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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年05月26日

いつから「働く=就職」になったのか?

いつから「働く=就職」になったのか?
「僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない。」(岡田斗司夫 FREEex PHP新書)

ずっと前からなぜか温めていた本を
電車の中で読んでいたら、タイムリーな言葉に出会う。

そんなことってあるよなあと。
電車通勤バンザイ(笑)

これ、田舎インターンの補足説明に使えます。
なぜいま、ナリワイづくりか?に通じます。

冒頭が面白い。

いつから「働く=就職」になったのか?

という問い。
いいですね、こういうの。

そもそも働くとはなにか?
就職とは何か?
そんな問いかけから始まります。

~~~以下一部引用

人間が働くというのは、
必ずしも就職とは限らないはずです。

1950年代の日本では女の人はほとんど就職していない。
人口8000万人のうち半分は就職していない。

ではその半分は就職していたのか?
実は当時の仕事の大半は、「就職」ではなく
家の田んぼや畑を耕す家業や工事の日雇い、店の手伝い
など今でいうアルバイト的な雑用です。
2000万人程度しか「就職」はしていなかったそうです。

人口のほとんどが「働いている」けれど就職していない。

では、女性は働いていなかったのか?
そんなことはありません。
専業主婦や子育ては、電化製品が普及する以前は、
まさに「働いている」といっていいでしょう。

僕たちが暮らしているのは、
この数十年のあいだにいつの間にか成立してしまった
「国民が全員、一度は就職を考える」という、
かなり特殊で異常な国家である。

ほんとうは「働く」ことが大事なのに、
いつの間にか「就職=会社に雇われる」
ことばかり考えている。

結果として20歳から23歳くらいまでのあいだ、
国民の関心が「就職」にしかないという
ヘンな国家になっているんです。

~~~ここまで一部引用

いいですね。
みのもんた級にズバッときます。(笑)

ここから、さらに戦国時代から明治維新のことを
例に出して、説明してくれます。
これが痛快。

▽▽▽ここからさらに一部引用

戦国時代は、就職ラクチン社会でした。
この時代、就職とは、主君に仕えること。
どこかの家臣として召し抱えられること。
つまり「侍になること」でした。

それ以外はすべて農民、商人などの
「働くこと」でした。

戦国時代は、戦乱で荒れてはいたが、
その気さえあれば、針売りだった男が
一平卒として雇われ、のちに豊臣秀吉になって
天下統一ができるくらい就職ラクチン社会でした。

ところが戦国時代の終わりとともに、
これが終わりを告げます。
高度経済成長の終わりのように。

そして徳川時代は就職氷河期。
まるで現代そっくりです。

徳川時代の就職もやっぱり「どこかの藩に仕える」
「どこかの主君に召し抱えらえる」です。
武士は主君を得てこその武士。
そうでない武士は「浪人」と呼ばれました。

この時代の武士は、すごく厳しかった。
武士を辞めて、別の生き方を考えられた人間は
ある程度、幸せになれたんだけど、
「武家に生まれたからには」、とか「男たるもの」とか
武士として就職しなきゃいけないと強く思い込んでいた彼らの多くは、
傘張りなどの内職をしながら腕を磨き、一所懸命に「就活」していました。

では、武士としての「就職」にこだわらなかった一般の人たちにとって、
江戸時代はどうだったのでしょう?
じつは、働き口はいくらでもありました。

彼らはふつうの商売人です。
しかし、お店に就職するのではなく、
棒一本もって、その前後に荷物をぶら下げて
商売を始める、といった気楽さ。

その日に思いついて、その日に仕事を始めるのが
盛んとなりました。そんな気楽なその日暮らし産業に
よって社会が成り立っていたのです。

つまり、言い方を変えれば、
「就職」にこだわった武士たちだけがつらい生活を強いられたのです。

△△△ここまでさらに一部引用

おおお。
なるほど。
中越でのナリワイづくりインターン、やっぱりいい線いっているなあ。

そして、ここからがクライマックス。
幕末です。

☆☆☆ここから一部引用

黒船がやってきた日本は動乱期に入り、
就職しなかった武士の生き方は、
はっきりと二つに分かれました。

1つは幕末という危機に、
「よし、最後のチャンスだ!」と就職しようという生き方。

もう1つは、就職を考えずに、それどころか就活をやめて、
自分で起業しよう、ベンチャーをやろうという生き方。

あくまで就職を望んだ典型例が新撰組です。
下級武士だったり、武士かどうかわからない身分だった
人たちがこの動乱に乗じてどこかに就職しようと
最後の望みを抱いてしまった。

大企業、つまり幕府やら藩といった
旧来の制度がものすごい勢いで崩れてきているのを
横目で見ながらも、本物のサムライになれば、
殿様に会うこともできた、ひょっとした天皇にもお目通りが叶うかもしれない。

こんな悲しいまでの大企業神話に取りつかれた新撰組は、
函館の五稜郭で全滅します。

一方で大企業、つまり幕府とか藩なんてものは
もう通用しないんだ、これからは民間のベンチャーしかないんだ、
って気がついちゃったのが、坂本龍馬や岩崎弥太郎たちです。

彼らは自分たちがもっていた「武士」という身分を捨ててでも
脱藩に踏み切って、ビジネスを始めたり、日本初の株式会社をつくったり、
結果としてこの国の歴史を動かしました。

なんだかいまとそっくりだと思いませんか?

いったいどこの会社が生き残るだろうか、
ベンチャーから成長して大きくなるのはどこか、
と発想するから既存の会社に就職できると考えてしまいますけど

それって明治維新の最中に
「まだ幕府のなかで出世をめざそうとする」のと同じ努力じゃないの?

あらゆる産業がものすごい勢いで再構築されたり、
また新しく生まれたり、あるいはつぶれたりをくりかえしていると、
その過程で費やすエネルギーロスだけでもたいへんなもの。

そんな渦中にあって、なんとか自分たちだけでも
うまく入ろうなんて、「新選組の悲劇」そのものじゃないか?

かくして時代は明治になり、
幕府も藩もお家もなくなってしまった。
つまり「就職」というもの自体がなくなってしまいました。

★★★ここまで一部引用

なるほど。
たしかに似ている。

現代は幕末に似ているってよく聞く話だけど、
これを就職に例えると、まさにそうだなあと。

新選組になるのか、龍馬になるのか?

まずは、
既存の「安定した企業に就職しなければならない」
という価値観から脱藩しなきゃいけないなあと。

そのためには、
江戸時代のような、棒を一本持って、
前後に商品をぶら下げて売り歩く、とまではいかないけど、

小さなビジネスを始めていくこと。
それを試しにやってみることが
企業インターンシップに行くことよりも
大切なことのように思えてきました。

人生というアートを生きるために、
自分でつくる、を始めていければいいなあと。

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Posted by ニシダタクジ at 05:56│Comments(0)
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