2016年01月27日
未来は「対話」の中にある。
http://www.hakkutsu.info/
「暗やみ本屋ハックツ」とはなんだろうか?
と考えてみると、2つの活動が思い浮かぶ。
「まわしよみ新聞」と「まちライブラリー」だ
http://www.mawashiyomishinbun.info/
「まわしよみ新聞」は、
新聞を「ニュース・メディア」、つまり伝えるメディアから
「コミュニケーション・メディア」に変えた。
変えた、というか拓いた。
http://opu.is-library.jp/
「まちライブラリー」は、
図書館を「本を借りる場所」から、
「参加できる図書館」、つまり「コミュニケーション・メディア」に拓いた。
世の中が
「フラット」で「双方向」なコミュニケーションの場を求めている。
それは、なぜか。
それは決して、コミュニケーションがなくて寂しいから
だけではなく、
未来の種はそこにしかないからだと僕は思っている。
「目的最適化が唯一の答えではない」
(20代の宿題2012.9.19)
http://hero.niiblo.jp/e199120.html
「なぜ、ヨソモノ、ワカモノ、バカモノなのか?」
(20代の宿題2012.9.28)
http://hero.niiblo.jp/e200969.html
森田英一さんが語っているように
「対話」からしか、未来は生まれない。
と僕は思っている。
そしてそれは、
社会の未来だけではなく、個人の未来も同じだ。
未来の構成員はひとりひとりであるからだ。
そうだとすると、
中学生高校生大学生時代に必要なのは、
勉強だけではなく、「対話」の場だ。
「まちづくり」とは「まちの未来づくり」であると思うが、
同じように、
自分自身の未来づくりのためにも、
「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」が必要だ。
まあ、ワカモノは、それ以下の世代はいないだろうから、
ワカモノをオジサン・オバサン・トシヨリに言い換えるのがいいだろう。
「ヨソモノ」
学校や塾といったいつもいるコミュニティ外の人と対話すること。
「オジサン・オバサン・トシヨリ」
文字通り、ちょっと上の世代や親世代以上と対話すること。
「バカモノ」
ちょっとこの人変わっているなあと思う大人・アーティストと対話をすること。
これらの人との「対話」から
拓かれていく自分自身の未来があると僕は思う。
きっと。
暗やみ本屋ハックツは、
「まわしよみ新聞」や「まちライブラリー」と同じように、
古本屋を「コミュニケーション・メディア」に拓いたのだろうと思う。
それは、中学生高校生こそが、
そのような「未来をつくる」対話の場を
切実に必要としている、と直感しているからだ。
未来は、自分や世の中のどこかではなくて、これからする「対話」の中にある。
それは
人との対話であり、
本との対話であり、
経済社会との対話である。
未来が生まれる「場」をつくり続けていくこと。
そこに本屋の使命があると思う。
ツルハシブックスはそろそろ、経済社会との対話を始めていこうかな。
Posted by ニシダタクジ at 05:52│Comments(0)
│日記
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