞれはまだ生きているのだけど、
それをつなぐ回路が切れていくということ。

しかし、人の暮らしはそうではない。
AとBの夫婦がいて、
たとえAの夫が認知症になっても、
妻であるBには夫との記憶がある。

つまり、Bの記憶で生きていけるということ。
社会的には人は一人では生きていない。

これを、地域に広げてみると、
「ボランティア」という行為そのものが神経回路を
つなぐ役割をするということ。
相互に関係している「パートナー」として機能すること。
それがこれからの社会で必要なのではないか。

20分ほどの講義のあとは、グループワーク。
お題は「ボランティアを日本語訳する」

私たちのグループでは、
共感、キャッチボール、すり合わせ、引き出しあう
などのキーワードが出て、

結果として
「ボランティアとは、相手と同じ目の高さに立って、
感情を共有しながら、お互いの力を引き出し合う行為」
という結論になった。

ほかのグループでは、
一言で「アンパンマン」である
などと出ていて盛り上がる。

そもそも、日本には「ボランティア」という概念がなかった。
「奉仕」はあった。
「奉仕」は基本的に、持てる者が持たざる者に
施しを与える行為であった。

そこに入ってきた「ボランティア」。
それを訳せなかった、あるいは訳さなかった。
それは結果論だが、
「ボランティアとは何か?」という問いを残した。

しかし、それこそが大切だったのではないか。
西欧のキリスト教的ボランティア発想ではなく、
日本型ボランティアが生まれる可能性をつくったのではないか。

僕は子どものころ、(いや、今でもそうですが)
ものすごく照れ屋だったので、
「ボランティア」なんて恥ずかしくてできなかった。

なんというか「人のためにやってます」みたいなポーズが
耐えられなかったのだ。
偽善っぽい感じも嫌だった。
そんな僕がボランティアにデビューしたのは2004年の中越地震。

ただただ、無力だった。
何もできなかった。

それを長谷川先生は、
「無力かもしれない」ということに気づいたのだと言う。

そうか。
僕は無力だったし、ボランティアとは相手とのコミュニケーションである
とそのとき強く思った。

しかし、逆説的だが、
僕は無力だからこそ、ボランティアをやれる気がしたのだ。

相手に何かを差し出すことではなく、
一緒につくっていく何か、それがボランティアなんだと
感じられたから、ボランティアをやれたのかもしれない。

ツルハシブックスに、従業員はいない。
すべての店員がいわゆるボランティアである。

しかし、「店員ボランティア」ではない。
「店員侍」である。
お客さんに「サムライですか?」と聞かれて
「サムライです。」と返事をする。

サムライ、なのだ。
何らかの覚悟をもって参画するメンバーなのだ。
そこに学びの場を得ようとするひとりなのだ。

そしてお客さんの中でも、
ツルハシブックスを応援したいと集まる人たちを
「劇団員」と呼ぶ。彼らもまた、メンバーである。

「劇団員」であるという自覚。
ツルハシブックスという舞台で、自分を演じるということ。

ツルハシブックスだけではない。
世の中を舞台に、演じられる人。
自分のまわりに「ツルハシブックス」を出現させられる人。
それを「ツルハシブックス劇団員」と名づけた。

講義の最後に、長谷川先生から一言があった。

「ボランティア」とは、
「支配」⇔「従属」、施す、施される、の関係性ではなく、
人間同士の新しいかかわり方(関係性)のことである。
近代的に言えば、WIN‐WINの関係性ということになるのだろうが、
なんかちょっと僕は違う気がする。

ボランティアとは何か?
対象者にとって、必要なものは、空間は、サービスは何か?
という問いに挑んでいく同志のような存在であると思う。
そしてその舞台に、対象者と共に共演者として立つこともある。

それが、ツルハシブックスの店員侍と劇団員の名に
込められた想いである。

侍と劇団員のみんな、今日も、目の前の舞台で、共に演じよう。

長谷川先生、受講生の皆様、素敵な時間をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:18│Comments(0)学び
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