2016年02月28日
自由と平等は両立できるか?
面白いなあ、佐藤くんのおススメ本。
「社会科学入門~新しい国民の見方考え方」(高島善哉 岩波新書)
「いまこそ、読むべき1冊ですよ。」
という彼の言葉どおり、うなるところばかり。
高校生のときに、
大学生のはじめの時に、読むべき1冊。
「おれは理系だから」という謎の信仰によって、
日本史、世界史、倫理政経は「非効率的」で
無関係で、センター対策としての地理があるだけだと
思い込んでいた(思い込まされていた)。
ほんとにちゃんと世界史とかやったほうがいいと。
モンテスキューの三権分立の
年号と言葉を覚えるのではなく、意味を知らないと。
と41歳で学んだ僕が言います。(笑)
今回はここ。
封建主義から絶対主義を経て
市民社会へ移行していく18世紀。
それは、資本主義社会の成立と同時であった。
~~~ここから一部引用
そこにある市民社会の矛盾。
著者によると3つの矛盾があるのだが、
今日は1つめだけ。
市民社会は人間の自由にして平等、しかも友愛に満ちた社会であるという
根本原理である。
いうまでもなく「フランス革命」の合言葉である。
しかし、自由と平等ははたしていつまで両立できるのか?と著者は問う。
自由とは、優勝劣敗、弱肉強食の世界であり、
市民社会が財産関係を基礎として成り立っている社会であるから、
私有財産は、人間の生命、身体にたいする所有権と
同じように絶対的なものだと考えれた。
それでは、すべての市民が同等の財産を持つことができ、
また持ち続けることができるのだろうか。
決してそうではない。
第1に市民社会の出発点をなした財産は、
歴史上は封建体制の胎内で一部の権力者や一部の市民層によって
合法的非合法的に蓄積されたものであり、
第2にこのはじめから公平でない競争は、
競争が自由であればあるほどますます不公平な結果を導きざるをえない。
つまり、市民社会は、
階級と階級との大きな差別をその中にはらんでいたのである。
~~~ここまで一部引用
な、なるほど。
ピケティってそういうことを理論的に
言っているんだなあと。
この本はなかなか深いですね。
60年前の本とは思えない。
読み進めます。
「社会科学入門~新しい国民の見方考え方」(高島善哉 岩波新書)
「いまこそ、読むべき1冊ですよ。」
という彼の言葉どおり、うなるところばかり。
高校生のときに、
大学生のはじめの時に、読むべき1冊。
「おれは理系だから」という謎の信仰によって、
日本史、世界史、倫理政経は「非効率的」で
無関係で、センター対策としての地理があるだけだと
思い込んでいた(思い込まされていた)。
ほんとにちゃんと世界史とかやったほうがいいと。
モンテスキューの三権分立の
年号と言葉を覚えるのではなく、意味を知らないと。
と41歳で学んだ僕が言います。(笑)
今回はここ。
封建主義から絶対主義を経て
市民社会へ移行していく18世紀。
それは、資本主義社会の成立と同時であった。
~~~ここから一部引用
そこにある市民社会の矛盾。
著者によると3つの矛盾があるのだが、
今日は1つめだけ。
市民社会は人間の自由にして平等、しかも友愛に満ちた社会であるという
根本原理である。
いうまでもなく「フランス革命」の合言葉である。
しかし、自由と平等ははたしていつまで両立できるのか?と著者は問う。
自由とは、優勝劣敗、弱肉強食の世界であり、
市民社会が財産関係を基礎として成り立っている社会であるから、
私有財産は、人間の生命、身体にたいする所有権と
同じように絶対的なものだと考えれた。
それでは、すべての市民が同等の財産を持つことができ、
また持ち続けることができるのだろうか。
決してそうではない。
第1に市民社会の出発点をなした財産は、
歴史上は封建体制の胎内で一部の権力者や一部の市民層によって
合法的非合法的に蓄積されたものであり、
第2にこのはじめから公平でない競争は、
競争が自由であればあるほどますます不公平な結果を導きざるをえない。
つまり、市民社会は、
階級と階級との大きな差別をその中にはらんでいたのである。
~~~ここまで一部引用
な、なるほど。
ピケティってそういうことを理論的に
言っているんだなあと。
この本はなかなか深いですね。
60年前の本とは思えない。
読み進めます。
Posted by ニシダタクジ at 06:35│Comments(0)
│本
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