2016年07月30日
日々、瞬間瞬間、自分が問われている
瀬戸大橋には、思い入れがある。
1988年4月の瀬戸大橋開通。
バブルの絶頂期に、
僕は中学生2年生だった。
ゼネコンの景気は特によかったから、
テレビコマーシャルはにぎやかだった。
そこで出会った大成建設のキャッチコピー
「地図に残る仕事」にシビれた。
いつか自分も、地図に残る仕事をしよう、
そう心に決めた。
それから10年後の1998年8月。
僕は徳島にいた。
自然農実践者の集い。
僕は何も実践していないのだけど、
こっそり参加した。
なんのために生きるのか。
自分にとって農とはなんなのか?
自分がやるべき農のカタチとは?
そんな問いを抱いて、瀬戸大橋を渡った。
沖津一陽さん。
実践者の集いの前日、徳島市で徳島自然農塾の
勉強会があった。
そのときのゲストが沖津さん。
「泊まるところは?」
「まだ決まってないです。」
「じゃあ、うち来るか?」
ということで、軽トラに乗せられて、
僕は沖津家に泊まることになった。
帰りは遅くなるから、とチェーン店のラーメン屋で
ラーメンを食べて帰った。
自然農とは、
「耕さない」
「草・虫を敵としない」
「肥料・農薬を必要としない」
という3原則からなっている。
しかしこれは、「ねばならない」ではない。
耕すことが必要だと感じれば耕せばいいし、
ちょっと米ぬかでも振ろうかなと思えば、やればいい。
その瞬間。
作物と畑の状態を見て、自分で判断し、
どうするかを決めるのである。
沖津さんが言った。
「その草を残すべきか、刈るべきか、畑に立つと
自然とわかるようになる」
あの言葉を聞いた瞬間。
僕の旅は終わった。
正確に言えば、
「答えを探す旅」は終わった。
答えなど存在しない。
畑に立ち、作物と、畑と、自然と対話し、
自ら判断し、全力でそれを遂行する。
それだけだ。
本当に、それだけなんだ。
あの日から僕の座右の銘は
「ダイコンがダイコンを全うするように、私は私を全うする。」
になった。
秋には一緒に稲刈りをやらせたもらった。
そんな沖津さんと、18年ぶりの再会。
緊張した。
でも、変わらぬ沖津さんがそこにいた。
沖津さんは今でも哲学者だった。
~~~以下メモ
日々、自分が問われている。
自然の営みを感じる。
人間も自然の一部である。
雑草も虫も活かし合う存在である。
理屈で納得してると反論が来る。
理屈じゃないところで納得する。
反論されない。知るか。
~~~以上メモ
90分。
メモにするとこれくらいしか起こせないけど、
いい空間だった。
わざわざ仕事の手を休めて相手をしてくれた。
なんとも言えないじわじわくる時間。
1998年のあの日。
僕の人生はようやく始まったんじゃないか。
もしかしたら、
「答えなどない」と実感した瞬間に、人生は始まるのではないか。
そして今は、僕は畑に立っていないけど、
自然を感じ、宇宙を感じ、対話し、共演者と活かしあう関係をつくり、
生きていくこと。
それだけ。
ただ、それだけなんだ。
シンプルなんだ。
日々、瞬間瞬間、自分が問われている。
わたしは、わたしを全うする。
沖津さん。
18年前の思いを、変わらぬ思いを、ありがとうございました。
まだまだ、これからです。
Posted by ニシダタクジ at 07:33│Comments(0)
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