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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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2016年04月04日

つくっているのは缶詰じゃない





水戸芸術館の高校生ウィーク内で
「暗やみ本屋ハックツ」が開催されました。
たくさんの来場者が来てくれました。
4月3日付朝日新聞茨城版に掲載されました。

で、
ふたたびこの本。


「最終講義」(内田樹 技術評論社)

なんか、この本は、
ツルハシブックスのことを言ってるんじゃないか?

(と、そんな風に思えることが、この本では学びの本質だと言います)

とそんなことばかり。

~~~ここからキーワード抜粋

出発点における否定的棲息状況ということが、
あるいはミッションスクールの場合は
最大の強みではないかという気がするのです。

教わりたいという人がいなくてもとりあえず教えたいという
奇妙な旗を掲げるところから始まった。
教わりたい人がいるから教えにきたのではない。
教わりたい人を創り出すために教えに来たのである。

自分たちの旗印の下に集まってくる少女たちをひとりひとり見つけ出し、
掘り起こしていかなければならない。
それは市場のニーズに対応して教育プログラムを
整備するといった今日の学校の作り方と全く逆のものです。

つまり、マーケットをほぼ完全に無視して、
自分たちが教えたいことを基軸に学校を作ったわけです。
神戸女学院の教育についてのニーズはまだ明治初年の日本には存在しない。
ならばそのニーズを創り出さなければならない。

私たちがこの学校の最初の生徒であり、そうである以上、
この学校が何のために存在するのかを身を以て証明するという責務を負っている。という、
責務の感覚を自発的に抱かなければ、学校は立ちゆきません。

神戸女学院に通っている女の子たちは、
何を習っているか知らないが楽しそうに通っている、と。
スキップしながら通っている。

学校が大きくなってゆく過程というのはそれしかないような気がする。

何をしているかわからない学校、
でも、そこにはどうやらぜひこのことを教えたいという強い意志を持った教師がいる。

そのような強い意志を持った教師のまわりに子どもたちが集まってきて、
集まった子どもたちがある種の知的な輝きを、微細なオーラを周囲に発信してゆく。
感受性の鋭い他の子どもたちがそれに反応する。

輝いている子どもたちがいると、
輝いている子どもたちがいるところに私たちも行きたいという欲求が生まれる。
そういう幸福な連鎖があり、
学校というのは成立していったんじゃないかと思うんです。

教育は商取引ではありません。
最初は無償の贈与から始まる。
教わりたいという人がいなくても、
私にはぜひ教えたいことがあるという人が勝手に教え始める。

聞きたい人がいれば、誰にでも教えますよという、
教える側の強い踏み込みがあって教育は始まる。

まず教える側の教えたいという踏み込みがある。
それに対して教わりたいという生徒の側の踏み込みがある。
教える側の踏み込みと、教わる側の踏み込みが、
両方成立したときに、初めて教育というのは成立するのではないか、と。

人間が勉強しようと思うときのきっかけというのは、いつだってなんとなくなんです。
あることをすごく学びたい。でも、理由はうまく言えない。
それが、人間がものを学ぶときの、一番まっとうなマインドセットですよね。

シラバスを読むと、学生たちがこれから学ぶことについて一望俯瞰できる。
その努力がもたらす報酬があらかじめ一覧的に開示されている。
それって商品のスペックでしょう。

われわれは学校で缶詰を作っているわけじゃない。

人間の知性というのは、効能がわかったことに対しては発動しないんです。

自分がなぜそこについて行って、習う気がなかったものを習うことになったのか、
本人にはうまく言えない。
でも、気がついたら学ぶ場にいた、というのが学びにとっておそらく最良の条件なんです。

なぜ自分がそこにいるのかよくわからないけれど、
気がついてみたらそこにいた、という状況で人間は
自分の目の前にあることに対して、最もオープンマインドになるからです。

いったい私はここで何をしているのか。こういう状況のときには、
答えを出す方法はひとつしかありません。
それは今の自分が採用しているものの
見方、考え方、価値観や知的度量衡をいったん「棚上げ」することです。

自分がここにいて、こんな仕事をしている理由は理解できない。
それなら、もう一歩踏み出すしかない。

学びの出発点において、教える側と学ぶ側の
インターフェイスに存在するものとは、極めて曖昧なものだということですよね。

教える側と教わる側の相互交流が始まると、
そのインターフェイスで何か新しいものが生成する。
そこで、教える側の「これだけは教えたい」というものもゆっくり変わっていく。
教える側、学ぶ側がそれぞれ自分の手持ちのカードを出し合って、そこに新たなものができあがる。

一回的なもの、そこにしか存在しないような唯一無二の学びの場が生成する。
これが、学校というものの原基的形態ではないかと思うのです。

~~~ここまでキーワード抜粋。

おいおい!
本当か!!
これって、ツルハシブックスとハックツのことじゃなんじゃないか!

って勝手に僕が思っているだけだと思いますが。(笑)
本から学ぶってそういうことだと内田先生がこの本に書いてあるし。(笑)

ハックツする1回1回が、
いや、店内に足を踏み入れたときの一瞬一瞬が
「学び」への入り口であり、
お客さんとサムライの一回一回の唯一無二の学びの場なのだと。

キーワード抜粋の冒頭。

ここにツルハシブックスのサムライや
昨日東京から来てくれた暗やみ本屋ハックツのスタッフの
みんなへのメッセージが隠されていると思った。

「出発点における否定的棲息状況ということが、
あるいはミッションスクールの場合は
最大の強みではないかという気がするのです。

教わりたいという人がいなくてもとりあえず教えたいという
奇妙な旗を掲げるところから始まった。
教わりたい人がいるから教えにきたのではない。
教わりたい人を創り出すために教えに来たのである。

自分たちの旗印の下に集まってくる少女たちをひとりひとり見つけ出し、
掘り起こしていかなければならない。
それは市場のニーズに対応して教育プログラムを
整備するといった今日の学校の作り方と全く逆のものです。

つまり、マーケットをほぼ完全に無視して、
自分たちが教えたいことを基軸に学校を作ったわけです。
神戸女学院の教育についてのニーズはまだ明治初年の日本には存在しない。
ならばそのニーズを創り出さなければならない。

私たちがこの学校の最初の生徒であり、そうである以上、
この学校が何のために存在するのかを身を以て証明するという責務を負っている。という、
責務の感覚を自発的に抱かなければ、学校は立ちゆきません。

神戸女学院に通っている女の子たちは、
何を習っているか知らないが楽しそうに通っている、と。
スキップしながら通っている。

学校が大きくなってゆく過程というのはそれしかないような気がする。」

「学校」を「ツルハシブックス」や「暗やみ本屋ハックツ」
に置き換えてみる。

ニーズに応えるわけではなく、
ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツが
存在する意味を身を以て証明することが自分たちの責務である。

そんな一期一会の学びの場をつくっているのではないか?
とあらためて思った2日間と今朝の読書でした。

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Posted by ニシダタクジ at 08:56│Comments(0)学び
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